自画像

 自画像について。

 自画像とは、もちろん自分自身を描いたものだ。親類に絵を描く人がいるため、自画像がどう書かれているのかということはうっすら感覚がある。そのため、単純に今までよく描かれてきた自画像について話そうと思うと難しい。
 今回なぜこんな話題について書いているのかというと、儒烏風亭らでんさんという方が「Vtuberは新しい自画像だ」というようなことをとある配信で言っていたからだ。

 確かに、と思った。なりたい自分、自分に近い、けれどどこか違うアバターによって自分を表現している。そう考えれば、一種の自画像なのかもしれない。(もちろん素人の考えだが。)Vtuberに限らず、それに近いことは感じたことがある。
 例えば、インターネットによくある「代理」。これはほぼVtuberと同じだと思う。あまり変わらないので説明は省くが、絵師の方にこういった姿形で、と依頼して自分のSNSのアイコンにする。自分の代わりだから「代理」だが、これも結局自分に寄せるにしろ自分からは離れるにしろ、多くはアバターとして機能している気がする。
 また、先ほど挙げた配信でも少し触れられていたが、「自撮り」も加工やフィルターによって自分を演出している。これも同じような意味を持っている気がする。

 ところで、ヒトトギスは眼鏡をかけている。そのため、一部SNSのアイコンは眼鏡にしていたし、自画像を描いて、と言われたら眼鏡を描く。

 自画像とは自分の顔を描く…とは限らない気がする。これは知識がないのでわからないが、自分をそのまま描く以外にも自画像というのは描けるのではないだろうか。つまり、その事物の中に自分を見出した状態であれば、それは自画像となると考えている。

 この素人理論で考えたとき、作った楽曲さえも、生み出して離れたら他人でありながら、自分を表現したものであるから、自画像と言ってもいいのではないかと思ってしまう。
 多くの創作物は自分の経験や知識が影響して作られる。創作はもしかすると、自画像を描いていることと共通するものがあるのかもしれない。 

 「自分を見つめなおす」ことを通して自画像は描かれるはずだ。であればアバターも然り、創作物も然り。もっと大仰に言えば「自分との対話」なのかもしれない。



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