タイトル

さやかさん・26歳・女性

私のインタビュアーの夢を叶えてくれたお一人目。
私は彼女の絵のファンで、絵描きのしーちゃんと呼んでいます。
最初は彼女の話を聞こうと決めていました。
ちなみに私はみっさんと呼ばれてます。

インタビュー:美空


――生まれて初めて人にインタビューをさせてもらいます。美空です、よろしくお願いします。(ぺこり)まずは自己紹介をお願いします。

さやかです(ぺこり)年齢は今26歳、今年27歳です。
仕事は今年の三月に大学院を卒業して、ITの会社に入る予定です。

――ITの会社ではどういった仕事をするんですか?

そこの会社は私が大学院で研究してたカンボジアの森林伐採、東南アジアの森林保護活動のプロジェクトをその会社はビジネスの一つとしてやっていて、ゆくゆくはそういうことが出来たらいいなって思ってます。
入って最初の1年2年は本当に細々したことやるんだと思うけど。

――私知識がなさ過ぎて、ITとカンボジアの森林伐採が何も繋がらないんだけど・・・( ;∀;)

ね、なかなか想像じゃ繋がらないと思うけど、海外のビジネスっていうのはITで大きく変わるってうちの会社は言ってて、そのためのITビジネスをやってます。

――次に何か趣味とかある?

趣味は映画鑑賞と、絵を描くこと。あとは最近は乗ってないから外そうかと思ったけど、ロードバイクも好きだね。色んな所に行くことも好きだから。

――最近は乗ってないんだ、以前はどのくらい乗ってたの?

高校卒業して春休みに花屋さんのバイトをやってたんだけど、それで初めて買ったのが街用のロードバイク。
ロードバイクを父が乗ってたから見様見真似で買って、それで東京の三鷹とかあの辺や色んなとこを散歩してた。
ロードバイクを買うまではママチャリで色んなとこ行きすぎて壊れかけてたw

――ママチャリが壊れるほど乗ったあとのロードバイクってやっぱり乗り心地って違うものなん?

羽が生えたみたいに全然違うよ^^
最近友達に『趣味が無いんだけど』っていう人がいたから『自転車やったら?』って言ったら『どんなのがいいの?』って聞かれて色々教えたんだけど、次に会って近況を聞いたとき、最近ずっと自転車とイチャイチャしてるよ、って言っててびっくりした。
プロ用の機械つけてカスタマイズしてたw

――影響を与えたねw

もとからこの人自転車が好きだろうなって思ったから、楽しんでくれてるみたいで凄く嬉しい。

――そういうの嬉しいよね^^

自分が感じた心地よさを同じように感じてくれるのはとても嬉しいよ^^

――うちらの出会い話をしようと思うんだけど、前にも話したけどお互いにあんまり覚えてないんだよねw

一番最初は不登校関連のイベントだったよね。

――私がお手伝いで行ってた時にしーちゃんが友達に連れられて来たんだよね。

私その時は他の人に用があって行ったわけで、なんでみっさんと仲良くなったのか全然覚えてないw

――何の記憶もない・・wいつの間にかって感じw

――そうだ、しーちゃんの個展の話もしたいんだけど。一緒に個展やったよね。やりたいって言ったら快くいいよーって受けてくれて。かなりの枚数出してくれたもんね。

そうだね、ずっと前に描いた絵もあって、当時の自分じゃないと描けなかったものもあった。
個展は来てくれた人が絵を見てのんびりしたり、ゆっくりできるような小さい美術館みたいにしたかったんだよね^^

――100点以上の枚数があって、前日から会場の塾(塾の教室を借りた)に泊まり込みで準備したね。
夜はしーちゃんが持ってきてくれたエアーベッドで寝たね(寒かったw)開場後はしーちゃんおすすめのお茶淹れて振舞ったよね。桜茶がおいしかったね。いつかまたお茶を飲みながらゆっくり作品を見れるような会が作れたらいいな。

――個展の当日はしーちゃんの友達や塾の関係者さんや家族連れや中学生の男の子が来てくれて、その子も絵を描いていってくれたんだよね。  
そこに書いてくれたメッセージ覚えてるよ。

