忘我の果てに 2

種は蒔かれた

 中部地方の30万都市で、40人あまりの従業員を抱える運送会社を経営する父、池野清と、「お見合いで初めて見た時には、あらまあさえない感じ、って思ったのに、気づいたら角隠し被ってたのよねえ(笑)」という、万事に置いて優しいが呑気を絵に描いたような母、妙子の間に産まれた一粒種が、美紗子である。箱入りでも、蝶よ花よでもなく、ごくごく普通に育った。というのも、所帯はそこそこ大きい清の会社は、自転車操業とは言わないまでも、2年に一回のペースで車に火がつきそうになる。それでも何とかやってこれたのは、勤めていた信用金庫を結婚を機に辞め、新婚生活などそっちのけ、すぐに清の稼業を手伝い始めた妙子の手腕によるものだと、清は内に外に公言して憚らなかった。そんな会社だったので、深窓のご令嬢などにはほど遠かった。        

 幼少期の美紗子の色濃く残る記憶は、プレハブと言っては哀れだが自社ビルと言うにはお粗末な、木造モルタル2階建ての2階の事務所にある妙子の事務机の脇にあった、小上がりの3畳ほどの畳スペースでのことだ。そこで、簿記1級の資格を持つ妙子が、商用電卓を魔法のような指さばきで叩く軽やかな音、配送を終えて帰ってくる無骨で気のいい男たちの汗の臭いと快活な笑い声、電話を取る女性たちのきびきびとした語り口などをBGMに、お絵描きをしたり、従業員全員が少しずつ出し合って買ってくれたリカちゃんハウスで遊んだり、いつの間にか座布団に突っ伏して昼寝をしたりというものだ。従業員の中にはシングルマザー(当時はそういう呼び名ではなかったが)もいて、その小上がりのスペースが臨時の託児所のようになることもしばしばで、そういう時美紗子は、やって来た子供達と一緒に遊んでいた。

 その中にひとり、美紗子の一つ上の男の子がいた。翔(かける)という、俗に言うキラキラネームが巷に流行り始めたその当時の、走り的な名前を持ったその子のことを、美紗子は密かに気に入っていた。            まだ6歳だったが、美容師見習いをしていた彼の母親が綺麗に刈り込んだ短めのツーブロックのヘアスタイル。目はぱっちりと丸く大きく、月水金の週3回フットサルを習っていて、小さいながらに締まった体つきをしていた。

 だから、事務所に翔が姿を見せるのは火曜と木曜。しかも、放課後に彼が誰も遊び仲間を見つけられなかった時にのみ来ていたので、10日ほど会えないことも珍しくなかった。けれども美紗子は、たとえ会えなかったとしてもがっかりなどせず、次の火曜か木曜を心待ちにできる子だった。                     元来おとなしい性格の翔は、美紗子と遊ぶ時にはいつも、彼女の遊びに付き合ってくれた。並んで絵を描き、一緒に本を読んだ。小学一年生だった彼が、保育園の年長さんだった美紗子のまだ読めない漢字を教えてくれることもしばしばあった。そんなところも大好きだった。

 9月最初の火曜日、久しぶりに翔がやって来た。お盆の週から夏休みの終わりまで、静岡にある彼の母親の実家に行っていたのだ。海沿いのその街で10日ほどを過ごした彼は真っ黒に日焼けして、普段の柔らかな顔つきに少しばかり”男の子”感が増したように、美紗子には感じられた。

 「みさちゃん、これ」

 そういって翔が差し出したのは、浜辺の砂を詰めた小さな砂時計だった。砂時計を見るのも、友達からお土産をもらうのも初めてだった美紗子。しかもそれが翔からのものだったので余計に、内心でははち切れんばかりに喜びが踊っていたが、受け取った砂時計を両手で包むように持ってじっと眺めながら、上気した顔を隠すようにうつむいたまま小声で、「ありがと」と言うのが精いっぱいだった。                         そのあとはずっとふわふわして、翔と、あとから来たもう一人の男の子と3人で遊んだが、何をしたか覚えていない。ただ、早くうちに帰って、既に来年からの小学校生活のために与えられていた自室の勉強机の上に飾りたくて仕方なくて、母親の仕事が終わるのを今か今かと思いながら過ごしていたのは、今でもはっきり覚えている。

