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小説「歌麿、雪月花に誓う」余話④

  栃木市に残る「雪」「月」「花」資料

 歌麿の栃木市滞在説を裏付ける資料としては、2007(平成19)年以降、同市内の関係者宅で発見された「女達磨図」「三福神の相撲図」「鍾馗図」の肉筆画計3点のほか、同市内には大作「雪」「月」「花」3幅に関する資料が残っています。
 その一つが明治期に撮影されたという3幅の写真です。アルバムの1ページに、上から「花の吉原」「月の洲崎」「雪の品川」=写真=と紹介され、添え書きに、歌麿が善野伊平氏宅(釜伊)に3年間、滞在して描いたことや善野氏が明治期に500円で売りに出したことなどが含まれています。売却が決まり栃木市から去るのを惜しんで写真に収めた経緯も書かれています。
 また同市内の写真館には、「月」の写真乾板も所蔵されています。伝承によると、1879年(明治12)年、同市内の定願寺で展示された際に撮影されたそうです。
 定願寺で3幅が展示されたのは同年11月23日で、同市内の旧家に「展示書画目録」が残っており、「雪月花図紙本大物 三幅対 善野氏蔵」と記載されています。
 釜伊の関係者によると、3幅は明治期、釜伊の親族を資金援助する際、同じく家宝だった奇石のいずれかを売却することとなり、絵画は今後、火事で焼失する恐れがあることから手放したそうです。その後、画商の手を経て、1887(明治20)年までにはフランスにわたり、現在、「月(品川の月)」は米国フリーア美術館、「花(吉原の花)」は米国ワズワース・アセーニアム美術館にそれぞれ所蔵され、「雪(深川の雪)」のみ国内の岡田美術館(神奈川)に所蔵されています。
                (写真は栃木市の小林祥次郎さん提供)

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