『ずっと絵を描き続けてください』

って書いてくれたね。泣いた(ノД`)・゜・。他にも来てくれた人も絵を描いてくれて、絵っていいなぁって改めて思ったよ。


――ではここからはしーちゃんの人生年表について色々聞かせてください。

えっとまず18歳からの思い出。まず大学の演劇部に入って、大学の友達ってサークルとかに入らないとなかなか出来ないんだけど
ここに入って楽しくて、初彼氏もゲットしたよwただね実際に演劇はやらなかったの。

なぜかと言うと、演劇の公演をする時に先輩が脚本を作ってくれたんだけど、イントロだけで本編がなかなか作られてこなくて

何をどう演技すればいいんだろうって思ってた。でも製作費がどうのとか話が進んでいくじゃない?
で、やっと上がってきた脚本がうちらの中ではちょっとやれないなって内容で、先輩とバトルになったの。

――えええーー

先輩とバトルになったもう一つの理由が出演代の話で、確か15000円だったかな?

――出る側が払うやつ?

そう、出る側が払うやつ。音響の人とかでも10000円だったかな、正直高いなぁって思ってた。
その後発覚したんだけど、OBとかが来て打ち上げするためのお酒代だったのw

――ええええーーー

そりゃないわってなって、先輩とバトルになったのw

――ないわーー

なるでしょ?ww私達正しかったと思うんだw
で、高校から演劇部に入ってた女の子が製作費がどんな風に使われるかしっかりわかる『本当の演劇がやりたいよ』って話してて

その辺でその子が独立したの。独立した中に私もついていったんだよ。
でも、その演劇は企画倒れになって、私達は公演出来なかったの。演劇部に入ったんだけど、結局演劇は出来なかったw
それが18歳の一年間くらいだったかな。

――そうなのか・・・・

その後19歳で即興演劇をやり始めたの。(※即興演技とは台本など準備なしで演じながらストーリーを作る芝居のこと)
他の大学の人に『即興演劇っていう芝居をやってる団体があるんだけど入ってみる?』っていわれて、入ってみたら結構面白くて、続けてみようと思った。

即興演劇は社会人とか、ちょっと興味を持った人も入れるところで、その時に色んな人と繋がりが出来た。

即興演劇って何かって言うと、エチュードみたいな感じで台本は決まってないけど、相手との掛け合いでその後の展開とか、話の筋を決めていくぶっつけ本番みたいな芝居のこと。
それを真面目に突き詰めてるジャンルがあって、結局脚本ってものにも不信感を抱いてしまってる私としては丁度いいというかw

――そっか脚本ないもんね、でも芝居は出来るっていう!ちょうどいいね!

そうそうそう!それが19歳かな。で20歳の時に即興演劇界で大き目のグループにいたことがあって、そこで自分たちでもライブやってみようって場所を借りて人を集めて企画を進めてたんだけど

でも、ライブをやる日が11月30日。私の二十歳の誕生日だったんだけど
ノロウイルスにかかって救急車で運ばれて、結局出れなかったwww

――うそおおーー!!?

結局出てねえじゃん!wwみたいなw

――かわいそうーー(ノД`)・゜・。!!!

それでその時色々あって20歳の後半くらいから大学に行かなくなったの。
この頃は自分が何になるかまっさらな状態で、まっさらで苦しんでたんだけど、あまりにも高校時代から色々あったから、何もなく放り出された気がして自分の軸もなくて、自分の過去もなく感じて凄く悩んでたけど
でも絵をずっと続けてたから、だんだん絵で自分の価値を表現していく気持ちになっていって、大学も行かなくなったのかな?確かね。

で、この頃は即興演劇もやってたけど、チームビルディングっていうチームワークを学ぶ機会があって、そこでリーダーシップの勉強をやってた。
チームビルディングって初めて会った全然知らない人と協力して1個のことをやろうってやつで、まぁ基本的にはまとまらないんだけど
その時の先生が話してたんだけどね、中学校に教えに行った時に一回で一気に成功したことがあったらしくて
なんでかって言うと、みんな早く帰りたかったんだってwww

――wwww

その気持ちで一致団結してたんだって!

