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小学校の卒業式

2021年3月24日。

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子の小学校の卒業式でした。
桜満開の中の門出。若い人たち、おめでとう。

卒業証書をもらう前の、一人ひとりが思いを語る時間がよかった。
支えられることと、支えること。
思いやりを持つことと、自分を大切にすること。
人を頼ることと、信頼関係を結ぶこと。
関わることと、それぞれであること。
努力を見ていてもらえることと、人を応援すること。
なりたい自分を描くことと、成就を祝福すること。
相互に起こる、二つの物事のつながりをこの人たちは学んできたのだ、と感じました。

うちの人が語ったのは、
「わたしはこの6年間、自分なりにがんばったと思っています。クラスのみなさん、わたしが学校に行けなかったとき、優しくしてくれてうれしかったです」
すべてがあの人らしく、立派でした。I'm proud of you.ってこんな気持ちでしょうか。

他にも、「辛かったことや苦しいことがあったけれど、周りの人たちが支ええくれて気持ちを整えることができた」、「怒りっぽかったけど、担任や支援員の先生のカウンセリングのおかげで怒りっぽくなくなり、友だちが増えた」、「委員会での失敗から、信頼関係を結ぶことの大切さを知った」と語った人もいた。キレイなことだけじゃない、辛かったと言えること、弱みを見せられることがすごいと思った。しかもこのような場で。

在校生代表からの「自分で選択したことでも辛くなることはあると思う。楽しかった頃を思い出して自分らしく進んでほしい」や、卒業生代表からの「列席された皆さんの健康と幸せをお祈りします」などにも勇気や励ましををもらいました。言葉を贈り合うのって、良いなぁ。

子は、1年生のときに買ったジャケット125サイズを卒業式まで着るんだとずっと決めており、式典用のズボンもがんとして買い換えに応じず、中学校の制服のスラックスでもOKということだったので、とうとう最後は、上はつんつるてん、下はぶかぶか、色も全然ちぐはぐな出立ちでした。まぁ、あの人らしい晴れ姿です。

感染対策ということで、その場でお祝いする必要のある人だけが集い、書面で代替したり、代読もなし、拍手なしでサクサク進行。
謝恩会もなし。
PTA卒対の方々が工夫して設えてくださったスライドや動画タイムはとてもよかった。素人でもサクッと動画が撮れて編集もできる、遠くの人ともつながりを感じられる時代。「本来」に戻る必要もなく、もうずっとこれでいいんじゃないかね。

唯一、歌だけは、「6年になってからみんなで一度も歌っていないのが悲しい」と子が言っていたのが、胸にささる。ほんとねぇ。音楽の時間からも歌が消えたんだって。

それでも、去年のことを思えば、卒業式が行われたことにまず感謝なのか。去年の卒業生が区切りを感じられず、「曖昧な喪失」と共に過ごされた、その心境を思いました。

ここまで生きられてよかった。子もわたしも。
やっぱり終わりがあるっていいな。
終わりがあるから、生を尊ぶことができる。