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小説「遊のガサガサ冒険記」その13

 その13、
 自制神社1階の大広間、阿玖羅命は遊の書き上げた絶滅動物の調査案に目を通している。遊は正座のまま、阿玖羅命の手元を見詰め、亀吉、磨墨、雷鷲、疾風は境内で吉報を今や遅しと待っている。
 阿玖羅命がこの調査案を了承しなければ、再度、検討し再提出しなければならない。事態は刻一刻と悪化している。欲望の嵐が吹き荒れ、渡良瀬川で全国各地で世界中で生き物たちが生存の危機にさらされている。何としても調査案を認めてもらい、一刻も早く作業に取り掛かりたい。
 調査案作成に当たり、遊は自制の館所蔵の文献資料を読み漁った。父・イリエスに連絡し、関連書籍を送ってもらった。父は何も理由を問わず、「分かった」と言って、段ボール一杯分の図鑑や写真集などを送ってきた。中には英文の書籍もあり、母・映見は「いくらなんでも英語の本を理解するのは無理よねえ」と苦笑いし、「でも、お父さんは『遊の興味を持つことをとことんやらせなさい』と言ってたわ。お母さんも、そう思う」と背中を押してくれた。
(無条件で何も問わず、父と母が僕を信じて応援してくれる)
 胸の奥から勇気が奮い起こされ、遊はどんな困難にも立ち向かえる気がしている。
 阿玖羅命が顔を上げると、遊を見詰め、軽く頷いた。そして、また視線を落とし、調査案を読み始めた。
 当初、レッドリストに掲載された100種以上の絶滅種から調査対象をどう絞り込むのか途方に暮れた。暗中模索で文献資料を読み込むにつれ、調査対象の生き物が徐々に浮かび上がってきた。絶滅した生き物の、できれば最後の1羽、1頭、1匹を探し出し、生の声を取材したい。それには最後に確認された年月日、場所などがある程度、特定されていた方が適切だ。亀吉はじめ磨墨、雷鷲、疾風と頼りになる仲間がいるとはいえ、手掛かりが少なくては個体数が皆無に等しい生き物だけに徒労に終わる恐れがある。
 遊の苦悩ぶりを見かねて、ある時、亀吉が助け舟を出した。
「同じ穴のムジナか、類は友を呼ぶじゃないが、雷鷲なら鳥、疾風なら哺乳類、特に犬の仲間には強いじゃろう。磨墨も馬の仲間なら一役買えるはずじゃ。もちろん、わしは水中の生き物となる」
 博学の亀吉はすべての生き物との会話が可能で、さらに、
「同じ仲間の方が親近感も沸いて、口数も多くなるんじゃなかろうか」
 と、アドバイスした。
 相手は突然の時空を超えた珍客に驚くだろうし、追い詰められた悲しい現状を斟酌すれば、口も湿りがちになるはずだ。亀吉の考えは極めて合理的だった。
「対象地域は日本に絞ろうと思う。アメリカのリョコウバトやタスマニアのフクロオオカミなんかも気になるんだけど、英文の文献や資料が読めないから国外は除外したほうが無難だと判断したんだ」
「賢明じゃよ。対象外の生き物は遊が先々、調査研究すればよかろう。今は差し迫った使命を完遂することじゃ。遊とわしら2頭1羽1匹の力でできることをな。この機会に、異国も行って見たい気がするがな」
 遊は約1か月間、調査案作りに没頭した。熟慮の末、調査対象の動物を3種に絞り込んだ。哺乳類でニホンオオカミ、鳥類でキタタキ、魚類でミナミトミヨ。いずれも文献資料が比較的充実し、絶滅時期もある程度明白で調査がスムーズに進む可能性が高い。亀吉のアドバイスを受け入れ、調査隊の得意分野にも配慮した。
 60年後、遊の生きる令和の時代、生き物の状況はもっと深刻だ。父・イリエスの送ってくれた環境省のレッドデータブックによると、動物の絶滅種は哺乳類7種、鳥類15種、汽水・淡水魚類3種のほか貝類、昆虫類などを含め計49種。北海道のエゾオオカミ、宮古島のミヤコショウビン、諏訪湖のスワモロコなどが含まれている。絶滅種の次にランクされる絶滅危惧種は1446種にも上り、増加傾向に歯止めはかかっていない。
(時計の針を少しでも戻さなきゃ、大変なことになる)
 歴史を変える不遜な企てと感じ、怯えていたが、学ぶにつれ、この荒療治でしか人類を含めた生態系を救う手立てはないと、遊は確信した。
 ーー人の力でどうにもならないんだったら、私たちの力を超越した神の力があってもいいような気がする
 いつか口にした華の言葉に真実味があるような気がした。
 開かれた窓から爽やかな風に乗って、またコマドリの囀りが流れて来る。
子育ての季節を迎え、テリトリーを盛んに主張している。毎年春、繁殖のため中国南部などから夏鳥としてやって来て、秋に帰る。大海原を往復する途方もない力が、橙色で愛らしい雀ほどの小鳥に潜んでいる。未知の挑戦を前に、遊は熱いエールを送られているような気がした。