――一致する理由があった!w

それもある意味でチームの一つだよねwそういうチーム作りを勉強してた。
その中で何故か私は才能があるって言われて、人を鼓舞したりチームをいつの間にかまとめる天才だよって言ってもらって、20代の子達と色んなアクティビティをやってた。

――どういうアクティビティ?

うんとね、話すと難しいんだけど、リーダーが縄跳びを持ってて、くぐって何かをするとクリアになるんだけどそれは教えてくれないの。
皆で考えて成功してねっていうやり方で。まず、意味わかんないからトライアンドエラーを何回も試すわけ。
10回以上飛んだら成功なのか?とか。でも20回以上飛んでも何も起こらないから、これ間違ってるよね?どうしようか?って話し合って

チームって一回個々の意思が離反して疑心暗鬼になる場面と、疑心暗鬼を突破して一致団結する場面とあって

それはその時に体験した気持ちなんだけど、皆こんなゲームやっても意味ないんじゃないか?どうせ無理っしょ!みたいな空気になってきて
そんな時その中の誰かが『でもやらなきゃじゃん!やろうよみんな!』ってチームになっていくんだよね。

結局縄跳びは、何人以上で何回飛べば成功するってことに気がついて、それを皆でどうにかクリアして

『人に身をゆだねる大切さ』っていうのをその先生は凄く教えてて、
誰???みたいな人達が皆で腕を差し出して、一人がその上に目を瞑って身をゆだねて倒れ込むっていうやつをやるの。
基本的に現代は一人で生きてきた人間が多いから、だから信じる気持ちが大事だよねっていうことらしい。それを結構やったんだよね。

――なんて興味深いんだ・・・

面白いよね。21歳くらいの時には毎日絵を描いてた。多分この辺で会ったんだと思う(みっさんと)
その時期はいわさきちひろさん、岡本太郎さん、相田みつをさんの美術館に行ったり、他にも色んなところの絵を見に行って
他の美術家の人がどんな人生を生きて生きたのか、想像したりした。
他の人の絵を見ることで自分に何が描けるんだろうと改めて考えた。

22歳は特に何もなかったけど、でも夕方に散歩するのが好きだったから、とりあえず散歩しようって歩いてたら、ふと大学に戻ろうって思った。
大学に戻って与えられたことをちゃんとやって卒業してみようと思って復帰したの。
そしたら勉強が全部楽しくて、必ず一番前で受けてた。

――へええええ

やっべえ!勉強面白い!ってw
何もない状態から大学に戻ったから、何もなく嫌々大学に入った人よりは勉強が面白いって気持ちが凄くあった。
22歳はそんな感じ。

23歳も大学3年から4年。この辺は研究のテーマで湿地を研究しようって思ったけど、
大学で研究出来る湿地一帯を別の大学の教授が自分の権利として確保してて、何故かその人に許可をもらわないと立ち入りも研究も出来なくて
あまりにも目の上のたんこぶ過ぎてね、途中でテーマを変更してうちの教授に怒られたw

――はははw

結局ね、関東地震で川が変化した内容を研究をした。で特に変化はしてないって結果になったw
ただ文献の資料には川が1メートル以上隆起したとか、色々書いてあるんだけど物的証拠としてはその川は埋め立てられているから何もないわけ。
だからまぁ、埋め立てられてたけど隆起した可能性が高い、で終わった。

――それしか答えが無かったんやね。目の上のたんこぶのせいでw

それで24歳で大学院に入った。大学院は両親が大学院出てたってのもあるけど『行くのいいんじゃない?ってお金は出すよ』って親が進めてくれて、せっかくの機会だし勉強したい気持ちがあって
元々海外のことも好きだったから、海外の世界遺産とかそういうものを勉強したいですって面接で話して入った。

でも結局入ってやったことはカンボジアの森林伐採の研究。
研究の為にカンボジアに行ったんだけど、これが地味に初の海外だったの。
カンボジアは簡単に話すと毎日が夏休みな感じだった。いつ行っても夏休みの空気がずっと流れてたの。
皆やることないからハンモックで揺られてアイフォンいじってたw

――へええーー。初めてのカンボジアの感想は?

