見出し画像

「本当の偶然」をひとり体感できるのがリアル本屋、古書店や図書館なのかなって>わかりやすさの罪

「本当の偶然」と「まるで偶然」の違いついて考える。

偶然を他人または、あなたについて情報収集されて出てくるおすすめに預けることで「まるで偶然」が起こる。自分で探すコストは下がる。
けれどそこでカットされる「本当の偶然」の可能性は、積もると自分の視野を狭めることになるのではないか。


最近本について話す機会が増えて、言葉にしながら、自分が幼い頃からいかに偏ったジャンルの本を読んでいたかを自覚。
私の場合は選ぶ本は大人に与えられた訳ではなく自分の興味と生きるための苦肉の策でありましたが(マイノリティ自覚してた)、周りの大人の影響は大きくあるのだなと気づきました。


小学生では図鑑、錯覚、辞書、ファーブル昆虫記。
漫画は金田一少年の事件簿から始まり、浜崎あゆみさんの歌詞じっと眺め。家では女性誌、ゲーム攻略本。中学生では資料集や教科書。

自分が生物として正しいのか(セクシャルマイノリティ)を考えるため、身体の機微やアングラ本が多い印象


大人になってから読書家の方が小さいときに経てくる本たちを、まったく経てないことに気づき驚きました。それから意識的に小説を読むようにしていますが、どうしても偏るので笑、
仲良し読書家のおすすめ(おもしろくないものも含め)教えてもらい読むことにしています。


自分の興味外の空間や文章に触れることで、その意見を理解できずとも、さまざまな考え方があるのだと知れることができる。
コスパは悪いかもしれないけれど、「本当の偶然」をひとり体感できるのが、リアル本屋や古書店、図書館であるのかなって。


とはいえ、自分情報からつくられたおすすめ「まるで偶然」も、知らない本を教えてくれるので重宝しますよね。

とはいえ目的は自分がありたい姿に近づくこと。読書は手段。さまざまな方法組み合わせ、目的に至れるよう、
「本当の偶然」「まるで偶然」を双方経験しつつ、たまに失敗しつつ笑 やってゆきたいものです。


武田砂鉄著 「わかりやすさの罪」読んでいて、読むたびうーんと考えて自分なりに咀嚼して誰かと話したくなる本です。

今ならKindleだと50%ポイント還元みたいです。わお。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?