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磯田道史「歴史とは靴である」講談社文庫 書籍レビュー

 本書は、歴史学者の磯田道史氏が、鎌倉女学院高校で行った特別授業を書籍化したものである。磯田氏が、若者に、歴史をかたった言葉は、磯田氏の他の書籍には、見られなかった新鮮な語り口があった。本書籍レビューで、私が印象に残ったものを紹介したいと思う。

 初めに磯田道史氏に触れる。磯田道史氏は、1970年、岡山県に生まれる。子どものころから、歴史に深い関心を持ち、慶応義塾大学で歴史学を学ぶ。磯田氏が世に出たのは「武士の家計簿」の出版。数々の文学賞を受賞、映画化もされる。その後も、歴史研究と並行し、多数の歴史関連書籍を出版する。現在は、国際日本文化研究センター教授をつとめ、令和の司馬遼太郎とも呼ばれる日本を代表する歴史学者である。

 それでは、はじめに、鎌倉女学院高校での特別授業から。

■歴史と人間
〇空間や時間を飛び越せる動物
 多くは、個体の体験や記憶だけで行動するのが通常の動物であるのにたいして、人類は、他の個体が経験したものを、なんと空間や時間を飛び越して、人類共有の財産にして、次の行動が学習されていって、もうちょっとましに生きられる、もしくは愚かな考えも伝えて、差別や偏見を後代に残したりしています。
 これが「歴史をもつ」ということであり、その意味でぼくら現生人類=ホモサピエンスとはきわめて不思議な生き物だということを歴史学習の前提にまず考えておいてください。
〇記号、シンボル、抽象化
 人類はいつからこんな行動ーちょっとむずかしく言うと、記号やシンボルの操作、抽象化ーができるようになったのか。これについては、いまだに学問的にはっきりした答えが出ていません。(中略)
 人間は、シンボリックなものに、生まれつき、興味の強い生物です。そこで考えなくてはいけないのが、どうも人間だけが、本気になってしまうシンボリックなもの、つまりカミ(神)・クニ(国)・カネ(金)の「3Kシンボル」のことです。(中略)
 新聞の記事を見ると、よく神への信仰をめぐって宗教戦争が起きていたり、国のために死んでいくとか、おカネをもとに殺人事件が起きたりしています。
 カミ・クニ・カネの「3K」には、犬・猫にはまったく通用しないのに、なぜか人間はそれをつくりだす。しかも、それに酔い、人殺しまですることがあります。
 この「3K」には実体はありません。シンボルです。
 他の生き物とちがって、シンボルに夢中になれる脳構造をもったものがそれを考えているうちに、いつしか人びとのつながりが変化し、世のなかは新しく進歩したり、不幸な大量虐殺がおきたりしています。(中略)
 そのせいで、歴史は、カミ・クニ・カネといったところから、完全に自由ではなく、常に偏見を含みます。そこは歴史を読むときに気をつかなくてはいけません。しかし、歴史には大きな効用もあります。われわれは過去にあった他の個体の記憶や経験を記録し、リファレンスして、未来に役に立てられるのです。
〇いずれオールド・スタイルの歴史もかわる
 どうして学校で教わる歴史には武将とか政治家ばかりが出てくるのでしょうか?歴史には、いろんな部門の歴史があり、古い時代には、政治とか外交とか戦争とか、そういう非日常なことが歴史の中心だと思われていました。「政治・外交史」といわれるものです。(中略)
 むかし、人間の活動量が小さいころには、その活動が自然に影響を与えることはそんなになかったのですが、いまや人間のやることが地球全体にまで影響を与えてしましっています。(中略)
 だから人間が環境にたいして与える影響と環境からうける影響、この双方を歴史的にも勉強しなくてはいけなくなっています。われわれは一国単位の歴史ではなく、人類共通の課題を考える歴史が必要になってきているのです。
〇歴史は実験できない
 ここでひとつ問題があります。歴史におけるHowとWhyです。歴史には「どのように」と「なぜそうなったか」という二つの問題意識が含まれています。しかし、その前にまず、以下の問題を考えることにしましょう。
・どうして歴史を学ぶんですか?
・私たちはどうして勉強するんですか?
・そもそも歴史はどうして必要なんですか?
人間は、なにかできごとが起きると、個人の体験でも次はもうちょっとましに行動するようにします。これを、ひとつの地域とかひとつの国とか世界の単位で共有を試みると歴史になります。(中略)
 だから歴史とは、じつは役に立つもので、過去に起きた事例を引き当てて、そこから次は、もうちょっとましにやったほうがいいとする。ある程度教訓性をもっていると思います。
 ところが問題はこの教訓性の前提が、「前と似たようなことが起きる」ということにあって、完全に同じ現象がふたたび起きるわけではないので困るのです。「歴史はくりかえす」とはいいますが、昔とはまったく同じことは二度とおきないのです。(中略)
 つまり、How=「どのように」についてはなんとかなります。しかしWhy=「なぜ」についてはそうはいきません。なにしろ歴史は実験ができません。
〇ただし、ある程度の法則性はある
 天体、たとえば太陽は明日もだいたいこの辺からのぼると予想がつきますが、人間社会の現象はかならずしも同じふうにはなりせん。
 ところが、ある程度、前と似た現象が起きることは言えます。歴史現象は一回限り性があるにもかかわらず、似たことが法則的に起きやすい面もあります。(中略)
 人間性とは、生き物として似ているものですから、ある程度、似たようなことになるのです。
 だから歴史とは、ある程度の反復性があります。実験では再現不可能ですが、歴史は参考程度にはなるそれなりの教訓を含むと見るべきです。
〇歴史とは靴である
 歴史的にものを考えると、前よりも安全に世の中が歩けます。歴史はむしろ実用品であって、靴にちかいものではないか。ぼくはそんなふうに考えます。(中略)歴史とは、世間を歩く際に、足を保護してくれる靴といえます。
 なにごとも歴史的な考え方は大切になります。常日ごろから、時間と空間を飛び越えて、似たようなことはないかと考えながら暮らすと成功パターンも知れ、危険が避けられ、成功もしやすいのです。
 人それぞれが、自分の人生にしたがって情報を集めて、どうやっていくかを考えるというのは、けっこう大事なことです。
〇矛盾が大事
 次に歴史の視点の問題について考えましょう。だれの視点からモノを見るか、ということです。その点、歴史とはメガネでもあります。
 歴史には「客観性」の問題があって人によって同じものを見ても見かたに違いが生じます。非常にむずかしい面があります。(中略)
 自分に都合のいい史実だけを見ようとすると、見えるものが、とても少なくなってしまう点です。双方の利害、複数の視点で物事は見なくてはなりません。勉強でも学問でもここが急所です。そしてここから先がほんとうに大事です。自分にとって有利な情報も、有利でない情報も、両方しっかり見なくてはいけません。(中略)
 歴史とは、けっきょく、他者理解です。なるべく自分から離れて異時空を生きた人びとの了見をも理解しようとしたほうが、情報が多くなり、客観性が増し、歴史認識が深まります。