暑い、変わった匂いがする、日本ではあまりない匂い。甘ったるい果物みたいな匂い。
あれはカンボジア特融の匂いだと思う。
物価は安いし、電気も水もない。あとどこ行ってもコーラがあるw
2時間以上崖を登った先にあったのがクーラーボックスと中のコーラwww
なんだここは???ってwww面白い国だった。

――人はどんな感じ?

人はね、なんだろう?特に飾ってないね。驚くときは驚くし、嫌そうな時は嫌そうだし。
そういえば訪問した村の村長さんが3日後に死んじゃってた。

――えええええ!?

ラーメン食べた後に亡くなったんだって。

――なんでぇえええ!?!?!?

2回目に村に行ったらお葬式やってて、誰のだろう?って思ったら『村長のです』ってwwなんでやΣ(・ω・ノ)ノ!!wて
うちらが言った直後だったから、なんかうちらが容疑者みたいな(*_*;びっくりしたw
容疑者って言われても困るから寄付していったw10数ドルを寄付して丸く収めたよw

――( ;∀;)びっくりだねwww

めっちゃびっくりだったよww
村長さんティブシさんっていうんだけど、研修資料に『ティブシさん(故人)』なんて書けないじゃん( ;∀;)

――しーちゃんが実際に会ったカンボジアの人と日本人との違いってなんかある?

日本人との違い・・・特にインフラがないから、立場は全然違うし、うーん、なんだろうな・・・
タイマッサージを受けに行った時に、やってくれた子が同い年だったわけよ。

現地ではそういう子が生きていくには英語力が必要で、観光地でありつける職業って英語必須で
あとはバイクを持ってたら、バイクで行けるところまで通勤できるけど、バイクもないと地元にいるしかないし
地元にいると売るものも何もないから、バナナを売ったりしてその日の生計を立てるとか。

まぁ日本人からしたら、これでやっていけるの?とかこの先を沢山考えて鬱になりそうだけど
皆特に何もなくハンモックに揺られてるくらい。そういう時のハンモックの存在はありがたいなって。

――なるほどなぁ。。。わかりました。

経歴としてはこんな感じだね。
1年に1テーマ。わかりやすいw自分も書いてみて気づいたけど、20歳から22歳くらいまではずっとニートしてたって信じられない。
ニートじゃないのかな?バイトはしてて生活費も自分で稼いでたから。

――うん。それニートじゃないね。何してたん?

メインでやってたのはカラオケの夜勤だった。夜は楽しかったね。
その頃は学校に行ってなかったから、同年代の人たちと働いたり話したりカラオケで遊んだりする環境が面白いなって。
夜だから、終電なくなっちゃって帰らない人とか、家近いからもうちょっといるみたいな人もいて一定の社交場があってよかったなって。

――で、バイト終わって家に帰って・・

布団に挟まれて寝るw
この頃は絵の大学に行こうと一応編入学の準備をしてたかな。
だけど、絵の予備校の秋元康似の先生がすげえ胡散臭くて、その時に自分でちゃんと胡散臭いって思えれば良かったなって思う。
受け入れてくれるし・・・と思って通ってたけど、たいした作品も出来ず彼の話だけ聞いて終わったwww

――怪しげな人だったん?

怪しげだったね、自分がもうちょっと具体的に考えて学んでいれば、彼からリアクションがあったと思うんだけど、その時の自分にはその実力もなかったから。
あとこの辺りは自分の絵がまだまだ下手だと思ってたし、絵を本当に職業にするって考えだったんだと思う。
だからこそ勝負していけないだろうなっていう気持ちがあった。

――そうか。その時は大学は休学したの?

休学してた。これ見ると一年半休学してたかな。

――最近大学院を卒業したんだよね。卒業してみてどうですか?