 その日以降、翔は火曜と木曜には必ず事務所に顔を出すようになった。そればかりか、サッカーのない土日のどちらかには必ず、会社の裏手にある美紗子の自宅にも遊びに来るようになった。

 「何してあそぶ?」

 美紗子はいつも、敢えてこう訊いていた。遊ぶ前、もっと言えば前日から、明日は何して遊ぶというのは美紗子の中で決めているのに。そして、

 「みさちゃんはなにしたい?」

いつも通りの答えが返って来ると、さも今考えたように、少しもったいつけて、前日から用意していた遊びを提案するのだった。何となく、お姫様気分。                             「今日はつる折りたい」「あやとりおしえたげる」「公園の砂場にいこ」 毎回何を言っても付き合ってくれ、時に美紗子の考えている以上に遊びを面白くしてくれた。それだけに、いつもいつも、次の遊びを考える時の美紗子は、子供なりに真剣に頭を悩ませた。

 10月の、爽やかな秋晴れだった第3木曜日の、その夕方近く。今日は覚えたてのインディアンポーカーで遊ぼうと考えていた美紗子は、

 「おばけ工場、探検に行かない?」

と、事務所の誰にも聞こえないようにそっと翔がしてきた耳打ちに、心臓がトキン、と波打つのを感じた。初めて翔から提案してきたことの意外さと、その内容の背徳的な秘密っぽさと、ひそひそ声が優しい息を伴って耳に入って来たくすぐったさに。

 おばけ工場は、事務所棟前の、社用の運搬車が何台も並ぶ広めの駐車場から、道路を挟んではす向かいにある。2年前に閉鎖され、野ざらし、雨ざらしになってずっと放置されている自動車工場のことだ。かつては池野運送の社用車の点検・修理を一手に引き受けていたが、跡継ぎの居なかった昔気質のおやっさんが、老齢を理由に、雇っていた8人の職人に暇を出した。そのうちの2人は続けさせて欲しいと懇願し、池野清も散々あの手この手で説得を試みたが、「俺一代で築いたものの終い方は俺が決める」と、遂に首を縦に振らず、工場内にあった専用機材の数々を、希望する若い衆にタダ同然で譲ってやり、残ったものもきれいさっぱり整理してほぼがらんどうにした後で売りに出した。

 しかし、不景気と、街の中心から少しばかり離れていたこともあって未だ買い手がついていない。シャッターで閉じられた間口の広い工場入口の上の、以前はくっきりと残っていた、取り外された看板の白い跡も、既にその周りの汚れた壁と区別がつかないくらい煤けていた。

「え・・・みつかっておこられないかな?」              「大丈夫だよ、うらの入り口は、ここからは見えないから。公園に行くふりしてそーっと入れば、ぜったいみつかんないよ」              
「じゃあ・・・うん、いいよ」

 2人が良く遊びに行った公園には、おばけ工場の車止めスペースを通り過ぎ、大人の胸の高さほどの金網フェンスを乗り越えていくのが近道だった。お互いの母親に公園に行く旨を告げ、しかし今日はいつものフェンスを越えずに手前で左に折れ、工場の裏手に回った。          

 建屋のほぼ中央辺り、申し訳程度についた雨除けのひさしの下に、美紗子の手首ほどの太さの鎖を、かつてドアノブがはまっていた穴と、壁に打ち付けられた鎖止めに通し、南京錠で止められた木製のドアがあった。見ると、10cmほどの隙間が空いている。

「入れるかなぁ。せまくない?」                  「見てて」

 そういうと翔は、両手でドアをつかみ、ぐっと手前に引いた。するとその隙間が、もう10cmほど広くなった。

「ほら、これならくぐれるでしょ?」

 言うが早いか、翔はその隙間から、身体を横にしてするんっ、と、工場の中へと滑り込んでしまった。

「おいで、大丈夫だよ」

 ドアの隙間から左手だけを見せて、美紗子に手招きをする。ずっと止まらないドキドキが更に高潮してきて、一瞬だけ後ろを振り返って誰も見ていないのを確かめ、差し出された翔の手を握り、翔よりも簡単にドアの内側へ入って行った。

