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巣立ちゆく 二十歳編

1992年 平成4年夏 造園組合訓練校、課題作文「この職業に着いた理由」だったと思う。


一歩、一歩確実に前へ進む


 京都の道を歩いていた。高二の修学旅行だった。かったるかった。その時あたりを見ると、自分の住んでる街並みとはぜんぜんちがう。そしてどこか寺に入った。庭があった。自分は今までとは別の世界にきたようだった。
 自分は「ガキ」のころから自然が好きであった。いつも学校から帰ると、裏山にでかけて行った。年中行っていた。毎日同じことをしているようでいて、でも違っているのだ。木に登ったり沼に入ったり、たまの日曜日は親父と登山に出かけたりもした。尾根を歩いていると木々の切れ間から、素晴らしい景色が見えた。頂上からの景色もいいが、途中で見る川や滝はなんとも言えない。
 こんなせいか、とにかく机に向かうのはきらいだった。またそんな仕事をやろうなんてさらさらなかった。
 高校生の自分はどんな職業につこうか考えていた。大工になろうかとも思っていた。そして高二になって修学旅行の時、思った。「これだ!」こんな物を造る人たちが世の中にいるんだ、と。それになんだか京都の街並みがやけにおちついているんだけども新鮮に見えた。そして、修学旅行も終わって帰ったが、どうも忘れられない。三年になった自分は今度は一人で行くことにした。
 春休み、京都のガイドブックを片手に、旅は道づれと友人も一人連れてきた。そして今度は色々な寺を見回った。感動した。小さいのだけれども、大きな自然が感じられる。なんだかすごい物を見た気分だった。そしてその時に「この仕事だ」と思った。ついでにここに住もうと。
 その後がやっかいであった。うちの学校は普通校だし、きっと自分みたいなやつはうちみたいな新しい高校からは出てないだろうと思ったら案の定、若い担任は困った。こうなったら全部自分でやるしかないと思った。次は夏休みに来た。でも盆休みでどこも休み。その時は、ある造園屋で話を聞かせてもらった。でもそれだけであった。そのまま三ヶ月ほどたって秋になった。今度こそと思って京都駅に着いた。緊張しながら造園組合に電話した。そして組合に向かった。着いて話をすると、自分のような人はあまりいないようなことを言っていた。そして「久保造園」を紹介してもらった。そして色々な話をした。本もいただいて、この時ほどわくわくしたことはあまりなかったと思う。うれしくてたまらなかった。今まで経験したことのない、別のところに行くから不安もたくさんあった。本を見ながら、いつもすごいと思いながら期待していた。そして植木屋という世界にも期待していた。それは親が植木屋というわけでもないので何もわからず、見たこともない世界に対してであった。どんなものを作れるのか、どんなふうに木を切るのか。
 そして春がきた。
 毎日が生まれて初めてであった。
 物覚えが悪く、礼儀知らずの自分は毎日叱られた。
 最初の一ヶ月、どうしたらいいのかわからず叱られてばかり。友人が訪ねてきたときはどんなにか心がおちついたか。
 一年たってようやく、まだまだかもしれないが少しずつ何かが分かってきた。
 この仕事に着く前、どんなに想像してもそれ以上に厳しいものだからと思って気にしないようにしていたが、やはり決して甘いものではなかった。昔に比べたらきっと甘いのだろうけれども、自分にとっては厳しい。
 でも本当にいい仕事を選んだと思う。覚えれば覚えるほど、奥が深くて楽しくなる。これほどに色々なことをやるとは思わなかった。
 今はまだ何も分からない。でも一年前よりも少しだけなにかが分かった。そしてもう一年たったら、きっともう少し見えてくるだろう。きっと見えたとき、自分はすばらしいことをすると思う。そう信じている。

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