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祖父が亡くなった話〈別アカウントからの再掲〉

※別アカウント退会に伴いこちらに再掲します

2019年の11月、喪中葉書を出すのにちょうどいい時期に祖父が亡くなった。93歳だった。祖父はずっと元気で100歳まで生きるどころか、この人に寿命などないのでは?と誰もが思っていたと思う。そんな祖父に老いを感じたのは90歳を過ぎたあたりだった。両親から「じぃちゃん耳が遠くなったんよ」とは聞いていて、確かに耳には補聴器があり、話しかけても反応が少なかった。その時初めて祖父が年寄りに思えた気がして人間、90過ぎるとさすがに変化が出るんだな……と納得しつつ、ほんの少しの寂しさを覚えた。

祖父と最後に会ったのは病院だ。肺に水が溜まったのがきっかけで入院したらしいが、食べ物を受け付けない状態になっていると聞き父とお見舞いに行った。元々細身だった祖父は更に痩せ細っていて、私は「長生きすることは幸せなんだろうか?」と思いつつ、父と2人で姪っ子や我が子の写真を沢山見せた。祖父はスマホの中の曾孫の写真を見せる度に嬉しそうに目を細めていた。

亡くなった連絡が来て、通夜の前日に葬儀場で対面した祖父の亡骸は殆ど骨と皮の状態で、正直な所……ショックだった。子ども達と対面させることを躊躇った。今回noteに記そうと思ったきっかけはこれだ。曾祖母、母方の祖父など何人かの葬儀には出席したことはあったけれど、みんな生前に接した時の記憶とほぼ変わらない姿だった。しかし、祖父だけは違う。最後に対面する姿がこんなにショッキングであっていいのだろうか……私はまた「長生きすることは幸せなんだろうか」と考えてしまった。

父は次男なので、葬儀もほんの少し手伝う程度で終わった。お見舞いに行った時にやってきた伯父夫婦に「梨が食べたい」と言っていた祖父。病院で出てくる食事以外、口にしてはいけい決まりだったのでその希望が叶えられたのかはわからないし、世話をしていた伯父夫婦にもそんなことは聞けない。病院食で出てくれたことを願うばかりだ。

私は初孫だったので特に可愛がって貰っていた。確かに色んな所へ連れて行って貰い、お菓子やおもちゃを買って貰った記憶はある。遠慮を知らず、母に叱られたこともあった。そんな祖父の遺影には低学年の頃の私とのツーショット写真のものが使用された。ずっと祖父の部屋に飾られていたものだ。私や私よりかなり若い孫が成人した時に一緒に撮った写真もある中で、なぜそれが選ばれたのかはわからない。93歳で亡くなった割にはかなり若い遺影になったなと思ったが、父方の祖母は38歳という若さで亡くなったので2人を並べるのにはちょうどいいのかもしれない。遺影に使われた写真は貰った。ピンクの写真立てに入っていて、裏面には祖父の字で「〇〇ちゃんとおじいちゃん」と書いてある。お陰で写真立てを変えることができない。私としてはもう少しスマートに飾りたいのだが……こればっかりは仕方ない。

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