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『法然と極楽浄土』展(2024年6月1日鑑賞)備忘メモ。


物足りない

 見終わったあと、なんだか物足りなく感じて東洋館を制覇して、それでもなんだか物足りなさが埋まらないので平成館と本館を見て回ったけれどそれでもなんとなく…という気持ちだったので国立西洋美術館にも足を伸ばし、

ティラミスは美味しくて、窓から見える中庭が綺麗でした。

 常設展を満喫したあと、待たずに入れた『カフェすいれん』でひと休みしながら、平成館でもらった『浄土宗新聞』(展に合わせて洒落で作ったZINEかと思ったら長年発行されてる本気の新聞。「浄土パズル」とか載ってた)をふむふむと読んでいたところ、なんと。
 私が『法然と極楽浄土』で一番見たかった《綴織當麻曼荼羅》は、すでに展示が終了していたことが判明。
 どうりで物足りないわけだ…!
 私が疲れてて見落としただけかと思ってたけど、ほんとにあの場にあれは無かったんだ。
 痛恨。
 
 まあでも、見て損したというほどではなく。
 むしろ、綴織曼荼羅はもう無いと知っていたら今日わざわざ上野まで来なかっただろうから、知らなくて良かったのかもしれない。今日一日楽しかったから。

上野公園は桜だけじゃない、という発見も。

 以下、《法然と極楽浄土》展でグッと来たものについて、忘れないうちにメモ。

とは言え、どれがどれだか。

 展示室内はただひとつの例外を除いて撮影禁止だったし、じっくりメモを取るには人が多かった&私が疲れすぎていたので、記憶を探る手がかりになるものはペラ紙1枚に字が書いてあるだけの「出品目録」のみ。
 たとえば「法然上人像」だけで5点もあったのを、どれがどんなものだったか正確に思い出すことは私には不可能。(図録を買えばいいのだろうけど、重いし、図録を買うほどの法然上人ファンでもないので今回は購入見送り。)
 なので、思い出せるのはとりわけキャラが立ってたものだけです。

いい顔。

 釈迦涅槃図を、絵画ではなく立体物で表現した香川・法然寺の《仏涅槃群像》(全82軀のうち26軀。江戸時代の作)の、猫。
「他の動物たちがみんな釈迦の入滅を悲しんでいるときに、ひとりだけあらぬほうを向いて知らん顔」ということでネットでちょっとバズっていた白黒猫。
 この猫に会えただけでも、上野まで来て特別展料金払った甲斐はあった。私の隣で猫を激写していたお姉さんも「ああ、満足した!」と嬉しそうに呟いてた。私も同じ気持ちだった。
 他の展示物は茶色くすすけてたり、絵が小さすぎる上に剥げ剥げだったり、読めない字で書いてある知らない人の手紙だったり、読めても意味が分からないお経だったりしてたので、ぱっと見た瞬間「可愛い」! と、素直に感動が起こるこの展示には救われた。

 ただ疑問なのは、
「猫だけそっぽむいてる」
 ということでウケているこの猫だけど、べつに床に固定してあるわけじゃないんだから、猫もお釈迦様のほうに向けて置いたらいいだけなのでは?
 それとも、「猫だけはそっぽ向けて置くように」との注意書きとかが残されているんだろうか?
 そういった疑問も、図録を買えばもしかしたら解明されるのかもしれないけども、謎は謎のままにしといたほうが楽しい気もする。

寝具売り場みたいな雰囲気。

八天像(康如・又兵衛作 江戸時代)

 8体のうちの4体だけの展示。
 等身大ではないけどかなり大きめの金剛力士、帝釈天、密迹力士、持国天が半円状に配置されて、みんなで風を受けながら力いっぱい回転ドアを回してるみたいな体勢で走っていた。何やってるのか分からないけど迫力は満点。
 ポストカードがあれば絶対買ったのに、残念ながら無かった(と思う)。

熊谷直実自筆誓願状

 くずし字は全然読めないので、何が書いてあるのかは全然読めず。
 でも、見間違いでなければ、「れんせい」と書いてあるのは読めた。

 “いかに蓮生、敦盛こそ参りて候へ”

