もう一度読みたい本ーその3
いろいろ読みたい本を思い出していたら
またまた、小学校の図書室が出てきました。
わたしは読書が好きな子ではなかったです。
でも、読書ということを始めたのはこの図書室があったからなのでしょう。
大きな書店もなく、本に触れることができたのはこの図書室でした。
周りの子が読んでない本とかをよく探していました。
この図書室に読む本がないときは
家にあった百科事典を眺めていました。
けれど基本はテレビ。
わたしは無類のテレビっ子だった。
そんなわたしなのでもう一度読みたい本にはそれなりの強い想いがあるのだと思います。
さて、本題。今回は『ノンちゃん雲に乗る』です。
実は数年前までわたしは大変、失礼な大勘違いをしていました。
それはこの『ノンちゃん雲に乗る』と『窓際のトットちゃん』を混同していました。
そもそもタイトルが違うじゃないかという話ですが
何をどう勘違いしたのか同じ本だと思っていました。
作者も違えば内容も違うのに…
思い込みが激しいのか、頭のなかがおとぼけているのか、リンゴジュースを買ったつもりがブドウジュースだった。しかも飲むまで気づかないという勘違いが多々あります。
それと同じ感じでなんの悪意もない勘違いです。
ごめんなさい。
きっと、女の子が主人公のお話だから…
この言い訳を書き綴っていてもしょうがないので、本のお話へ戻ります。
この本との出会いも小学校の図書室です。
綺麗な青い小さい本が本棚でひときわ目立っていたのです。
わたしの本を選ぶときの基準に、装丁があります。
特に子供の頃は、話題の本だとか有名な本だとか前情報は皆無でしたので、何で決めてるかと言うと、装丁でした。
タイトルから内容を想像してみたり、本の色や大きさ、厚さとかから、読めそうかどうかを考えていたのだと思います。
『ノンちゃん雲に乗る』はわたしにしてはまさに理想の本の形でした。
わたしの好きな色の本。ランドセルに入って持ち運びやすいサイズ。
まさに読みたい本でした。
読んでみると面白い。すいすい読めるのです。古典とか推理小説、SFとかいささか、子供らしくない本を読んでいたので、主人公と自分が同年代というのは新鮮だったのでしょう。
記憶上、一回読んで、すぐにもう一回、読んだ気がします。
確か、ノンちゃんが水たまりか池に落ちたら、そこが空で、神様みたいなおじいさんに雲の上に乗せてもららいとお話ししながら下界を見る。
その雲の上でいろいろと考えて成長していくというようなお話だったはずですが、当時、すごくわくわくして読んでいたような記憶があります。
とにかく面白かった。
今の自分が読んだらどんな感想をもつのか興味があります。
小学生のわたしはノンちゃんのように雲に乗って神様に会って…といろいろと想像を膨らませていましたが
今はノンちゃんを温かく見守るような気持ちになるのでしょうか。
それとも当時を思い出して、童心に戻るのでしょうか。
音楽もそうですが、一度読んだ本を時を経て読み返すと、その時の自分が浮かんできます。
確かにあの時わたしはそこに居た。
そんな気持ちになります。
懐かしさともう、そこには戻れない寂しさとで
切ないようなほろ苦い気持ち。
今を悲観しているわけではないのですがそんな甘酸っぱい気持ちに包まれます。
そして、ここまで頑張ってきたんだねと思えます。
さらに、今の自分だから感じられること、思うことも確認できます。
あの時は気づかなったことに出会うことができます。
普段は記憶喪失かっていうくらい、思い出は霧の中でもやもやしているのですが
本は音楽に触れると鮮やかに蘇ってくる記憶や想い。
脳って不思議。
「ノンちゃん、元気だった?」そんな風に再会したい本です。
新しい発見とHAPPYがあなたに届きますように。
羊でした。
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