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小説「遊のガサガサ冒険記」その3

 その3、
「バケツを忘れているぞ、遊。早く持ってきて」
「そうだ、今、取って来るから」
 遊は家の裏の物置に走った。
 イリエスと遊は親子で1年ぶりにガサガサに出かけることになり、2人は車にタモ網や長靴などの道具を積み込んだ。
「よし、準備はできたな。今日は大物狙いで、渡良瀬川だ」
「でも、でっかいフナとか採れたら、今の水槽に収まらないよ」
「そしたら、大きい水槽に買い替えればいいさ」
 イリエスは車のアクセルを踏み、渡良瀬川に向かった。好天に恵まれ、車窓から吹き込む初夏の風が心地いい。
 昨晩、父イリエスの誘いに、遊は驚き、戸惑った。
(ガサガサって何で?今日、お父さんのことで嫌なことがあって……お母さんは話したのかな……だけど、お父さんのこと嫌いじゃないし、大好きなんだよ)
 遊が返事に困っていると、父は「入るよ」と断ってドアを開けた。
「友達と遊ぶ約束しちゃった?」
「ううん、してないよ」
「じゃ、父さんとガサガサに行こう。父さんも久しぶりに魚採りをしたくなったんだ。どんな魚が入るかワクワクしちゃってさ。だから行こう、なっ」
(ガサガサには行きたい。でも嫌なことがあって、堪えきれなくてお母さんに話して、涙がこぼれそうになって部屋に籠って。恥ずかしさもこみあげてきて、喜んで誘いに乗るのも何か気が引けて)
 そんなとりとめのない思いが交錯して、遊はあいまいに頷いた。
「よし、決まった。それじゃ行こう。明日、晴れるといいな」
 父はドアを開けて出ていこうとすると、振り向いた。
「お父さんもお母さんも遊のこと大好きだからね」
 父の言葉に遊は、今にも降り出しそうな真っ黒い雲に覆われた大空に太陽の輪郭がうっすらと見えるような気がした。
 渡良瀬川までは車で15分ほどの道程だ。産業道路を右折して、JR両毛線の下を潜るアンダーパスに出ると、道路はまっすぐ渡良瀬川にかかる鹿島橋を渡り、群馬県太田市に入る。
「今、水槽にはカマツカ、ヨシノボリにスジエビか。今度はどんな魚が欲しいんだ」
「ギバチが欲しいな、ナマズみたいで面白い格好だし、日本固有種なんでしょ」
「そうだ。でもギバチは少ないから、捕れるかな」
「ギバチって関西の方にはいないんだって、その代わりに、向こうには似たようなギギが住んでいるみたい」
「詳しいな。よく勉強していて偉いぞ」
「図鑑に書いてあったよ」
 イリエス家の居間兼台所の本棚には恐竜、魚、昆虫、動物などの図鑑26冊セットが収まっている。遊の3歳の誕生祝に、母・映見の祖父が「図鑑は好奇心を育むのに一番いい」とプレゼントした。就学前まで、遊の遊び場は映見の目の届くキッチンテーブルで、映見は家事をしながら、図鑑を見せたり勉強を教えた。
「よし、着いたぞ」
 イリエスは鹿島橋の手前を右折し、足利大近くの空き地に車を止めた。リアゲートを開け、イリエスはウエーダー、遊は長靴を履き、タモ網とバケツを手に持ち、渡良瀬川の土手に上った。
 河川敷は広く、手前の葦の茂みの中を松田川の流れが入り込み、中洲の林を挟んで本流が流れる。その遠方に秩父連山、川の上流部に目を向ければ赤城山が聳えている。
 その中洲の林からけたたましい鳥の鳴き声が響いている。
「あれって、外来種の鳥でしょう。何て言ったかな」
「ガビチョウだよ。この辺りにはカオジロガビチョウが多いんだ」
「最近、増えてるんでしょう。家や学校近くでも聞いたことある」
「特に10年前くらいから増えたらしいんだ」
「そんなに前じゃないんだね。何で外国の鳥が増えてしまったの」
