しんどい時こそ「生活」はいつも通りに
盛大に打ちのめされた日だった。
自分の努力不足に直面し、身体も自覚症状は薄いがあまり健康ではなく。
今後の未来の展望についてやや修正しなければいけないことが発覚した日だった。
やりきれず、もやもやが残る1日だった。
岡崎体育の歌に「なにやってもあかんわ」という歌があるが、そんな感じだ。
就労移行が終わった後、外科へ行って、内科へ行く、というスケジュールをこなした。
帰宅した時、「もう何もしたくない」という感じだった。
そのままベッドへダイブして、ふて寝しても良かったのだけど、猫達が待ち構えていて「遅いぞ、エサくれ」と何度も言った。
さすがにエサはあげないとかわいそうなので、重い体を引きずってエサをあげる。
そうやってキッチンにいると、朝に洗い残した炊飯釜の存在を思い出す。
気づくとやらずにはいられなくなり、こびりついた米をふやかすため、釜を水につける。
干していた皿を食器棚にしまって、などとしていると、一瞬もやもやになっていた気分を忘れていた。
晩ごはんも、用意するそろそろ時間だった。
カレーを作る、と朝から決めていたけど、どうするか。
レトルトでも旦那さんは絶対怒らないし、むしろしんどい時に無理して作る方が怒られたりするけど…
何となく、作ってみようかな、と思った。
作ると言っても、冷凍してある作り置きのミネストローネに、カレールウと牛肉を入れるだけのレシピだから、できそうな気がした。
用意し始めると、集中して、嫌な気分はちょっとずつ薄まっていった。
いい匂いがしてくると、ホッとした。
これで良いんだなぁ、と思った。
自分の身体が思うようにいかないことが悲しくて、久しぶりに少し泣いたけど、すぐ立ち直った。
お風呂もキチンと入ると、いつも通りの自分に戻れた。
感情が振り回されると、生活を適当にしちゃう時があるんだけど。
そうすると、逆に、いつもの自分に戻るのが余計大変になってしまうのかな、と思った。
もちろん、何もできない時もあるけど。
できるなら、いつものことをいつも通りにやると、心が落ち着くのかもしれない。
そんなことを思った夜でした。
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