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なぜ、あの時"一番大切な人の一番大事なもの"を置き去りにしてしまったのか。

私には反射的に「調和」を取ろうとしてしまう癖がある。
私には「他者を尊重」しようとする癖がある。
私には「周りを気にしすぎる」癖がある。

いわゆる「平和主義」というのかもしれないが、実は、罪深い一面もあると気付かされた。

私は、"自己"="一番身近な大切な人(=身内のような人)"も含めた感覚でいるということに気付いたのだ。

これまで無意識に、"一番身近な大切な人"にも「調和」や「我慢(=自己犠牲)」を求めてしまっていた、押し付けてしまったのかもしれない。

これは"一番身近な大切な人"の価値観を無視してしまう行為だ。
とても危険な思考で、とても罪深い。

極端な表現かもしれないが、自戒の念も込めて、私にはそういった思考の傾向があることを自覚しなければならない。

"信念のある人"

私の「調和」や「他の尊重」は、「自身の信念を持って命削って本気で生きている人」に対してはあまりにも上っ面な薄っぺらい「なんちゃって正義」にも思えた。

そして、同じことを繰り返してしまっている。

そして私は、"内弁慶"だ。
情けない。

持って生まれた性質とか環境とか状況が複雑に絡み合った結果だからわかって欲しい、とか、私も私なりの戦い方(生き方)で戦ってきた(生きてきた)んだ、と心の中で反発した。
でも、それはただの幼稚な考えだ。
だからといって大切な人の信念を置き去りにしてはいけない。
決して大切な人を傷つけていいはずがない。
そんな私を私は許したくない。
"内弁慶"である自分を許したくない。

「外面」と「内面」
「他人」と「身内」
「理想」と「現実」
「将来」と「今」

「不確実」なものに頼り、逃げ、囚われるより、「確実」なものと向き合い、大切にしたい。
その意識の積み重ねが、私を太く厚みのある人間に成長させてくれるのかもしれない。

…人は変われるのだろうか。
いや、それを問うことこそ不毛かもしれない。

「存在することは変化すること。変化することは成熟すること。成熟するということは、自らを創り出し続けることなのです」

アンリ・ベルクソン

「変化は必然的に起きるものですが、成長は自分の意思によって生まれるものです」

ジョン・マクスウェル

「自分の考え方を変えたとき、世界が変わります」

ノーマン・ヴィンセント・ピール

まだ、自分を諦めたくない。
まだ、大切な人を幸せにできる自分になることを諦めたくない。

#自戒


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