学生時代が長すぎて、もういいやって気持ちがずっとあるよw
一番は自分と担当の教授が合わな過ぎてきつかったね。

彼の嫌なとこが沢山思い浮かぶけど、でも一つ良いところがあって
人間性としては頭が固いけどまぁちゃんとしてる人だし、で、一番良かったのは愛妻家だってところ。

――おおおおお////

一緒に野外調査に行くと一緒にランチをしないといけないんだけど、いつも可愛い愛妻弁当でペットボトルが靴下履いてるw
彼は還暦じゃないのか!?w作る奥さんも還暦じゃないのか!?wとか仲がいいんだなって思ってた^^

――仲良しなんやな////

うん。で、野外調査に行った時に他の教授が『老後はインドネシアとかに住んで、現地妻とかどうですか?w』とかニヤニヤしながら聞くんだよ。
『あぁ、いいですねぇw』とか他の人たち言うわけwで『先生どうですか?』って聞いたら『いや、興味ないんで』って即答。

――うわああああああv

そこはね、ものすごくいいと思う。
あとはね、その教授と一緒にいて嫌な気持ちになったら頭の中で般若心経を唱えると心の中が安らぐことに気づいてね。
あーだこーだ言ってる時に、腕組みしながら頷いてますけど、頭の中で般若心経唱えて
そしてさわやかな声で『わかりました!それやってみます!失礼します!』って言うww

――そ、それは生きていく上で素晴らしい学びだったね!w

あまりにも厳しかったおかげで論文の作り方とか、人の欠点は凄く見抜けるようになった。

――大学院に行って良かったなって思うことは?

まぁそういうのが学べたことと、同期が凄い面白いやつばっかだったからそれがよかったかな。

――この年表に書いてくれた18歳以前の話は何か聞いてもいいものある?

親が転勤を5回くらいして、小学校も結構変わってたんだけど、今住んでる実家を買ってからは父が単身赴任になって。
友達と同じ学校に小6までいて、そこではずっと個人主義だったね。本当に一匹狼だった、あんま今も変わらないけどねw
逆にうちの兄はすぐ地元に馴染んでつるんでたね。私は兄に『変わったやつ』ってずっと言われてた。

学校から帰ったら必ず図書館に行って、毎日行ってたからほぼ図書館に住んでたね。

――『あの子良く来るね』って言われてたんじゃない?

言われてたと思う。小学校楽しかったな。中学は受験したの。
上の階に住んでた子が受験するって聞いて、じゃあ私も!って。でも小6の秋にそんなこと言ってるからねw

――受験したことないからわかんないけど、それって結構遅いんじゃないの?

他の子は小4くらいから塾に通って準備してた。志望中学はなかったけど、親がここ良いんじゃない?ってとこにとりあえず行くことにしてみた。
とりあえずで目指してたけど、途中から行く気もなくなって結局第二志望に入ったかな。

そこが中高一貫で高校まで行った。中一の時はソフトボール部に入ったんだけど、一緒に入ろうって言った友達が辞めていって
自分一人と他が仲良しグループになって、仲良しグループの方は小学校から一緒って人ばっかだったからね、あたしはいつも輪から離れてたね。
でも全然へっちゃらだった。

――しーちゃんはそういうの多いね。一人で何かしてるっていうか。

仲は悪くないんだけど、必要以上に仲良くならなくていいやっていう自分のゾーンがあって、そこに女友達は入ってきづらいんじゃないかなって。
だって『トイレ行こう』とかあるじゃん。一緒にトイレに行く必要性を感じられない。向こうは多分わかってるんだと思う。
必要性を感じてる子を察知して声をかけてるんだと思う。

――あれは察知能力だったのか。

女子の察知能力は凄いと思うよ。

――じゃあ前半の人生年表話はこのくらいで。

はい。


――インタビュー企画後半はいくつかのテーマで話せたらと思います。
まずこれまでの人生のターニングポイントって何ですか?

  
うーん。そうだな。
中学の頃から家庭がぐちゃぐちゃな時もあったの。兄貴が中学校に入って不良化したり、親がぎくしゃくしてた時もあった。
それでどんどん家に人がいなくなって、そんな中で私立に入って
ちゃんとバックアップがある恵まれた女の子たちの受験を見ててうらやましいなって思って。

高校の時はね、自分にはそれが無いことが物凄く寂しくて・・その輪に一緒に入るのがヤダって思ってた。
うちは給食だったんだけど、給食中にどっかの部屋に行って音楽聞いてたりとかちょっとそんな子達と距離を取りたかったんだと思う。
バックアップがあるのとないのとでは成功するわけないじゃんって高3の時思ってた。

――バックアップがあるっていうのは具体的にどういうこと?

