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いつまでも忘れられない人。


昔、好きで好きで好きでしょうがない人がいた。
完全な片想いで叶うことのなかったわたしの想い。
ただ、その人の側で息をしているだけでその時は良かった。
きっと、願いが叶ったところでわたしは溺れ死んでしまっていたと思う。
自分の気持ちが強すぎて、伝えたいことの一欠片もその人に伝えたことはなかった。
そんな切ない恋からもう20年がたつ。
あれから恋をしていないなんて純粋な人間ではない。
わたしはそこから転げ落ちるようにすったもんだの恋愛遍歴を潜り抜けてきている。正直、昔の男のことなんてなんの未練もない。名前すら覚えていないことが多い。
ただ、寂しかったから、その心を埋め合わせるためにだけ、わたしは人を求めた。
恋愛偏差値なんてあったもんじゃない。
やがて年齢には勝てず、いつの間にか、その時の流れで駆け込むように結婚した。
結婚できたのだからそれなりにましな人生だったのだろう。と世間体も保たれてわたしはずっとその人のことを記憶の奥にしまい込んでしまった。
もう、恋だどうだと言う年齢でもないが幼なじみがパート先で恋に落ちた。
不倫はいけないことだとはわかっているが、そうなってしまうにはそれなりの理由があるのかもしれない。友人の事情も知らないわけではないので、わたしは肯定も否定もせずにいた。本音を言えば羨ましかった。
わたしはもう、恋はしていない。
結婚はわたしには向いてなかった。
人は変わる。いや、供に生活を成り立たせるというのは、その人の根本的な部分をさらけ出すということなのだろう。
パワハラ、モラハラとでも言って早々に離婚してしまえば良かったのかもしれないけれど、わたしはしがみついた。
子供もいるし、仕事もしていなかった。
そして何よりも自分自身で生活をするというイメージから随分と離れた場所に来てしまった。だから、心に蓋をした。
それなのにわたしは彼の夢を見てしまった。
なぜ、今頃…。どうにも気になってしまう。
叶わなかったけれど忘れられない人なのだ。
いっそうのこと、遊びでいいから抱いてもらえば良かったのかもしれない。
連絡先を知っているわけでもない。
会おうにも会えない。
けれどこの激しい衝動はなんだろう。
会いたくて仕方がない。
わたしはまる1日、何も手がつかず、ただ、彼のことばかり考えていた。
彼は今、何処で何をしているのだろう。
パソコンの前でしばらく彼と交わした最後の言葉を思い出していた。
会話という程でもなく、学生時代を過ごした街で偶然、すれ違ったのだ。
少しだけ立ち話をして、別れた。
どうして、あの時、連絡先を聞かなかったのだろう。いや、わたしは聞けなかったのかもしれない。
「久しぶり。」
「そうだね。元気にしてた?」
「まぁね。」
たったそれだけだった。
わたしは一緒にいた人に気を遣ってしまい、去っていく彼を追えなかった。
それが最後だった。
どうして、こんなに胸が切なくなるのだろう。
彼の名前をキーボードで打ち込んだ。
名前と供に彼の記憶が蘇ってくる。
そんなことをしたところで彼と繋がれるわけではないのに…。

あった。画面上に彼の名で出てくる検索結果。同姓同名なのかもしれない。
一番上にあった名前をクリックした。
どこかの学校の学級通信らしい。発行者の欄に彼の名前があった。
どうやら中学校の先生らしい。
他に何か情報がないかと画面を隅々まで見る。
そこには彼の故郷の街の名前があった。
わたしが学生時代を過ごした街でもある。いろいろな記憶が一気に蘇る。
彼はサッカー部で、理科の先生になろうとしていたこと。
よく図書館で勉強をしていたこと。電車で通学していたこと。
そして白衣がよく似合っていたこと…
他にも何か彼だと確証できるものはないだろうかと
また検索画面へと戻る。
別のページを覗いてみる。
そこにはピントの合っていない集合写真があった。目を凝らして彼の輪郭を探す。
わたしは一体、何をやっているのだ。と独り突っ込みながらも止められなかった。