「この鳥が初めて確認されたのが約30年前、あの赤城山なんだ。だれかが飼っていたガビチョウを逃がしたっていわれている。もともと中国、東南アジアの鳥なんだけど」
「日本の鳥に影響は出ているの?」
「よくわかってないらしい。でもハワイではもともと住んでいた鳥が追いやられ、深刻な影響が出ているみたいだ。日本でも危険な鳥として特定外来生物に指定されたよ」
 2人は土手を下り、川の岸に着いた。空きペットボトルやスーパーのビニール袋などが落ちている。
「よし、やるか。今日は大漁だよ、渡良瀬川だからな」
 父イリエスは遊に発破をかけた。
 渡良瀬川の源は栃木と群馬両県に跨る皇海山で、桐生、足利、佐野などを流れ、渡良瀬遊水地を経て、利根川に合流する。流路延長約107㌔。足利市内の市街地を流れ、市民にとって繊維織物業をはじめとする産業、歴史文化を育んだ「母なる川」だ。
 遊は葦の根元にタモ網を入れ、網を前後に揺らした。掬ってみると、網の底に枯草や汚泥が入っているだけだった。2度、3度と繰り返したが、生き物の姿は見えない。
「父さん、いないね」
「こっちもだ。何か、おかしいな。もう少し、本流近くまで行ってみるか」
 川を少し下ると、淀みがある。イリエスが岸辺の草をガサガサし、網を上げた。
「なんだ、こりゃ」
「何か捕れたの?」
 遊ぶが網の中を覗き込むと、体長3、4㌢の小魚が10数匹入っている。
「これって、父さん。外来魚だよね、あの問題の」
「そうだ、ブルーギルだ。全く、どうなっているんだ」
「これじゃハヤもモツゴ、メダカも何も、日本の魚は食い荒らされちゃう」
「全国的に事態は深刻だとは聞いていたけど、渡良瀬川もこんなにひどい状況とはな。こりゃ残念だけど、だめだな。違う川に行かないと」
 2人は網の水を切り、帰り支度を始めた。
 帰り際、石の上に1匹のカメがのんびりと体を休めている、目の後ろ側の赤い筋が見えた。ミシシッピアカミミガメだ。
「あれも外来種で、危険なカメでしょう。ニホンイシガメの住処を奪ったり、日本の魚を食い荒らしちゃうから」
「そうだ、主に米国などに生息し、日本では侵略的外来種ワースト100に入っている。ペットとして多い年で年間100万匹も輸入され、今では全国の河川、池などに800万匹も生息しているらしい。 鑁阿寺ばんなじの御濠にもいるんだから渡良瀬川にいてもおかしくはないけど」
「えっ、鑁阿寺の御濠にいるの」
「石や土手の上で日向ぼっこしているよ。国宝指定で足利の歴史文化を象徴する古刹にまったく不釣り合いなんだ。そうか、今度、見に行くか」
「別にそんなの見たくない。増えたのは、やはり飼っていた人が逃がしたのが原因でしょう、ガビチョウと同じで」
「父さんは見たことないんだが、昔は鑁阿寺の縁日なんかでミドリガメとして売っていたらしい。小さくて可愛らしいから、ペットとして人気だったんだ。だけど、大きく成長するから飼いきれなくなったり、飽きてしまった心無い人が川や池に逃がし、それが繁殖して増えているんだ」
「多分、殺すのが可哀そうで逃がしたんだと思うけど」
「まあな、悪意はないかもしれない。ブラックバスのようにモラルのない釣り人らが釣りを楽しむために意図的に放流したケースとは少し違う。でも、意図や意識があってもなくても在来種、ひいては生態系に影響を与えてしまっていることに変わりはないんだ」
「外来種だらけで、渡良瀬川はどうなっちゃうの」
 父イリエスは両肩をすくめ、首を傾げた。
 ガビチョウがまた、2人を追い立てるように騒がしく囀り始めた。
                         その4、に続く。

その4: 小説「遊のガサガサ冒険記」その4|磨知 亨/Machi Akira (note.com)


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