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Every dog has his day.㉓

 最終第23話、
 雑木林を埋め尽くす枯葉の隙間から、セツブンソウの白い小ぶりな花がちらほら顔を見せている。いち早く春の到来を告げる山野草で、佐野市北部の山麓は貴重な自生地として知られる。2月に2度、記録的な積雪があり、地元の人によると、その影響で開花は10日程度遅れたという。
 江上は腰をかがめ、その可憐な花に焦点を合わせ、何度かシャッターを切った。季節を彩る風物詩の一コマとして、紙面の片隅には載るだろう。出向ネタに日々、悩むだけに、午前中に出社原稿の目途がつき、肩の荷が下りた気がした。
 山道脇の空き地に止めた車を開け、助手席に取材バックを置き、座席に乗り込むと、ズボンの左ポケットに入れたスマホが着信を知らせた。着信画面にデスク山野と表示されている。事件、事故の発生だろうか。受話器を手に、苛立たし気に右手でデスクを叩く音が聞こえそうだ。
「NHKのニュースは見ましたか」
「朝のニュースは見ましたけど、それで何か」
 江上の担当する県西部の足利、佐野に関して、全国放送になるようなニュースはなかったはずだ。
「実は歌麿の雪が見つかったと流れまして」
「本当ですか、それでどこで見つかったんですか、国内ですか」
「箱根の岡田美術館が取得したんですが、NHKによると見つかったのは2年前の春、都内の倉庫らしい」
 2年前の春。その3月末、江上らの研究会が栃木市からの業務委託期間を終了し解散、歌麿調査を終了した直後だった。翌年、友人の誘いで、江上は大手紙の日本産政新聞に入り、記者活動を再開している。
「それでですね、ちょっと江上さんにお願いがあって」
 デスクの山野は恐る恐る、腫れ物に触れるかのように、問いかけた。
「確か、以前、歌麿調査を請け負っていたと聞いたんですが」
「ええ、こちらで働く前に2年半ほど。栃木市に委託されて」
「やはり、そうですよね。それは良かった」
 山野は安堵し、言葉を弾ませながら、
「どうでしょう、県版にサイド記事を書いてみませんか」
 と、促した。
 雪発見に悔しさが込み上げ、懸念されていた海外流出でなく国内所蔵に安堵を覚え、予想外の記事依頼に戸惑った。
「サイド記事と言われても」
「雪を追いかけていたんでしょう。好きなように思いのたけを書きこんでください。トップ位置で、紙面を開けておきますから。本文80行、何か写真があったら付けてもらえればありがたい」
 デスクの山野は用件を伝え終わると、一方的に電話を切った。
 雪は江戸中期、栃木市内の豪商、呉服太物商の釜伊の依頼で歌麿が制作し、明治中頃、海外に流出。その後、昭和初期、浮世絵収集家の長瀬武郎がフランスで買い求め、日本に里帰りし、昭和23(1948)年、銀座松坂屋で展示され、都内での倉庫で見つかるまで64年間、姿を消していた。
 結局、栃木市に里帰りしていたのだろうか。
 ちょうど3年前の春になる。
 「幻の雪を栃木市に!」と世論が盛り上がる中、所有者と噂される巴波醤油が突然、自主廃業し、市長の末永が「買うことも含め流出を防ぎたい」と意欲を見せ、社長の猪野瀬宛に親書を認めた。
 1か月経ち、2か月経ち、猪野瀬から市長に返答はなかった。
 江上は善後策に奔走した。
 猪野瀬とゴルフを楽しむ間柄の元政治家は、
「返事のないのが返事ではないか」
 と、解釈した。
 浮世絵を専門とする複数の学芸員も、
「(市と)関わりたくないのだろう」
 と、所有者の意向を推察し、
「最終手段は、市のトップが電話や面会で直接交渉するしかない」
 と、口を揃えた。
 江上は専門家の意見をまとめた報告書を市に提出。成り行きを見守り、ただ時だけが流れた。
 ファックスの着信音が鳴った。
 江上はキーボードを叩くのを止め、ファックスを手にした。宇都宮支社経由で送られた市長・末永のコメントで、その一文に引き付けられた。
 ーー発見されて喜ばしいが、探していただけに心中は複雑だ
 その時、あの最終局面であらゆる手を尽くし切ったのだろうか。自戒を込め、悔しさ、虚しさ、敗北感だけが改めて沸々と江上の胸に湧き、沈殿していく。
 スマホが着信を知らせた。待ち受け画面に、善野圭三郎と出ている。江上は緑色の着信ボタンをタップした。
「やあ、しばらく。ついに出たね、雪が。生きているうちに見つかるとは感激だ」
「本当、良かったですね。海外流出もしなかったし」
「最大の功労者は誰だと思う?」
「都内の倉庫で、美術館の関係者が見つけたっていうんでしょう」
「何、言ってんのよ。江上さんら研究会だろう。あの盛り上がりで、所有者は持ちきれなくなったのさ」
 窓外に目をやると、庭のクヌギの根元に赤紫色のカタクリの花が一輪、7年越しの養分を蓄え、ようやく開花の時期を迎えている。
 Every dog has his day.
 何故か、半世紀前、受験勉強で頭に叩き込んだ英語の一文が思い浮かんだ。 
 地方記者上りの門外漢が第2の人生で世界の歌麿の調査を手掛ける幸運に恵まれ、歌麿の栃木市滞在を裏付ける鐘馗図、三福神の相撲図を見つけ出し、その上、幻の大作「雪」の発掘、引いては国内所蔵に寄与していたら身に余る光栄だ。
 そしてまた記者に戻り機会を与えられ、第3の人生を歩んでいる。足利の北斎、佐野の佐野乾山……地方都市に埋没する文化資源を足で稼ぎ、また探り当てることもできる。
(誰にも輝く時代がある)
 人生後半の前途に、江上は確かな感触を得た。
                               (了)  
                                                             

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