磯田道史「歴史とは靴である」講談社文庫より

 最後に、生徒との質疑応答について

〇生徒
 もし磯田先生が高校の先生だったら、どんなことを重視する授業をされますか?
〇磯田
 実は詰めこみは悪くないと、ぼくは思っているんです。知識は重要です。ある程度、知識がないと思考もできないから。(中略)
 しかし、テストを絶対視する必要はまったくない。(中略)
 ところで、これからの時代、じつは等し並みに、同じような知識をもっている人が世のなかを暮らしていくうえで本当に有利かという問題が出てきます。
 明らかに日本は小国になってきています。日本の世界人口における割合は、1700年ごろには5%ありました。2010年は十分の一の比率になります。世界の人口において、いま、日本人は二百人に一人。赤穂浪士の討ち入りの江戸時代には、世界で二十人に一人が日本人だったのに、どんどん小さくなっている。GDPだってそう。ぼくが若いころ、日本のGDPは中国よりもちろん大きかったのです。一人あたりにすると、十倍あったんです。だけど、今後、米・中は日本の七~八倍の経済規模となる予測に対して、日本は伸び率が低いので、おそらくいまから三十年後の2050年ーみなさんがちょうどいまのぼくぐらいの年齢になるときですよーにはインドと比べても四分の一の経済規模しかない日本になるとされています。
 いま起きつつあるのは千年に一回ぐらいの人類史上の変化です。
 狩猟から農耕に移行したとき、これはすごい変化ですよね。たぶん一人あたりの食べ物の量って増えたと思います。農耕から工業に移行した時、一人あたりの所得も増えますよね。工業からサービス化というのがたぶんぼくの経験した経済の変わり目で、日本のGDPの七割ぐらいが、ものづくりというよりはむしろサービスを提供する時代に移り変わったと思います。(中略)さらに、ここから先なんですけど、人工知能の経済になるとどうなるのか。どうやらAIが人間の労働に取って代わるものも多いことは確かなようです。たとえば単純な仕事?目的とルールがはっきり決まっていて、わりと具体的な仕事は自動化が比較的早いでしょう。
 だけど、抽象度の高い課題、これは人工知能にはむずかしいでしょうね。あと、「前例のない新薬を開発せよ」。これも難しいでしょう。それができる人のもとにおそらく富が集中する状態になるでしょう。(中略)
 では、なにが人間に残された、いや、人間にしかできない仕事なのでしょうか。それは「おもしろい」とか「新しい」などの感覚や発想にならざるをえないと、ぼくは思います。(中略)
 自分が触れたことのない他のもの。誰も見ていないもの、学校では教えないもの。それにたいして自分の体が動いて、関心をもって、それを結びつけて、おもしろいとか、みんながそれに賛同してくれるものをつくったときに価値が生まれます。そういう新しい経済の段階に移行しつつあります。(中略)これからは「健やかで楽しいニッポン」がきっとポイントやテーマになるのではないでしょうか。(中略)
 おそらく、いま頭を鍛えたり、楽しいことや情報を頭のなかに入れた人と、そうでない人とでは、だいぶ人生に差がつく恐ろしい社会の入り口に、ぼくらはたっている気がしていますが。

磯田道史「歴史とは靴である」講談社文庫より

 以上が本書の概要である。

 本書を通じた私の学びは、

・歴史は、反復性があり、教訓を含む

・歴史的にものを考えると、前よりも安全に世の中が歩ける。歴史はむしろ実用品であって、靴にちかいもの。先のことは、わからないが、歴史の教訓は、自分の生き方に生かすことができる。人それぞれが、自分の人生にしたがって情報を集めて、どうやっていくかを考えることが役に立つ

・これからの時代の価値創造には、自分が触れたことのないもの、誰も見ていないもの、学校では教えないもの。それにたいして自分の体が動いて、関心をもって、それを結びつけて、おもしろいとか、みんながそれに賛同してくれるものをつくる事が大切

である。

 本書には、磯田氏が、歴史に対する哲学的な思考と同時に、知的好奇心にあふれた子どものころから現在に至るまでの面白エピソードが満載に語られており、愉快な書籍である。磯田ファン、歴史をかじって見ようと思われている方には、ぜひ一読をお勧めする。


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