謡曲《敦盛》より抜粋

 の、あの「蓮生(れんせい)」=熊谷直実。
「泣く泣く首をぞかいてんげる」の直実の直筆。
 ほんとに生きてた生身の人間だったんだ、実在してたんだなあ…と、不思議な気持ちになった。
 本人も、まさか自分が物語の有名な登場人物として何百年後にも語り伝えられているとは思ってなかっただろうし。

誰かの坐像(誰か作、制作年代不明)

 目録を見てもどれだったのか分からないのだけど、本体は木造で、着ている僧衣と袈裟は布製、という坐像があって、リカちゃん人形っぽくて可愛かった。
 服だけ着脱式になっていれば、季節ごとに着せ替えてあげたりできて、より大切にしてあげられる気がするのだけど、この形式は珍しい、とパネルに書いてあった。ということは、普及しないだけの理由がきっとあったんだろう。
 服だけ鼠に食べられちゃって、全裸になりがちだったとか?

血書法華経(福岡・善導寺 鎌倉時代)

 書いて字のとおり、血(を混ぜた墨)で書かれた法華経。
 そう言われるとものすごいものを想像するけど、実物はずいぶん小さくて、市販の風邪薬の注意書きくらいのサイズ。
 文字も薬の注意書きくらいの小ささなので、必要とされた血液の量はおちょこ一杯くらいだったのでは、と想像。
 でも血なんて、少量ならなおのこと、すぐ固まっちゃうだろうにどうやって書いたんだろう…? ささっと急いで書いたにしては、筆跡があまりにも緻密だし。
 と、そこまで考えて、パネルの解説文の「墨に血を混ぜた」という記述にハッとした。
 これは「墨に血を混ぜた」と言うよりも、「血に(凝固させづらくするために)墨を混ぜた」のかも?
 分からないけど、どうだろう。

日本書紀私鈔(茨城・常福寺 14~15世紀)

「導誉筆」と書いてあったのだけど、これって「バサラ大名」の佐々木道誉(導誉)のこと、で合ってるんだろうか? それとも同名の別人?
 もし佐々木道誉の直筆なんだったら、見られてすごく嬉しいのだけど。何の説明も無かったから、分からなくてもどかしい。

贈円光大師号絵詞(明誉古磵筆、京都・知恩院 江戸時代)

 この特別展で一番の掘り出し物は私にとってはこれだった。
 ポストカードがあったので迷わず購入。
 何か大きな儀式のときの様子を、僧侶でもあり絵描きでもあった明誉古磵という人が大きなカラーの絵にしたもの。
 広間にずらっと並んで座ったお坊さんやお公家さんがいっせいにひれ伏していて、ぱっと見には実に厳かで立派な儀式。
 なのだけど、よく見ると、ひれ伏しながらもちらっと顔を上げて隣と何か談笑しているお坊さんや、なんか眠そうによそ見しているお坊さんもちらほらと。
 荘重な儀式の一幕と言うよりは、学校の終業式なんかを思い出す。のどか。
 人々の顔も、ぽやっとした癒やし系。
(可愛いな…)
 と思って見ていたら、隣で見ていた女性も連れの人に、
「これ可愛いね」 
 と囁いていた。
 この人の作品、もっと他にも見てみたい。
 
 そう思って調べてみたら、今年の10月からの京都での『特別展 法然と極楽浄土』のチラシにはこの「明誉古磵」さんの絵が大々的に取り上げられてた。
 いいなあ。そっちのチラシ欲しいな。


カフェゆりの木

 朝から食パン1枚しか食べてなくてつらすぎたので、東洋館の入口そばのホテルオークラ「カフェゆりの木」へ。

抹茶オレ550円。

 美味しかった。
 日陰で涼しく飲んでいたら、テーブルにスズメが一羽飛んできた。小柄な、まだ若そうなスズメ。
 写真を撮ろうとカメラを取り出しているあいだにスズメは隣の席へ。何もあげられるものが無くてごめんよ。