 阿玖羅命が調査案を閉じ、遊を一瞥した。
「読み終えました。それではまず、調査案をまとめた率直な感想を聞かせてくれませんか」
 調査案は合格なのだろうか、それとも却下なのだろうか。密かに手放しで了解を得られるだろうと期待していただけに、遊の心は騒ぐ。1回、深呼吸して、大神使に向かい合った。
「人間の傲慢さ、強欲さ、愚かさを痛感しました。もちろん私を含めてです。絶滅したすべての生き物が、環境破壊、狩猟など人為的な要因に起因しています。共存共栄の道はきっとあったはずなのです。ですが、人は人のみの繁栄だけに固執し、生き物の住処を奪い、殺戮し、絶滅へと追いやりました。過去のことではありません。歯止めがかかるどころか、ますます生態系の破壊が急速に進んでいます。種の絶滅スピードは恐竜の闊歩していた時代に比べ、1000倍になったとの報告もあります。既に赤信号が点滅しており、一刻の猶予もありません」
「人も生態系の一部でありませんか。このように人間勝手な行為を続けていて、行く行くは自分の首を絞めるであろうことが分からないのですか。愚かなことを、なぜ人間は止められないのでしょう」
「欲望の何物でもありません。もっと旨いものを食べたい、もっといい服を着たい、もっと快適な家に住みたい。もっと速く、もっと便利に、もっと楽しく愉快に……。もっと、もっと、もっと、と煽り、煽られ、自制できなくなっているのです」
「その通りです。これまで何度となく自制を促しても、欲望に傾いてしまうのです。欲に駆られるのは、人間の宿命で、最早、抑制できないと思いませんか」
 大神使は執拗に、遊に疑問を投げかける。今後、いくつもの困難が予想され、大神使は遊の使者としての覚悟を促しているようだ。
「お言葉ですが、抑制できないのではなく、抑制しなければならないのです。人類のためだけではありません、地球上の全ての生き物、地球そのものを守るために。地球を守るのもまた、人類の宿命と信じています」
 大神使は間を置いた。両目を閉じ、再度、見開いた。
「禁断のワクチンは必要と考えますか」
「はい」
「自制の神の元に行くには大変な困難が付きまとうはずです。やり遂げられますか」
「必ず」
「禁断のワクチンには当然、副作用があるでしょう。甘んじて受け入れますか」
「はい」
 大神使の厳しく簡潔な問いに、遊は身が引き締まり、削ぎ落された受け答えが自然と口をついて出た。大神使は予行演習をしているのかもしれない。自制の神の元ではより緊張し、さらに厳しく意思を確認されるだろう。
 大神使は穏やかな笑みを浮かべた。
「遊、頼みましたよ。頑張ってください」
「それでは、調査案は了解いただけたのでしょうか」
「大変、よくできていました」
 遊は大神使から調査案を受け取り、境内にいる仲間の元に駆け寄った。
「みんな聞いてくれ、阿玖羅命様の許可が下りた」
「よっしゃー」「でかした」「よかった」「うれしいのう」
 雷鷲、疾風、磨墨、亀吉、それぞれが褒めたたえた。
 遊は全員の顔を見回した。
「調査隊の名称はEW調査隊と命名します。英語のExtinct in the Wildの略で、意味は野生絶滅です。隊長は僕、上清水遊、全力で調査に励みますので、みなさん、どうかよろしく協力をお願いします」
「まあ、そう畏まらんでも。早速じゃが、まず、どの生き物の調査に行くつもりじゃ」
「ニホンオオカミにします。疾風、君の仲間です。捜索は困難を極めるでしょうけど、何としても最後の一頭を探し出してほしい」
「任せてくれ」
 疾風は低い声で了解した。
「用意はできたようであるな。それでは早速、過去の世界に誘おう。全員、拝殿の前に」
 大神使が境内に姿を見せ、遊らに指示した。遊は亀吉を両手で持ち、磨墨に騎乗した。疾風が左横に並び、雷鷲はケヤキの枝に止まっている。
「健闘を祈っています。全員、両目を閉じ、頭を垂れてください」
 大神使の阿玖羅命が呪文を唱え始め、厳かに境内に響き渡る。
 呪文が子守歌のように耳に心地よく感じ始め、穏やかな気持ちになっていく。体が浮遊したように軽くなり、呪文が徐々に遠ざかる。突然、凄まじい暴風に似た轟音とともに、後方から突風が吹き、磨墨が猛スピードで飛び立った。遊は必死で身を屈め、手綱を握り締めた。
                        その14、に続く。

その14:小説「遊のガサガサ冒険記」その14|磨知 亨/Machi Akira (note.com)


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