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小説「歌麿、雪月花に誓う」余話③

  通用亭ゆかりの歌麿作品
 歌麿と親交が深かったとされる栃木市の豪商、釜喜4代目・善野喜兵衛は狂歌名を通用亭徳成と名乗り、歌麿の手掛けた肉筆画・錦絵・枕絵本などに数多く登場します。今回は歌麿展でもほとんど公開されない肉筆画2点を紹介します。
 

巴波川くい打ち図

 肉筆画巴波川うずまがわくい打ちの図」は栃木市との関係上、貴重な作品でしょう。巴波川は同市中心部を流れ、この図では男2人が水辺で杭を打っている様子を描いています。
 画中に狂歌「出る杭はうたるる事をさとりなばふらふらもせず後くひもせず」が詠まれ、通用亭と記されています。
 余話①で紹介した美術専門紙「美術日本」の発行された昭和11(1936)年当時、栃木市内に存在した作品として紹介されています。昭和45(1970)年に都内で開かれた「万国博開催記念 世界の歌麿展」で展示以降、絵画展で一般公開されてないようです。
 もう一つ、通用亭が着用されたとされる羽織裏の肉筆画「六歌仙図」=最上段の写真=も一般展示されてないようです。六歌仙とは在原業平、小野小町ら平安時代の歌人6人で、歌麿は在原業平と小野小町が抱き合い、他の歌人が居眠りする様子などをコミカルに描いています。
 美術商・金子孚水は「歌麿の歌まくら秘画帖」(画文堂)の中で、「天明5(1785」年頃、善野家に遊んで、徳成が吉原遊びに着用するための羽織のウラを描いている」と記しています。

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