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小説「遊のガサガサ冒険記」その19

 その19、
「遊君、華ちゃんが来たわよ」
 階下から、母・映見の声がする。遊はパソコンのキーボードの手を止め、2階の自室から階段を駆け下りた。
「ごめん、突然、忙しかった」
「大丈夫だよ、どうしたの、急用?」
「ちょっと、今日出された算数の宿題の解き方を教えてもらおうと思って。遊君、算数が得意だからさ」
 華は大きな右目を瞬きした。何か重要な用件があるらしい。
「華ちゃん、どうぞ上がって。後でおやつを持っていくから」
 映見に促されて、華は遊の後をついて階段を上った。
「忙しかったんじゃない」
「大丈夫、気にしないでいいよ。学校の宿題じゃない、例のEW調査の報告書をまとめていたんだ」
「そっちの方は順調に進んでいるの。調査は無事、終わったって聞いたけど。もうひと踏ん張りでしょう。応援しているから、最後まで頑張って」
「ありがとう、いつも応援してくれて。それで僕に用件があるんでしょう、いじめの件?」
 遊はファイルを上書きし、パソコンの電源を切った。
「そう、遊君と私の共通の最重要課題だからね。それで報告があって、知らせようと思って。傍観者の切り崩しの件、直美も明日香も有美もどうにかOKさせたから。案の定、いつか自分らがいじめの標的にされるんじゃないかって心配してんの。半面、反旗を上げるのには、仕返し怖さにすこしびくついているんだけどね」
「大丈夫、信用できる?」
「それは100㌫は確約できないけどね。遊の踏ん張り次第じゃない。でも、もう宣戦布告してるんだから、後に引けないでしょ、遊君も私も」
「それで、どうやるつもり」
「チャンスは次にいじめを仕掛けられた時かな。これってタイミングがとっても重要だと思うんだ。援軍もできたことだし、直美らの気が変わらないうちにね。何かのきっかけ次第なのは確かだと思う」
 華は自分に言い聞かせるように、きつく唇を噛み締めた。
「遊君、おやつを持ってきたけど。入っていい」
 ドア越しに、母・映見が呼びかけた。
 華は慌てて手提げバックから算数の教科書とノートを取り出し、机に広げた。遊は鉛筆を手に、考えるしぐさをしながら、
「ありがとう、大丈夫、入っていいよ」
 と返事をした。
「はかどってるの」
「ええ、遊君の教え方が上手いから。私、算数が苦手で、学校でも教えてもらっているんです」
「そう?そんなに、うちの遊できるかしら。一段落着いたら、食べてみて。お手製のプリンなの」
 映見は近くのテーブルの上に、ウーロン茶のコップとともに置いた。
「じゃあ、華ちゃん。ゆっくりしていってね」
 映見はドアを閉め、立ち去った。
「何か、隠し事してるみたいで、おばさんに悪いね」
「ちょっとね。でも子供の世界は子供で解決しないと。それに僕のいじめのことは気付いているみたいなんだ」
「それで、お父さんもお母さんも何にも聞かない?」
「うん」
「遊君のこと信頼しているんだね。羨ましい」
「華ちゃんちは」
「私も親には何にも言ってないよ。父ちゃんに言ってもしょうがないし、お母ちゃんは仕事と家事で忙しくって私のことなんか構っていられないから。だから自分がしっかりしないと」
 華の表情が陰ったのを見て、遊はテーブルに載ったプリンとウーロン茶を机の上に差し出した。
「お母さんのプリン美味しいんだ。食べてみて」
「本当だ。カラメルソースが甘くておいしい。ところで、この間は、大切な本がすぐに見つかってよかったね。お父さんに買ってもらった大切な一冊だったんでしょう」
「もう見つからないかもって焦ったんだけど、まさか屑箱の中に捨ててあるなんて。でも落書きはされてなかったし、ページも破られてなかったから良かった」
「直也のやつが誰かにやらせたのよね、絶対に。洋一君は犯人のこと何か、言ってなかったの」
「いいえ、別に。犯人は知っているはずだけど、仕返しが怖くて口にできなかったんだと思う」
「それで誰か、犯人の心当たりは?」
「実は華ちゃんと別れて教室に戻った時、弘樹が教室を飛び出してきて、危うくぶつかるところだったんだ」
「弘樹か、臭いね」
「でも、洋一君が隠し場所を教えてくれて、本当、助かった」
「よっぽど相合傘の件で直也らにカチンときたんだね。精一杯の抵抗だと思う。私らにとって棚ボタっていうか渡りに船で、弱者同盟の理解者が一人増えたんだから、本当、ラッキーって思わなくちゃ」
 華の機転と積極果敢な働きで、いじめに対する対抗作戦は準備が整った。相手は同じ人間だ。
(屈服、絶滅する前に反撃しないと)
 ニホンオオカミのケン、キタタキの与作と佐那、ミナミトミヨの太助とトメの両夫婦の憂いに満ちた表情が、遊の尻を叩く。