彼の横顔が好きだった。
友人たちと飲み明かし、雑魚寝で朝を迎えるなんて青春じみたことを心底楽しんでいた学生時代。
親元を離れて独り暮らしだったわたしのアパートは格好の溜まり場だった。
人数合わせで呼ばれた飲み会が妙に盛り上がり、そのままわたしの部屋で飲み直しになったのか当時のわたしにはまるで記憶がない。とにかくその日は飲んで酔っぱらい、わたしはわたしの部屋で眠っていた。
ふと、目が覚めると、飲み会で遅れて来ていた人がわたしの隣に座っていた。ぼんやりした頭で状況を整理しようとしているとその人が話しかけてきた。
「俺、この映画、見たかったんだよね。」
映画?辺りを見渡すと数名、気持ち良さそうに転がっている。お酒の空き缶やら食べかけのつまみやらもテーブルに散乱している。
どうやら、わたしの部屋だ。映画はわたしが借りていたDVDだ。
「だいぶ、飲んでたからなぁ。子供は寝てなさい。」といたずらっぽく話しかけてくる。
「子供って、同じ歳じゃない。」
「違うんだなぁ。俺の方が年上。」
「えっ!先輩ですか…」
「そうそう、おまえ、俺がいなきゃ、帰ってこれなかったんだぞ。」
返す言葉がなかった。当時のわたしは記憶が飛ぶまで飲み、普段では考えられないほど陽気な人になっていたらしい。若気の至りだ。
おそらくまた、暴走したのだろう。
「すみません…」
「まぁ、いいから寝てなさい。俺も少し寝るわ。」
そう言って彼はわたしを寝かしつけたのだ。
神経質で独りじゃないと眠れないわたしが酔っていたせいもあるのだろうけど寝てしまった。
そして再び目覚めた時に視界に飛び込んできたのが彼の横顔だった。
酔っていたから気づいてはいなかったのだけれどわたしは彼に一目惚れだったのだろう。
それからずっと彼の横顔を探している。
今もだ。
あの時と同じ気持ちで彼の輪郭を求めている。
重なった。わたしの記憶と彼の輪郭が一致した。やはり彼は自分の夢を叶え、先生をしている。
この学校に行けば彼に会える。
そう思うといてもたってもいられなくなった。
もう、会ってどうするとかそんなことは考えられなかった。とにかく会いたかった。今の彼に会いたかった。
そこから数日、どうすれば彼とコンタクトをとれるか考えた。
おそらく、学校に手紙を出せばいいのだろう。そうすれば彼に気持ちを伝えることはできるだろう。わたしのことはきっと覚えていない。だから、誰なのか検討もつかない人物からの手紙を彼は読むのだろうか。途中で思い出して、苦笑いのため息をつくのだろうか。
きっととてつもなく困るのだろう。
変わっていない。いつも何か暴走しているわたしをしょうがないなと引き留めてくれていた人。

また、1つ、記憶が蘇る。
学食で1人、食事をしていると、必ず声をかけてくれていた。
当時、わたしは拒食気味で、何かストレスがあると食べられなくなっていた。そんな話を彼にしたのかは記憶がないのだけれど、
気にかけてくれる唯一の人だった。
親しい友人というよりは顔馴染み程度の仲でしかなかったのだけれど
彼のおかげでわたしは食べることを諦めずに済んだ気がする。

どうして今になってこんなにも会いたくて、閉まっていた記憶が溢れてくるのだろう。
幸せとは違うけれど、
自分なりにここまで生きてきた。
それをきいてもらいたいのだろうか。
なぜ彼なんだろう。
わたしにもそれなりに友人もいる。
家族だっている。
けれど他の誰でもない彼に会いたい。
彼の今が知りたい。
これではストーカーみたいじゃないか。

いろいろと考えているうちになんだかとても疲れてしまった。こんなにもまだ彼への想いがあったなんて…
会いに行けばいい。
会いたいと伝えればいい。
そうわたしの中のブロックを外す声が聴こえる。
けれど、そうすることで誰が幸せになるのだろうか。
彼にはわたしの知らない時間がたくさんある。彼の人生の中のほんのひとこまに過ぎない。面倒な女が現れて去っていった。ただ、それだけのことだろう。
もう非常識なことをして迷惑をかけても許される年齢ではない。
わたしは無理に気持ちをしまいこんだ。
そのせいだろうか?この数日、喉に何か詰まっている感じがして治らない。
悪い病気だとしたらどうしよう。
そんな心配を話せる相手もわたしにはいない。
ただ毎日のルーティンをこなし、1日をやりすごす。何の魅力もない。
そんな人間に会いたいと思う人などいない。
もしこの先、彼に会える日が来るのなら
そのときは綺麗でいたい。
結局はまた彼への想いへと戻ってしまう。
彼に会いたい。

わたしはその思いを引きづったまま、ただ、時間が過ぎるのを待った。
いつかわたしが不治の病にでもなって、会いたい人に会える権利を得られたときは間違いなく彼にするだろう。
そんな不謹慎なことまで考えている。
誰にも言わずにひっそりと静かに彼を想っていよう。
少しは気持ちが落ち着いてきたのかもしれない。いや、冷静になったのだろう。
いくら想ってみたところで、願いはかなわない。わたし自身が行動しなければ何も変わらない。
そして、彼はわたしのことを迷惑に思うかもしれない。
あのころの彼とはすっかり変わってわたしが幻滅するかもしれない。
過ぎた時間は一緒だった時間よりはるかに長い。

酔っていることを口実に無邪気に好きだと真っ直ぐに伝えた思い。そのまま抱きついて、おんぶしてもらった。
目を覚ましたら彼の横顔がすぐ隣にあった。
ぼんやりとしながら、二人でベランダで朝日を眺めた。
だらだと寝ころびながら将来の夢を話した。
そして、最後に見送った彼の後ろ姿。

わたしたち幸せになれたんだろうね。
わたしは今でもそう思う。

だってあなたは優しかったから。どこまでも優しかった。
気づかなかっただけだよ。
本当はわたしのことが好きだったんだよ。
だからこうやって夢に出てくるのよ。
悔しいでしょ。
わたしも同じ。

いつか彼に会えたら、そんな日がきたら
どんなおじさんになったか見てみたかった。
そんな悪態をついて、そっと触れてみたい。
わたしの好きだったその横顔に。

そう思った夜、また、彼の夢を見た。
変わらずにあのころままの彼だった。
夢の中でわたしは彼に愛されていた。
それはそれで幸せだった。
きっと彼がわたしのことを思い出したに違いない。
そういえば昔、厄介な女の子に好かれていたものだと。

ねぇ、わたしのこと覚えていますか?

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