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[幕末、明治の激動を生きた家族の記録]磯田道史著「武士の家計簿」レビュー

著者磯田道史氏は、多くベストセラーを世に送り出し、令和の司馬遼太郎とも言われる歴史学者である。書庫蔵で古文書と格闘し、磯田史観とも呼ばれる切り口で、歴史に埋もれていた史実を、我々読者に語り掛けてくれる。
本書は、著者の処女作で、出版は、2003年と今から約20年前に出版された。歴史に埋もれていた一族の、幕末、明治維新を生き抜いた史実が記述されており、コロナ禍による生活の激変、戦争、超高齢化社会、AI技術の社会実装の開始等の大きな社会変動の中を生きる現在の我々の生きるヒントになると思い、自分の書棚から取り出し、改めて購読し、レビューを発信することした。
本書は金沢加賀藩の御算用者(会計、経理係)猪山家の、加賀藩初代当主前田利家の時代から、幕末、明治、大正に至る、1600年から1900年に渡る300年間の生活の歴史を描いた記録である。特に、幕末、明治維新の時期に、猪山家の極めて詳細な家計簿、書簡を紐解き、いかに生活し、いかに生きたかが克明に記載してある。この家計簿をベースに、本書を書き上げたことが、本のタイトル「武士の家計簿」の理由である。
猪山家は、加賀藩の下級武士で、一族代々、御算用者(会計、経理係)を務めた。当時、武士とくに上級武士は、算術を賤しい(いやしい)ものと考える傾向があり、「徳」を失わせる小人の技であると考えれていた。しかし武士の社会が成熟に向かうにつれ、藩の運営は、藩の官僚機構が担う事になる。また行政内容も緻密さを増し、領地の正確な把握のための測量、その年、各田畑ごとの米の取れ高に応じた祖率決定(年貢の量の決定)等、算術の需要と政策決定への影響力が大きくなる。こうした時代背景があり、猪山家の人々は算術を武器に、下級武士にもかかわらず、藩の行政機構に入りこみ、次第に政策決定にまで影響を及ぼすようになった。幕末になると、さらに、藩兵の軍事訓練や派兵、軍艦の建造や大砲の鋳造など、藩の行政に高度な計算技術が必要になり、九代目猪山成之は、加賀100万石の兵站(へいたん、加賀藩軍隊のLogistics)の最高責任者まで上り詰める。
 しかし1867年大政奉還、明治維新があり、武士の時代は終わりを告げる。時代は新政府による行政統治の時代に移行する。近代は海軍力の時代。海軍は、薩摩、旧幕府、佐賀が中心を占める。海軍もやはり、兵站、軍事技術といった数学のかたまり。ここでも、成之は、加賀100万石の兵站としての実績を買われ、軍務官にスカウトされ、明治維新後も活躍した。明治国家で官職にありつけた士族は16%、84%の士族は官職からもれ、苦しい生活を送ることになった。以上が、猪山家9代にわたる300年である。
 最後に磯田氏が後書きにつづった内容を記す。
大きな社会変動のある時代には、「今いる組織の外に出ても、必要とされる技術や能力をもっているか」が人の死活をわける。かって家柄を誇った士族たちの多くは、過去をなつかしみ、現状に不平をいい、そして将来を不安がった。彼らには未来はきていない。一方、自分の現状をなげくより、自分の現行をなげき、社会に役立つ技術を身につけようとした士族には、未来が来た。私は歴史家として、激動を生きたこの家族の物語を書き終え、人にも自分にも、このことだけは確認をもって静かにいえる。恐れず、まっとうなことをすれば、よいのである・・・。

編集後記
本書に興味深い記述があったので記す。東大本郷キャンパスは旧加賀藩前田家の上屋敷。有名な赤門は、藩主前田斉泰が、将軍家斉の娘溶姫を妻に迎える時つくられたお祝いの門。当時の前田家は財政事情が厳しく、朱に塗ってあるのは外側だけ。この時の婚儀の会計係は、第七代猪山信之である。
 

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