例えば模擬試験を受けに行くと、友達は手作りお弁当があって、ぱかって開けると『頑張ってね』ってメモが入ってて
『わぁ、ありがとうお母さん』とか言ってるんだけど、私は自分で買ってきたバナナとかカフェオレを持って行ってた。
頭にはカフェオレがいいってラジオでオードリーが言ってたからカフェオレを買って。なんだよこの違い?って思ったww

――むしろ『頑張ってね』ってメモお弁当って今の時代にもあるんだってそっちの方が衝撃!

あるあるある!その子は親が迎えに来てくれるし、ひがみじゃないけどコンプレックスが凄いあった。
ただその時の私はすごく元気があった。自分には先はないけど自分が強くいればいいんだって思ってた。

でも18になって大学に入ったら自分が空っぽだっていう強迫観念が凄くて、悩まされてたよ。
何をしても自分には何もない、自分は空っぽだって、物凄かったよね。
何でああ思ってたかわかんないけど、よく燃え尽きる感とか、厳しい受験が終わってちょっと疲れた感とかいうけど、そんな優しいもんじゃなかった。
高校の時に家のことで我慢してたのが一気に来たんじゃないかなって。

で、それが1、2年続いたよね。絵を描いてた時は家にいるのが物凄くきつかったし。その頃はこれをどうやったら抜け出せるのかって考えてた。

その後抜け出せたきっかけがあって、一つはロードオブザリングを見たこと。ファンタジーに対する想像力がちょっとメンタルを元気にさせてくれたかも。
小さい頃に見たことはあったんだけど、虚無感に苛まれていた時に改めて見る機会があって、その時に映画の中の森とか自然に思いをはせたんだよね。
作られたファンタジーではあるけど、そこに生きている人の気持ちを感じた。その1,2年で一番自分の心が動いた気がした。凄くワクワクしたんだよね。

そのうちにいつの間にか自分が空っぽだって気持ちが消えてた。17、18でめっちゃ変わったもん。
本当にきつかったんだと思う。その時のことはあんま覚えてない。

――なるほどな。17,18で大きく違う時期があったってことやな。でもそれからよく元気になったね。

元気になったよねぇ。なんか、この時期は何を考えても自分は空虚だ・・・みたいな、それが脳内の9割を占めて残りの1割で生活してたっていうか。

――結構カツカツやったんやねw

カツカツだったねww今はそんなの思い浮かんでも来ないもん。
ただ人が死ぬって羨ましいなって気持ちはいつもね、ずっとある。羨ましいって思うもん。いいなぁって。

――なんで羨ましいって思うの?

だって辛いことから解放されるじゃん。そういう意味で亡くなった友達のことよく考えるけど、だから〇〇ちゃんが死んじゃったんだよな、いいなぁって。

――確か友達亡くなったんだっけ?

うん。

だよねーって、こんなに辛いなら死ぬっていうのも有りだよねーって思う。

例えば文学作家と同じだと思う。太宰治とかさ。うつ病じゃないけど考え込みすぎる人は大体そうなるんだよ。ゴッホもそうだしさ。
皆が皆、生気がなくなって無気力になるわけじゃなくて、色んなこと考えて感じるからこそ何故かそうなっていくっていうか。
そういう人間が一定数いるっていうか。宮沢賢治も似たようなことを感じ取る人だったと思う、ただ彼は生きてたけどね。

――死が救いっていうのはあたしも納得は出来る。作品や表現を生み出す人は死にも価値を見出すのかもしれないって思うよ。
では次の質問。感謝している人っていますか?

感謝している人?うーーん。高校の時の大学受験の時にお世話になった世界史の先生かな。

――なんで?

