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わたしが結婚していたのは夫という名の安定企業:第一話

どうして、わたしあんな男と結婚してしまったんだろう。

何度目になるのかわからない、少なくとも50回は越えているであろうその心の声にまたうんざりする。

考えたくもないことだが告白は芽久実のほうからだった。あの頃は若かったからだとか、あの時はお酒をたらふく飲んでいたからだとか、そんなくだらない言い訳ならいくらでも出てくる。しかし、今更いくつ並べたって何の慰めにもならならず、何の糧にもならない。

ただ、伸行さんを紹介してもらう前情報で、わたしは完全に舞い上がっていたんだよねぇ。


当時芽久実は名の知れたIT企業の新入社員で研修中だった。そんな折、研修中に仲良くなった同期、光士郎の「俺のバイトのときの先輩、女探してるらしいんだけどさ、芽久実、どう? いま彼氏いないって言ってたじゃん。先輩、白川に務めててさ。将来安定! ね? いいでしょ?」という言葉に乗ったのがそもそもの間違いだったのかもしれない。少なくとも芽久実はそう思っている。

お金持ちとまではいかないけれど、安定した生活は送れるかもしれない……?

白川といえば、日本に住んでいれば誰もが一度は世話になっていると言っても過言ではないインフラを一挙に担う会社だ。名は体を表すとでもいうようにホワイト企業としても有名で、手当、福利厚生は文句なしだという。

「でもさ、いいの? 光士郎」
「ん?」
「光士郎、わたしのこと結構好きでしょ?」
「今俺は彼女いるからいいんだよ! 今日もこれから約束してるし」
「ふ~ん。じゃあわたしがその白川の男と付き合ってもいいわけだ? まだ会ってもいないけどさ」
「お前なぁ……。まぁ先輩イケメンだし、面倒見良いし、そういう人となら芽久実も幸せになれんじゃないの」
「何よりも安定性よね……」
「結局そこかよ!?」

光士郎がここまで言うのであればそんなにおかしい男ではないのだろうと、芽久実はひとまず白川の伸行なる男に会ってみてもいいと返事をしたのだった。


友人は、高校時代から長く付き合っている男がいたり、誰とも付き合ったことがなかったり、気が付くとまた別の男と付き合っていたりと様々、みな自由だったが、何故か芽久実は少し焦っていた。

結婚願望は薄い。子どもは可愛いと思うし、道行く子どもに目を向けられればあやす程度には好きだが、自分が子どもを育てる姿など想像もできない。芽久実は自分の幼さを自覚していた。だから結婚には向いていないことも自覚していた。

しかし、家族はいずれ芽久実も結婚して普通の幸せな家庭を築くものだと信じて疑わない。それが「幸せ」というものだと心から思っているからだ。

今から恋人を作るとなれば、それは自ずと将来を考えた選択になってしまう。それが年上であればなおさら。芽久実の家族はよく言えば世話焼き、悪く言えば過干渉だったから、このタイミングで恋人となれば勝手に話を進められてしまうだろう。世間では晩婚化と言われてはいるけれど、芽久実の親は20代半ば~後半までには結婚して20代のうちに子どもを生むのが当然という考えを持っていたのだ。

そんな親に、芽久実自身も気付かぬうちに感化されているところがあった。それが焦りに繋がっていた。結婚したくはないのに、結婚相手は早めに見つけておかねばならないという矛盾した、見栄も含んだ気持ちを抑えることができなかったのだ。


「初めまして! 寺島伸行です。光士郎から聞いてますよね、色々と」
「こちらこそ初めまして。香村芽久実です。光士郎、伸行さんのことべた褒めでしたから、お会いするの楽しみにしてたんですよ」

池袋にある洒落た和風の居酒屋、光士郎とその恋人裕美を間に挟む形で、芽久実は伸行と引き合わされた。伸行は、ものすごくイケメンというわけではなかったが、スッキリとした顔立ちに細身のスーツが似合う男だったから、芽久実は、身長があまり高くないことは捨て置こうという気持ちにはなった。

何より、経済的に安定していて見た目がそれほど悪くないのであれば全く問題ない!よね……?

芽久実の失礼な品定めを知ってか知らずか、伸行はてきぱきと注文し、取り皿や箸をそれぞれに配っていた。

「ごめんなさい全部やらせちゃって。わたしあんまり気が利かなくてよく怒られちゃうんですよね」
「いえいえ。こういう時くらいゆっくりしてて。会社の飲み会とか、女の子たち大変でしょ?」
「伸行さん、きっと会社の飲み会でも自分で動いちゃってますよね? 女性社員が「私やりますよ~!」って声かけてるの、目に浮かびます」
「すごいね、芽久実ちゃん当たってる! 家でも自分でやってるからやってもらうの申し訳なっちゃうんだよね」

最近の男の人は家でも料理するっていうし、うちの父親みたいに座ってるだけ、ではないのかな。ふ~ん……。

「先輩、ビールきましたよ!」
「あれ? 芽久実ちゃんもビールで大丈夫だった?」
「うん大丈夫! ありがとう。じゃあ伸行さん、乾杯おねがいしま~す!」
「え! 俺? うーん、じゃあ、みんなお疲れ! カンパーイ!」
「先輩、何かおもしろいこと言ってくださいよ」
「それは光士郎の役目だろ? 俺に振るなって」

気を遣って盛り上げなければという思いはあったものの、会話はスムーズに進み、芽久実にとっての伸行の第一印象は良いと言えるものだった。

だが、芽久実は緊張のあまりか忘れていた。自分はあまり酒が強くないのに調子に乗って飲み過ぎて収拾がつかなくなることがあることを。伸行が「飲ませ酒」タイプであったことも災いした。気付いた時には意識が朦朧としてしまっていたのだった。

ああ、これはうっかりホテルパターンになるんじゃ……せっかくいい感じに恋愛始められそうだったのにと芽久実は居酒屋の壁に寄りかかりながら天を仰いだ。

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