映画『ヒトラーのための虐殺会議』感想。(ネタバレあり)
邦題がださいのが気に入らない(原題のまま『ヴァンゼー会議』でいいと思う)けど、これって『謀議』のリメイクなのかな、と思って視聴。
『謀議』(2001)は佐野洋子のエッセイ『役に立たない日々』で紹介されていたのを見て以来ずっと観たいと思いながら叶っていない、BBCのテレビ映画。以下抜粋。
“私が今まで見た戦争映画? でいちばん恐ろしかったのが、『謀議』という映画だった戦場など一シーンも出てこない。(中略)少しずつ話をつめていき、最後に絶滅させるということを決めるだけの映画だった。言葉だけでジワリジワリと中心につめていく、私はドイツ語の微妙なちがいなどわからないのであるが、一つずつ絶滅に近づいてゆく言葉がグレードアップしていく。途中で気の弱いはげた軍人は、トイレにかけ込んで吐く。”
(佐野洋子『役に立たない日々』朝日文庫 p.213-214より抜粋)
『謀議』は私は観てないけど、要するにそれと同じ事を現代の機材で綺麗に作り直しただけのものなのかな?
そう思いながら見始めて、しばらくすると多分この人が「気の弱いはげた軍人」の役回りなのかな、と思われる人物が登場したので(やっぱりリメイクなのかな)とちょっと気が抜けて見つづける気がちょっと失せたものの、どういう心理的葛藤の描写の末に吐くのかが見どころなのかもしれないと思って視聴継続。
そうしたら皮肉な展開が待っていた。
「自分は牧師の息子だからかもしれませんが」
云々、と虐殺に賛同しかねる旨を再三発言してきた一見人道的だったおじさん(名前忘れた)は、この計画にノリノリなハインリヒが嬉しそうに「最終解決」計画のキモの部分――絶滅収容所の内容――を開陳したのを聞き終えたとたん、
吐くのではなく、
ホッとしていた。
これで現場の軍人たちに、ドイツの若者たちに、血の海を見せなくて済む、と。
彼が心配していたのは一貫して「ドイツ人」のことだけで、ユダヤ人のことは人道的な考慮の俎上にそもそも載せられてなどいなかった。と、わかったのがこの映画のどんでん返しだった。
『謀議』を観た人が観ても単なる二番煎じに終わらない、より残酷なヴァンゼー会議。
『謀議』はBBCの製作だからイギリスの映画で、『ヒトラーのための虐殺会議』はドイツのテレビ局ZDFが作った映画。
ドイツが作ったからそのぶんドイツに甘くなっているのではなくて、その逆なのがドイツの凄さなんだと思い知った。
本編からエンドロールまで音楽は一切無し。
無音のエンドロールを観ていて、アンジェイ・ワイダ『カティンの森』を思い出した。
『カティンの森』もエンドロールが無音だった。重たい映画だったし最後がショッキングすぎたから半ば放心状態でぼんやりクレジットを眺めていたのだけれど、そのうちにふと、(これは「死者の声」としての静寂なんだ)と気づいて、静寂の重さにぞっとした。
『ヒトラーのための虐殺会議』のエンドロールの無音は、「異議無し」を表す静寂なんだと思う。