 トラス構造で柱がなく、工場内はがらんどうだ。二人が入ったそのドアの上方、高い位置に横一直線にある明かり取りの窓から、反対側の壁へ向けて斜めに日が差し込んでいた。かつて何度か覗いた時のかすかな記憶では、ごちゃごちゃと色んな機械が置かれていたが、それもすっかりなくなって、保育園の講堂よりもずっと広いスペースが目の前に開け、美紗子は思わず、わあ、と声を上げていた。と、次の瞬間、いきなり翔がシャッターで閉じられた、左手の方にあるかつての入口へ一目散に走りだし、音がならないようにシャッターにそっとグータッチをすると、そのままの勢いで美紗子の元へ走って戻って来た。

「すっごい広いでしょ?フットサル場よりも広いんじゃないかなあ」
「うん、多分広いよね。思ってもみなかった」

 夏休み前に一度だけ、翔の試合を見に母の妙子に連れて行ってもらったことがあった。あの日、ツーゴールワンアシストを決めた翔の姿が、先程ダッシュで行って帰って来た姿と重なった。

 「ここ、2階があるんだよ」

 そう言って右奥上方をさした翔の指の先には、宙に浮くサイコロのような形で、10畳ほどはあろうかという事務室がくっついていた。床からスチールの階段を登った先に、部屋へのドアがあり、工場内が見渡せるように、ドアの並びと右の壁の2面に、大きな窓がついていた。

「あそこ、入れるの?」                      「わかんない。いってみよっか?」

 差し出された翔の右手を左手で握り、階段まで駆けていくと、二人は一段ずつ慎重に登って行った。

 鍵はかかっていなかった。翔がドアノブを回すと、カチョンと軽い音を立ててすんなりと部屋の奥へと開いた。ほぼ何もない部屋の右隅に、茶色のパイル地カバーを被った2人掛けのソファ、左の奥には錆びたファイルキャビネットが2つ、あっちとこっちをむいて打ち捨てられていた。                       

「なんもないね」
「うん、ないね」

 そう言って顔を見合わすと、どちらからともなく、うふふふふとにやついた。もうさっきからずっと美紗子の中で、誰にも言えない翔との秘密の時間がどんどん増えて行っていることが楽しくて嬉しくて仕方なかった。ひとまずソファに座ってみることにした2人は、手をつなぎ、ソファに背を向けると、

「せーの!」

 と言って勢いよくどーんと腰かけた。積年のホコリが舞い上がる。先程より傾いた日が横ざまに夕陽となって窓から差し込み、ひとつひとつがくっきりみえる。

「みてみて、キラキラだよキラキラ!」               「そうだね、キラキラして・・・ケホッ!」

 翔がせき込むのと同時に、美紗子も急に喉の奥が痒くて苦しくなった。ひとしきり2人してせき込んだ後、声を出して笑ってしまった。

「あっ、しーーっ!」

 思い出したように自分と美紗子を制して、翔は、事務所の外に聞き耳を立て、窓の近くにそっと近づき、誰もいないかを確かめた。

「あぶないあぶない、声出したらだめじゃんね。」         「ね、あぶないあぶない。」

 またも、うふふふふと小さく笑い合う。そうしてしばらくソファに腰を深くかけ、まだふわふわキラキラと舞うホコリを眺めていた。

「ねえねえあれ見て。」

 少しニヤッと笑いながら翔が指さしたのは、全裸の白人女性がハーレーのサドルに折り畳んだ右膝を乗せ、挑発的な視線を投げかける、数年前のポスターカレンダーだった。男所帯の事務所にこういった類の写真が貼られることは珍しくない、と美紗子が知るのは20年くらい後の話であるが、その時はその違和感と存在感にしばし目を奪われていた。すると翔が言った。

