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私たちは社会に必要ない存在だった。[2]

ごきげんよう。

最近はどうやら私の気分に波があるようで、今日は特に浮かない瞬間の多い1日でした。

実家に帰ってきていますが相性が悪く(今度記事にします)、

ひとりになってこうやって文章を書いている時が一番リラックスしています。

【追記】帰省を終え、京都へ帰ってきました。下書きを溜めていて投稿が遅れてしまって申し訳ありません。


さて。今回は前回記事の続きです。

昨日の記事ではテーマを「適応障害になるまで」とし、私が新卒2ヶ月で適応障害になるまでの経緯を書かせていただきました。

今回はなぜ私が適応障害になってしまったのか?ということを書きます。

!注意!

以下「適応障害になった理由」は全て私の場合であり予想になります。

医学的なメカニズムについて説いているわけではありません。だってそんなのわかんないもん。

こういうことが原因かもな、あそこの分岐にヒントがあるな、と思ったエピソードを私なりに噛み砕いたものになりますのでご了承お願い致します!


私が適応障害になった理由

コールセンターの仕事を拙いながらもこなしていた私は、マネージャーやリーダーに何度も同じことを言われました。

「責任を感じすぎだよ」

「自分を褒めてあげて」

「完璧を求めすぎなくていいよ」

この3つがだいたいのスタメンでした。

その頃の私は絶対にミスは許されない、でないと周りの同期にすぐに抜かされてしまう、クライアントにも大きな損失が・・・と常にプレッシャーと手を繋いで仕事に取り組んでいました。

そして組織の多くの方々から「真面目」という評価を受けていました。

大学時代の私は(ほぼ今も)、全く、本当に100%真面目さなんてものは持ち合わせていなかったので、その評価を嬉しく感じて上司からの言葉の意味の本質を汲み取れていませんでした。

「一人で背負い過ぎないで」

「自分を責めることばかり意識しないで」

「自分を大切にしてあげて」

これらが、上司が私に伝えてくれた言葉の本質であったと、

今ならわかります。

適応障害は、その心理的ストレスの根源である人や環境から離れることによって回復がみられるそうです。

私は職場・業務から離れ冷静に客観的に自分を見つめ直すことができるようになった今、初めて回復の兆候が見え始めました。

しかしやはり今考えてみてもこのような考え方は渦中の自分にはできなかったろうと思います。

一人で生きていくために、この仕事からは絶対に逃げてはいけない

私にできる仕事はこれ以外にない

もし仮に辞めたとして、まともな転職活動ができるのか?

私を受け入れてくれる場所は、ここにしかない

みんな、苦労しているんだから・・・

ストレスを抱えながら働いていた私は自分の置かれている状況・自分の身体に起こっている異変を正確に感じ取ることができずに

周りの友人・上司の言葉を受け止めることができませんでした。

助け舟にはすぐに飛び乗らなければいけない。差し伸べられる手はすぐに掴んで離さない。周りの意見に耳を傾け、今の状況を客観的に教えてもらう必要がある。

傾聴することができないならば、末期。

自分自身を執拗に責め、追い詰めていたことが適応障害を進行させる原因の一つでした。


前回の投稿で「アニメ等に感動することができなくなった」という症状について書きました。

好きなもののために時間を割くことをしなかったというのも、適応障害を進行させる手助けになってしまっていました。

仕事とプライベートの線引きをして、仕事で抱え込んだストレスは趣味や好きなことで発散させる必要がありました。

私はほぼ趣味と呼べるほど没頭できるものがなく、ストレスの発散が本当に下手くそです。

上手く「憂さ晴らし」をしなければ、適応障害はすぐに取り憑いてきます。


休みの日は仕事に怯えながら過ごし、その思考を無理矢理中断させるため、異常に寝る。

出勤前夜にはその恐怖がピークに達し過呼吸を起こす。

書いていてこんな過去を露呈する必要があるのかと疑問に思うくらい悲惨な日々の記録ですが、適応障害になるための生活といっても過言じゃないですね・・・。

私の経験が糧になりますように。今同じような思いをしている人に届いてほしいと思います。

もしそんな方がこの投稿を読んでくださっているのであれば

「逃げてもいい」とお伝えしたいです。


「逃げることは甘えじゃない」

多くの友人が私にそう教えてくれました。

「どんどん、貴方じゃなくなっていくね」

そう言われた時には、もう後戻りできない状況になっていました。

どうか心の悲鳴を聞いて聞かないふりをしないでください。



現在、完全回復とはいきませんが

休職をした当時よりは少し心が軽くなったように感じています。

自分の居場所を22歳になったばかりの何の経験もない自分が決めつけていたことがどれほど異常で危険か、今ならわかります。


この記事が、どこかで傷ついているあなたに届きますように。


次回の記事では最終回として

私たちは社会に必要ない存在だった

この言葉の意味について触れ、まとめていこうと思います。

話が逸れまくっていてどこが話の軸かわかりにくい文章になってしまいましたが、

もしよろしければ次回もお付き合いください。

それでは!

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