好きと嫌いを同等に扱う
著書『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』出版後にいろんな方と感想を交わしてきましたが、ふと、「好き・良い・心地よい」と「嫌い・嫌・不快」を同等に扱うことって大事だ、ということも伝えていることに気づきました。
なんとなく前者は良いもので、後者は悪いものという刷り込みが多くの人にあるように感じています。わたし自身、「好き嫌いがはっきりしている人」と言われないようにがんばってきた期間が長らくありました。好き嫌いがはっきりしているって、どこか偏りがあって柔軟性に乏しいような印象がありました。でも今は、「好き嫌いは時間や人生の経験と共に変化するという前提で」、自分の好きと嫌いを明確にするのはいいと思います。大事。好き嫌いがわかると、自分のいる環境や居場所を選んだりつくったりしやすくなるし、そこをよい状態に手入れする方法もわかるから。(『きみトリ』の「場のトリセツ」p.170)
「好きや嫌いに理由はない、理屈は必要ない」というフレーズもあちこちで聞いてきたような気がします。もちろん直感的に判断して即座に行動するときにはすごく大切なのですが、理由を敢えて述べたり、自覚することから得られることもまた大きいので、全ての状況に対して当てはまるものでもないと思います。
とりわけ環境や関係において「嫌」「不快」と感じるのは、自分の身を守るための大切なお知らせなので、無視しないほうがいいのです。
「まず自分の感情やニーズを見つめる。(ニーズについては、『きみトリ』p.110「怒りのトリセツ」に詳しい)相手の事情を想像したり、感情やニーズに共感するのはその後」
この新しい回路をたどる習慣を身につけたいし、お伝えしたい。
わたしに関して言えば、育ってくる中で、「相手の気持ちを考えよう(自分の気持ちはともかく)」という教育をずいぶんとたくさん受けてきたと思います。それが今は、「自分の気持ちをまず大切にしよう、そこから相手とのよりよい関係を考えよう。言葉で伝えよう」と盛んに聞かれるようになってきていて(少なくともわたしのいる世界では)、いい流れだなと思って見ています。
「相手の事情」を先に見に行くと、「自分が我慢をする」という目先の解決策に落っこちやすい。そうすると怒りを溜め込みやすくなり、溜め込んだ怒りは、ある日些細な出来事をきっかけに爆発して、その場にいた人を傷つけるという結果が待っていることが多いです。まずは自分が何を感じているのか、損なわれたニーズは何かを自分が見てあげることが大事。
人の話を聴くときも同様です。嫌い、嫌、不快の感情を聴き、「損なわれたけれど、ほんとうは満たしたかったニーズ」を探るサポートをする。話し手に相手の事情を見に行く余裕や意欲が生まれてから、はじめて言及する。そこを経ずに、一足飛びに「でも相手にはこういう事情があるでしょうから」「あなたにも原因があるのでは」と返すと、話し手からは反発しか出ない。そして往々にしてその反発の感情も話し手は隠すことになる。
「嫌の感情を出すことは恥ずかしいことだ」と聴き手にジャッジされた形になっているし、今ここで反発の感情を出すと恥の上塗りになるわけだから、徹底的に隠そうとするわけです。そしてまた、これも往々にして、聴き手は、話し手の内側でそんな葛藤が起こっていることなど気づかなかったりする。特に、雑談モードで盛り上がっているときに起こりやすいやり取りだなぁと思います。(わたしもしょっちゅうやってしまっている)
とはいえ、嫌な感情を聴きたくないときもあるし、ネガティブな言葉をなるべく受け取らないようにしている人もいるので、それもリクエストしてもよいのですよね。「今は聴きたくないです」とか「15分だけなら聴けます」とか。境界線の話でもありますね。(『きみトリ』p.150「人間関係のトリセツ」)
そう、NOとリクエストをセットで扱うことも大事!これはこれでまたひとつのトリセツ。
まずは自分が何を感じているのか、損なわれたニーズは何かを自分が見てあげる(NOを確認する)。そして相手の感情やニーズにも思いをめぐらしてみる。そして相手に対してどんなリクエストが可能かを考える。相手との間にどんな関係を結びたいかを考え、どういう行動をとるかを自分で選ぶ。実行し、その責任を引き受ける。結果を喜び、または悼み、一連のプロセスを振り返る。
こういう練習をたくさんたくさんできるといい。まずは大人が安心安全な場で練習して、日常の中で小さく実践できるといいなと思います。嫌をしっかりと感じ、何が嫌なのか自分で言語化できてはじめて、どう居心地よくできるかを考えられるようになる。嫌をぶつけるだけでなく、自分の大切なニーズとつながって、リクエストを出す。
わたしから見えている景色と、相手から見えている景色を出し合って俯瞰して見て、言葉や行動でコミュニケーションをはかりながら、お互いが暖かくいられる場所、出会える場所を探るような試み。こういうよい体験をたくさんしたいし、よい体験のシェアをどんどんしたい、してもらって聴きたい。
人と関わることを恐れず、それでいて自分を適切に守りながら、人と共に生きていくために。「好き」だけではなく、「嫌」や「嫌い」も同じように尊いという前提から共に始めたい。
そういうことも、『きみトリ』は伝えてくれているように感じています。
『きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ』稲葉麻由美、高橋ライチ、舟之川聖子/著(三恵社、2020年)
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