「おっぱいおっきいよね。僕のママ、あんなにおっきくないなぁ。みさちゃんのママは?けっこうおっきいの?」                
「んーと、あの女の人がすいかくらいだとしたら、肉まんくらい」   
「肉まん・・・けっこうおっきくない?僕のママ、クリームパンみたいにぺたっとしてる。ね、も少し近くで見てみようよ」

 不思議と恥ずかしさはなく、それよりも好奇心が大きくなって、言われるがまま美紗子は翔とポスターの前に立った。2人からだと少し見上げる位置に貼られていたその女性は、よく見ると白のガーターベルトに白のストッキングを付けていたが、肝心の部分は露出していた。

「変なの、パンツはいてないのに、そのまわりにだけなんか着てる!」 

 いつもより翔の声が高揚している。

「ほんとだ。あんなのうちのママ持ってないよぉ」

 そう言って翔の方を見ると、翔が、美紗子の胸の辺りをじっと見ていることに気付いた。   
                          「・・・どうしたの?」                         「ん~、おっぱいって、どうやったらあんなに大きくなるのかな。みさちゃんもあんなおっぱいほしい?」                     「え~わかんない。でもこの人ガイジンだからおっきいんじゃないの?」                              「そうなのかな~」

 そう言ってまたポスターに目をやる翔の横顔を見ながら、美紗子は、おっぱいがおっきくなるのってどんな感じだろうと考えてみたが、まるで想像できなかった。いつの日か、あたしのここにもあんなおっきなものがくっつくのかな。

 「あの中、何か入ってるかな」

 そう言って翔は、左奥の二つのキャビネットに向かって行った。美紗子も後について行く。上下二段になっているファイルキャビネットは鍵も掛かっておらず、開けても何も入っていない・・・と思ったら、二つ目の下段を開けた翔が、

 「あ、本がある。」                       

 と、2冊の古ぼけた雑誌を取り出した。1冊目の表紙には、先程のガイジン女性に負けず劣らずの乳房を最小限の布地で作られたビキニで隠した女性の写真が、2冊目の表紙には、びしょ濡れのタンクトップにホットパンツを履いた肉感的な女性のイラストがあった。

 「これ、きっとあれだよ、エッチな本だよ」

 そう言って翔は、キャビネット脇の床に表紙が写真の方の雑誌を置いてめくりだした。先ず現れたのは、赤い襷で全身を縦横に縛られた白い肌のモデルが、古い民家の板敷の間で右に左にのたうち、切なげな表情を向けている写真の数々。その次には、渓谷の岩場で、全裸の若い3人の女性が、時に水をかけ合い、時に大きな岩を背にした1人の女性の両の乳首を、あとの2人の女性が舌で舐めあげるなどした写真が。

 初めのうちは一緒に覗き込みながら、うわ~なにこれ、とか、この人もおっぱいおっき~、などと言っていた翔と美紗子だったが、ページをめくるに連れて無言になり、次々に現れる女性の、或いは男性との絡みのある肢体を食い入るように見入っていた。                     途中までめくったところで矢庭、翔が2冊目の劇画雑誌を手に取り、今度は真ん中あたりのページをバッと開いた。

 いきなり2人の目に飛び込んで来たのは、テレビアニメに出て来そうな可愛らしい少女が壁際に立ち、ブラごとセーラー服を自ら引っ張り上げてあらわにした乳房を、固太りの全裸の中年男が、左手の指を食い込ませて掴んでいる画だ。むき出しの下半身、少しばかり開いた脚の真ん中に、右手の二本の指を深く差し込まれてかき回され、よだれを垂らしながら愉悦の表情を浮かべている。何をしているのかぱっと見理解できなかった二人だが、吹き出しに書いてあるひらがなとカタカナはしっかりと読めて理解した。