 翌日、4年3組の朝の会に、担任の臼井先生が沈痛な表情でやって来た。もともと生真面目で明るいタイプではないが、おはようの挨拶が普段より弱弱しい。教壇に立つと、児童を見回し、小さくため息をついた。
 点呼を済ませ、臼井先生は手元のファイルを開き、時折、そのファイルに視線を落としながら話し始めた。
「テレビや新聞で聞いた人もいるかもしれないけど、とても悲しい話を伝えなければなりません。足利で起こった話ではないんですが、隣接する町の小学校5年生の女子が自殺しました。原因ですが、実はその女の子はクラスメートらのいじめにとても苦しんでいたらしいんです。警察の皆さんが詳しく調べているんですが、もし、本当にいじめで自ら命を絶ったとしら、本当に悲しくて……」
 臼井先生は言葉を詰まらせ、ハンカチで目尻を拭った。クラスも静まり返り、物音ひとつしない。
「みんなにいつもお話ししているように、他人をいじめるなんて、あってはならないことなんです。ですから足利市では隣町の出来事とはいえ事態を重く見て、緊急でいじめのアンケート調査を行うことにしました。みんなが仲良く楽しく学校生活を送るためで、簡単な質問に答えてもらうだけです。先生は皆さんを信じていますし、このクラス、この学校にいじめがあるなんて微塵も思ってもいません。でも念のためです。もしも、いじめの芽があるなら、早いうちに摘み取って、みんな仲良くしたいですからね」
 アンケート調査は給食後の5時間目、道徳の時間に行うことになった。
「知ってた、あの自殺の話?女の子が可哀そうっていうか、いじめをやってた奴ら、本当に許せない」
 昼休み、華が遊の席にやって来て、大きな声で憤慨した。クラスに残っている数人の女子の奮起を促すように。男子児童はいつものように遊を除いて全員、校庭で遊んでいるようで、直也の怒鳴り声が風に乗って聞こえる。
「あの様子じゃ、直也ら全然気づいてないね」
 窓越しにその様子を見て、華がほくそ笑んだ。
「アンケートの件、僕、正直に書こうと思うんだ。どうかな」
「うん、いいと思うよ。学校がわざわざ、教えてほしいっていうんだから。それに私と遊は仕返しなんか、もう、ちっとも恐れてないもんね、そうでしょう?」
「うん、負けてられないからね」
 遊にとって、はるかに困難でやり遂げなければならない課題が残っている。いじめにへこたれていては、欲望の悪魔が仕掛ける未知の攻撃を跳ね返せるわけがない。
「私ちょっと考えがあるの」
 華は声を落とした。
「どんな」
「任せて。でも、できたら空気を読んで、加勢してくれないかな」
「分かった。心配しないで」
 遊は即答した。
 5時間目の開始を知らせる予鈴が鳴り、臼井先生が引き戸を開け、教室に入ってきた。
「今朝も話したように、いじめは決して許されません。でも、自分が気付かぬうちに、ちょっとした言葉や行動が相手を傷つけ、いじめにつながっていることもあるんです。秘密は絶対に守りますから、心配しないで下さい」
 臼井先生の配布したアンケート用紙はA4版の1枚で、「いやなことや気になることはありますか」と表題がつけられ、「私はいじめを受けている」「私は人をいじめている」「私はいじめられている人を見たことがある」など7つの質問項目が並び、「ある、ない」「あてはまる、あてはまらない」のいずれかで返答するものだった。末尾に罫線で囲った空欄があり、「気になることなど自由に書いてください」と記されている。
「まずアンケートに目を通して下さい。何か、質問項目などで分からないところがありますか」
 クラスがざわつき、隣同士で小声で話したり、不安そうな表情で回りを見渡したり、アンケート用紙をじっと見つめる児童もいた。遊が斜め後方を振り返ると、華は頬杖をついて考え込むように窓外を見ている。
 遊は末尾の自由記入欄に、授業参観でガイジンとからかわれて以来のいじめの数々をできるだけ詳しく書く、と心に誓った。
「質問はありませんね。では……」
 臼井先生の言葉を遮って、
「先生、質問があります」
 と、華が立ち上がった。
「先生、どうしてアンケートをやるんですか」
「だから、みんなが仲良く楽しくすごせるように……」
 想定外の質問だったらしく、臼井先生は言葉を上ずらせた。クラスの全員が華に顔を向けている。
「だって、仕返しが怖くて。だれも本音なんか書けっこないと思うんです、私。それに……」
 華の声は尻すぼみになり、立ったまま伏し目がちになった。クラスの仲間に対しては無敵だが、大人を遣り込めるのはやはり荷が重い。
「結城さんの言うことも分かるけど、無記名なんだから正直に書けるでしょう」
「でも、名前を書かなかったら出鱈目も書けるし……」
 華は声を振り絞った。
「結城さん、心配してくれてありがとう。でも。先生は心配してないわ。だって4年3組にいじめはないでしょう、ね」
 児童らは虚を突かれたように、隣同士で顔を見合わせ、当惑する表情を見せ、中にはうつむく児童もいる。臼井先生も児童の思わぬ反応に二の句が継げない。
 遊は大きく息を吸うと、席を立った。
「先生、いいですか。いじめはあります。僕のことですから。正直に書きます」
 臼井先生は両目を見開き、手にしていたファイルを落とした。
「私も」
 華が追随し、
「私も知ってる」「僕だって」
 と、同調する声が教室のあちこちから漏れ始めた。
                         その20、に続く。
その20:小説「遊のガサガサ冒険記」その20|磨知 亨/Machi Akira (note.com)

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