むちゃくちゃグロッキーだった時に、世界史の面白さを教えてくれた関西弁のおばちゃんがいるんだけど
めっちゃ教え子が沢山出世しててね、国連とかで働いてる人もいるような人なっだけど。エピソードがおかしいんだよw
HRで『日直の一言』いうってのがあって、とある日直が『今日はけん玉をやります!』って言って糸が凄く長いけん玉(推定2mくらい)を持ってきて
二階の窓から垂らし、それを皆で窓に駆け寄って見つめた。

日直「いきまーす」皆「おおおおおぉっ!」って、異様に盛り上がるようなクラスで、それを許す先生www

――何それ何それ!!!ww

日直が急にけん玉やって、それを皆で見るとかしょうもないエピソードがいっぱいあってwww

でも受験って家か勉強かしかないし、理科とかで夢はあんまり見られないけど、だけど世界史だと沢山夢が広がってくなって思って。
凄く支えになったの。

――世界史で夢が広がっていくってなんかいいなぁ。なんでそう思ったの?

一人じゃない感じがめっちゃするじゃん。何年にこの人はこういうことやったとかさ。勉強はずっと一人でしてたし、家に帰っても一人だったし。

――なるほどなぁ。歴史って人が歩んだ歴史だもんね。確かにそこに存在していた人の思い出で記録だもん。本当に歴史は一人じゃないね^^
では次の質問。あなたがこれまで学んできたことはなんですか?

大学に入って地理を学んだことかな。地理は凄く面白くて人と自然の関わりを勉強するんだけど、例えば街を経済で見るとか、歴史で見るとか、地形の成り立ちで見るとか、それで全然違うじゃない?

だけど一つの街を見てることには変わりなくて、それで色んな視点から物事を見てもいいって知って。
色んな視点で街を評価できるって面白いし、そういうことをする人って大体どっか行くのが好きだから
教授は色々オーストラリアいったりパキスタン行ったり、旅してる人が多くて自由でいいなって思った。

――そういうの知ったら行きたくなるね。行っちゃうよね。

日本の勿体ないのは地理を全然やらないことだと思う。

――なるほどなぁ。では以上です。有難うございました(*^_^*)




わたしはしーちゃんを自慢したい(きりがないので一つ)
しーちゃんは凄いんだよ。
まず何といっても本当にめっちゃ絵が上手いの!
お世辞とかそんなんじゃなくて、凄いんだよ。
しーちゃんの描いてる絵なんだけど、なんていうか『描いてる』ものではなくて、『産み出されてる』そんな気がしたんだよね。
だから、個展やりたいって話した時もしーちゃんが絵が上手いからってわけじゃなくて、『絵たち』を観てもらいたかったんだ。馬やヒョウやクジラ、沢山の生き物が紙の向こう側で生きていたから。

そんな気持ちに似たものが、彼女が昔見たロードオブザリングだったのかなって思う。『心が動く』ってもしかしたら体が動くことよりも大切な時があるのかもしれないって話を聞いていて思いました。
私もアニメやゲームにどっぷりハマり、心を躍らせていた時があります。
ご飯を食べることも寝ることも忘れ、その世界に入り込みドキドキわくわくしました。それが私の心の健康を保っていてくれたんだと思い出しました。
出会った頃からしーちゃんはおひさまと水の中で自由に伸びていく水草のように感じていました。時には外で伸び、カエル水鳥と遊び、時には水の中でメダカや沢蟹や色んな友達と話す。自由ににょろにょろどこまでも伸びていくそんなイメージ。

終わりに・・・

初めてのインタビューいかがでしたでしょうか?
めっちゃ長くなってしまって読む側は大変だと思います、すみません((+_+))
インタビュー企画はまだお一人目だけど、すでに事実は小説より奇なりを感じています。

こんな風に生きている人がいる、こんな風に生きてきた人がいる

それを感じてもらえたら嬉しいです。

そしてしーちゃん
初めてのインタビューをさせてくれてありがとう(*^_^*)




良かったらサポートをお願いします☆インタビュー時のお茶代にさせていただきます。美味しいお茶は人生を優しく振り返らせてくれるお手伝いをしてくれます(*´ω`*)