「ンアアアッ、キ、きもちいいのっ!!もっとかきまわしてっ!!!」

 美紗子の心臓は先程から、早く強く、打ち続けている。セックスの何たるかを理解するには甚だ幼過ぎるが、何も知らないからこそ感じる本能的な疼きが、体の芯を支配し始めている。
 ページをめくる翔の指はいっそ淀みがなくなって、次から次へとあからさまな描写が続く1ページ1ページを、とまらない渇望で目に焼き付けていく。次をめくると、男が、足をぴったり閉じて立たせた少女の肩をつかみ壁に押し付け、なおかつ正面から、窮屈さをものともせず自身の長物を差し込み、下から上へ突き続けている。快楽で最早目の焦点を失っている少女にの顔に、男は、右手を下からあてがい、両頬をしぼるようにつかんで唇をとがらせると、

「舌を突き出せ。」

と命令した。

 言われた通りに、すぼめられた口から目いっぱい舌を突き出す少女。その舌先を男は、己の舌先でチロチロと弄んだあと、いきなりじゅるっと彼女の舌の全てを吸い込み、口の中でぐじゅぐじゅぐじゅぐじゅ、その柔らかな感触をまるで食べつくさんばかりに楽しみながら、さらに激しく突き上げた。

「んんんんんんんっ!イぐイぐイぃぃぃぃぃぃグぅぅぅ~~~!」

 歓喜と悦楽の電流が全身に走り、あふれ出る涙とともに彼女は気を遣り、一瞬白目をむいた後、男の腕の中へ落ちた。

「なにがそんなにきもちいいのかな」                 

翔の言葉にビンタを食らったように我に返った。目も心も、更には体の中の何かも釘付けになってしまっていたので、返事に一瞬つまったが、

「わかん・・・ない・・・。」

とかろうじて答えた。

「これって、ちゅーだよね?」

 と、翔が指さしたのは、少女が、吸い込まれた舌を男の口内でしこたまかき回されている描写の部分だった。

「だと・・おもう」                         「こんな・・・べろべろするんだね、大人って」                「そうなの・・・かなあ」

 所在ない、という表現を知る由もない幼い二人が、打ち続く心臓の早鳴りをお互いに隠しながら、ふと訪れた沈黙の中にそれを感じていた。今見て感じているこれはなんだろうどうやってするんだろうしたらどうなるんだろう翔君もしたいとおもってるのかな。ぐるぐるぐるぐる、劇画本に目線を落としたまま回り続ける美紗子の思考はとめどない。それを翔の言葉が遮る。

「ねえ・・・舌だしてみて」                   「え?!・・・・・どうやって?」                       「このおねえさんみたいに」                       「・・・こう?」                               「もっとおもいきり」                         「・・・ほぉ?」

 前に突き出すのではなく、舌の出し方と言えばあかんべーしかしらない美紗子の舌先は、おとがいにくっついている。

「・・・チロチロしてみていい?」                   「・・・ひぃお」

 ゆっくりと、同じように舌を出した翔の顔が迫る。その顔が一瞬沈んだかと思うと、美紗子の舌先を、下の方から舐めあげて来た。れろん。

「ひゃははは!くすぐったい!!!!!」

 びくんと身体を震わせて舌を引っ込めると、美紗子はそういって笑ってしまった。

「もっかいやらせて」「いいよ」 れろれろん。「ひゃはは!」

 何回か繰り返す内、お互いの肩に手を置いて、ぺろぺろと舌を舐め合うようになり、笑いも消えた。どれくらいそうしていたのか、唇の周りが唾液でぴちゃぴちゃになった時、翔が言った。

「あのおじさんみたいに、みさちゃんの舌、吸い込んでいい?」     
「いいよ、はい」

 もう何の抵抗もなく差し出す美紗子の舌を、まるでストローでジュースを飲むようにして、翔が吸って来た。ぢうううう。

「んんんんっ!」と思わず翔を突き放す美紗子。思いのほか強く吸われたので、舌の根がひっぱられて少し痛かった。

「ご、ごめん、いたかったよね??」                     「うん、ちょっとだけ」                       「もすこしやさしくやってみる」                    「うん、はい」

 先程よりも少し弱めに、しかし小刻みにリズミカルに吸って来た。ぢゅ、ぢゅ、ぢゅ、ぢゅ。

「・・・どんな感じ?」                        「ん~・・・へんな感じ」                        「こんどは、ぼくの舌、吸ってみて」                         「・・・うん」

