小説「歌麿、雪月花に誓う」③
第3話、
大文字屋は吉原遊郭内の京町1丁目にある総籬の大見世だ。間口13間、奥行22間、2階建ての豪勢な妓楼で、女郎ら関係者100人が起居をともにする。
張見世に並ぶ女郎らを流し目で見ながら、蔦重ら3人が店に入ると、座敷の奥、内所にいた2代目楼主の村田市兵衛が小走りで出迎えに来た。
背は低く小太りで、頭が大きく鉢が開いている。加保茶元成の名で狂歌仲間の吉原連に連なり、蔦重、歌麿もそれぞれ蔦唐丸、筆綾丸の狂歌名で加わる。
「蔦重の旦那、歌麿さん、お連れさんもご一緒で、みなさん2階の座敷でお待ちです。さあ、お上がりになって」
市兵衛の案内で3人が座敷に顔を見せると、
「よっ、蔦重さんのお出ましだ」
と、座敷にいた2、3人から威勢のいい掛け声がかかった。
狂歌師の大田南畝、朱楽漢江、戯作者の朋誠堂喜三二、恋川春町、浮世絵師の北尾重政、勝川春草、それに仙鶴堂の鶴屋喜右衛門、甘泉堂の泉屋市兵衛ら地本問屋の重鎮らがずらりと居並んでいる。
「お待たせいたしました。日の本一の版元に成長できますよう、皆々様の御力をお貸しくだせえ。今夜は存分に打ち興じて頂きてえ」
蔦重が参列者を見渡し、深く腰を曲げた。
蔦重が目配せし、楼主の市兵衛が手を打つと、待ちかねていたように女郎や芸者、幇間が座敷に入り、にぎやかに宴が始まった。
「いかがなされました、浮かない顔して。飲んでおくんなんし」
「こりゃ、すまねえな、気を使わせて。大層な粋人ばかりで場の空気に飲まれちまってな」
女郎の酌を受けると、歌麿はまた、斜向かいに座る2人の男に羨望と敵意の眼差しを向けた。
1人は、女絵で一世を風靡する鳥居派の町絵師、鳥居清長。歌麿の1つ年上で、今年31歳になる。場慣れした洒脱な物腰が、生粋の江戸生まれをしのばせる。隣席は日本橋馬喰町2丁目の地本問屋の老舗、永寿堂の西村屋与八で、細面に頬骨が張り、鷲鼻に一重の両目が怜悧な印象を漂わせる。
忘れもしない苦い思い出、というより因縁が歌麿にはある。
数年前、歌麿は西村屋から何度か、黄表紙の挿絵を依頼されたが、その後、注文はぴたりと途絶え、疎遠となった。西村屋は歌麿の才能を見切り、清長の腕を見込んだ。見事、その洞察は当たり、清長は時代の寵児になっている。
(清長には天賦の才があるのか)
と、悲観しつつも、
(絶対に見返してやる)
と、闘争心が沸々とこみ上げる。
「どうした歌麿。そんなに気になるかい、あの二人が」
参列者の挨拶回りをする途中、歌麿の心中を悟った蔦重が脇に座った。
「いえ、まあ、そんなわけでも」
「そうだろうよ。気にならねえようじゃ、大成しねえからな。どうだい、2人で挨拶に行こうじゃねえか」
蔦重の気迫に促され、歌麿も席を立った。
「こりゃ、西村屋様、本日はお忙しいところをお出で頂き、感謝の申し上げようもございません」
「何をおっしゃるんで。蔦重さんが日本橋に店を構える祝いの門出だ。本来はこちらが歓迎の席を設けるのが筋なんだが」
「いやいや、とんでもねえ。新参者が日本橋に出張ることになったんで、皆々様への挨拶ということでお集まり頂いた次第で」
蔦重は傍の女郎から徳利を受け取り、与八の盃を満たした。
「そういや、今度、歌麿さんが吉原俄を錦絵に仕立てるそうじゃねえかい」
吉原俄は毎年8月、芸者や幇間が仮装し即興芝居に興じる催しで、4月の夜桜、7月の玉菊灯籠とともに吉原3大景物といわれる
「ええ、そうなんで。歌麿にもゆくゆくは女絵を手掛けてもらうつもりなんで。清長さんの腕には到底かないませんがね」
「謙遜することはねえ。蔦重さんの眼鏡に適った歌麿さんだ。清長もうかうかしちゃいられねえよ」
西村屋は脇に座る清長の顔色を窺った。
「吉原俄ねえ、そりゃ、どんな女絵を見せてもらえるか。楽しみにさせてもらいますよ」
清長の冷たい視線に歌麿はうろたえた。
第4話に続く。
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