 突き出された翔の舌を口に含み、そっと吸ってみる。ぎゅっと前に突き出されたそれは少し硬い。柔らかめのアイスキャンディーを出し入れしているのにも似ていたが、温かく、自分の舌にまとわりつくねばりがあった。すると翔が、今まで硬くしていた舌の力を抜き、美紗子の口の中を舌先で右に左に探り出した。

 にっちゅ・・・くちゅ、きちゅ・・・ぬりん・・・ぢゅ・・・

 いつの間にか、翔が顔を少し右に傾けたことで、唇の凹凸がしっかりとはめ込まれる格好になり、より深く舌が行き来する。それに反応して美紗子もぐりぐりと舌を差し出し絡ませていたが、流石に苦しくなって、ちゅぽんっと口を離すと同時に、二人は大きく深呼吸をした。

「はぁっ・・・はぁっ・・・」                     「ふぅ~~~~・・・・」                       「なんか・・・へんな・・・気持ち・・・」                  「・・・うん・・・」                         「でも、舌って・・・なんか気持ちいいね」               「うん・・・」                            「もっかい・・・する?」                             「・・・ん・・・」                         「じゃあ・・・あーんして」

 言われるまま開けた美紗子の口の中を、翔の舌が這いずり回る。相呼応してくるくると忙しく舌を動かしていた美紗子。次の瞬間、身体の真ん中を火柱が走るような感覚を覚え、思わず、

「んあっ?!」

と声を上げて身体をくの字に曲げ、翔から少し逃げるように後ずさりした。翔がスカートの下に手を入れ、パンツの上から美紗子の股間を握って来たのだ。

「あっ・・・ごめん、・・・い、いたかった?」          「・・・ううん、・・・大丈夫、いたくないよ。ちょっと・・・びっくりしただけ」                           「あの、えっと・・・本のおじさんがやってたの、・・・ちょっとまねしただけだったんだけど、・・・やだった?」
「・・・・・・・・・・ううん・・・大丈夫・・・」      「・・・ご、ごめんね・・・」               「・・・・ううん・・・・」

 沈黙が落ちる。上目遣いに美紗子を伺う翔をよそに、体の真ん中をやわく支配しているものの正体を、美紗子は幼い頭で見つけようとしていた。

(びっくりしたぁ・・・ってこれなんだったんだろう。なんかびりっとしたかんじでもあるし、ぶわってかんじもあるし・・・あ、ちがう、んぎゅっ、かな。・・・んっと・・・かけるくん、もっかいぎゅってして、っていったらへんにおもうかな・・・)

「あ、もうくらくなっちゃうかも」

 見ると翔が、入り口横のガラス窓から、日が落ちて薄暗がりの広がった工場内を覗いている。

「そろそろ帰んなきゃね」                       「あ・・・うん、そうだね」                    「・・・いこっか」                       「うん・・・」

 静かにドアを開け、すべらないようにゆっくり階段を降りる。照れながらも差し出してくれた翔の手をしっかり握って。出入口のドアまで来、先に出ようとする翔を引っ張り戻す美紗子。

「・・どしたの?」                      「・・・んっと、・・・もっかいチューして」           「えっ・・・?」                        「だめ?」                          「・・・だめじゃない」

 お互いの目を見合って、そのまま唇を重ねる。舌の感触と唾液の甘い味を覚えた二人は、ぎこちなくも我先に、お互いの口の中へ舌を割り入れこねくり回す。

「・・・さ、行こぅ」                       「うん。んっと、またしてくれる?」                「うんっ」

 そっと翔は外を伺い誰もいないのを確かめると、彼女の左手を握り、何食わぬ顔でいつものように事務所棟へ戻った。

 おかえり~、と、事務所にいる大人たちが声をかけて来る。いつものように。でもその誰も知らない。翔と美沙子が本能的に誰にも言わないと心に決めた、二人だけの甘美な秘密を抱えたことは。


 つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?