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都知事選挙に喧嘩っ早い「正義の味方」降臨!一方、喧嘩できない候補も!喧嘩しない政治家は成立しないのか?テクノロジーで政治は変わらないのか?


私の投票

現在、[百万件のクチコミが語るホテル顧客満足度と構造]なる記事を執筆中ですが、最近気になっていることを少し書きます。

つい最近まで都知事選が行われ、これまで無名だった石丸信二氏が得票数2位に躍進し、話題になりました。

仕事をするふりをして、一向に成果をあげない、そんな政治屋を一掃したい」(引用元)など述べ、政治家への深く強い不信感と怒りを募らせてきた我々市民の共感を呼び、台風の目になりました。

私自身、彼に深く共感、興味を持ち、小池現都知事・蓮舫候補・田母神候補を交えた4名の討論会にしっかり聞き入りました。

しかし、その結論 ⇒ 小池現都知事に投票する意思を固め、早々に期日前投票を済ませました。

石丸氏が都知事として、何をしようとしてるのか全く分からなかったからです。

「正義の味方」は「問題解決者」ではない

「正義の味方」としての石丸氏が人気を博してきたことは理解できます。「正義の味方」はいつの時代も人気者でヒーローです。

ところで「正義の味方」って何でしょうね?

(1) 世にはびこる悪を滅ぼす人
(2) 悪者を見つけ出し、懲らしめ、人々のうっぷんを晴らす人
(3) 他人様に「悪」のレッテルを貼り、その人物を執拗に残酷なまでに攻撃しながら、その行為を「正義」として正当化する人

いずれにせよ、悪者を批判したり、攻撃したり、無力化したり、滅ぼしたり、、しかし、そこまでですよね。その後の面倒は見ません。基本的に、正義の味方はファイターであり、破壊者です。

クリエイティブな正義の味方ってみたことないですよね(笑)。

戦いが終わったのち、荒れた戦場を整備し、インフラ・住居含め、戦前の平穏を再構築する役割は別の人物が負います。

一方、人々の「正義の味方」への『期待』は、

◇ 悪者を消し去り、幸福に満ちた世界を構築すること

です。つまり、「悪者を消し去ることで、(自ずと)、幸福に満ちた世界が訪れる」と信じているわけです。でも、そんなこと起きたことないですよね。例えば、悪者を消し去ることで、それまで大人しくしていた別の悪者が悪事を働き始めたりします。

「正義の味方」は破壊を得意としますが、例えば悪事ができなくなる仕組みを造るなどの創造的な仕事はトコトン苦手なのです。従って、過剰な期待は禁物です。

「正義の味方」が悪者を退治した事例は日本の歴史に多々あります。私の場合、鮮明に思い出されるのは2009年の夏の出来事です。

「正義の味方」鳩山由紀夫率いる民主党軍団が、「悪党」麻生太郎率いる自由民主党を完膚なきまで叩きのめし、正義の民主党政権を樹立しました!パチパチパチ!

しかしその後、「正義の民主党政権」は日本国民のトラウマになっていきます。結果、現在の自民党が如何ににやらかそうとも、日本国民は政権交代を選ぶこともできない状況に陥っています。

「正義の味方」は「ぶっ壊す」ことはしますが、「より良いものを構築する」ことまでしません。と言いますか、多くの場合「より良いものを構築する」能力を持ち合わせていません。

そもそも、候補者たちが、選挙を通して「より良いものを構築する」能力を実証するとか、訴求する姿を見たことが無いですよね。ましてや、我々有権者が「より良いものを構築する」能力を確認したうえで投票するなんてことしませんし。

しかし本来、小池都知事のような現職でない限り、対立候補なら「小池現都知事より、より良いものを構築する」構想力と実現能力を見せてもらわないと話になりません。我々もそれを確認したうえで投票すべきです。

しかし、そうなっていないのが、日本の政治がポンコツである原因ですね。

民主党の流れをくむなんちゃら民主党が掲げる「正義」やら「改革」やらには誰も見向きもしませんが、新手の「正義の味方」にはコロッと騙される市民が少なくありません。要注意です!

「何をする!」だけでなく「どうやって実現する」まで見せてくれないと!

候補者はマニフェストなり公約で「(当選の暁に)自分がやること」を宣言するのですが、今回の選挙でもそうですが、実際、あまり話題に上がることはないようです。マニフェストや公約がどうであれ、その候補が「本当にそれを実現できるのか?」はまた別問題だからです。

とは言え、実現可能性まで中々説明しきれるものではありません。

そんな中、選挙が終わってから気付いたのですが、と言いますか、ほとんどの人がそうだと思いますが、安野たかひろ候補が非常に興味深いマニフェストを作っていました。

そのことに気付かせてくれたのは、早稲田大学マニフェスト研究所による「東京都知事選挙2024 マニフェスト比較」であり、これを報道したマスメディア記事でした。

安野氏はAIエンジニアであり、生成AIを核とするツールを選挙戦の中でもフル活用し、確かな実務能力を実証しているわけですが、彼のマニフェストでは彼の構想の実現手段として、これらのようなAI活用を挙げていたのです。

彼は(自然言語処理可能な)AIを活用し、市民の意見やおそらく「市民の知恵・アイデア」まで活用する新たな民主主義を構想しているようです。また、繰り返しになりますが、彼は選挙戦を通し、生成AIを核としたツールを開発、活用し、多様な意見をマニフェストに盛り込み、更新しています。

つまり彼のマニフェストは絵空事ではなく、実現可能性について信頼できます。また重要なことは、あらゆることを自分でこなすのではなく、協力的なチームを構築し、協働し、不可能を可能にしていることです。

「一人にならない」「他人(チームメンバー)の意見や知恵を活用する」こと、言わば「三人寄れば文殊の知恵」の実践は、特に知的生産とか問題解決の場面で、極めて重要です。

我々は、時折「おバカ」にしか見えない政治家の言動を目にします。あくまで私の推測ですが、その背景に「独断」「独善」があるように思われます。

「一人になる」ことはとても危険なのですが、日本の政治家は「一人になる」傾向が高いように思われます。政治家と言えば権力者であり、権力者に「物申す」ことを遠慮することが日本の文化に根付いていると思われるからです。結果、日本におバカな権力者が多数存在してるように思われてなりません。

日本と言う国は、世界の中でも例を見ない、長期にわたる「経済の停滞」に悩まされているわけですが、私はその原因は一体何なんだろうか?とよく考えるのです。あくまで仮説ですが、上記メカニズムのもと、日本におバカな権力者・知識人・学者が多数存在しているせいではないかと疑っています。

AI利用で、マニフェストの読解も容易に!

安野氏のマニフェストもそうですが、マニフェストという分厚い文書を読解することは結構な労力・集中力が必要です。従って、今後いかに選挙候補者が優れたマニフェストを用意したところで、ほとんど読まれず、「選挙に勝つ」ことに貢献しない、と考えられます。しかし、これは「自然言語処理可能なAI(chatGPT等)以前」の話です。

既に知られているように、安野氏は自分のマニフェストを学習したAIを利用し、「安野候補が当選した暁にすること」を質問に応じて回答する「AIあんの」を公開しました。

このようなものがあれば、100ページを超す安野氏のマニフェストを熟読する必要は無く、AIに自分が関心を持っている問題に関して問いかければ良いのです。

「安野氏はこれを取り組むべき問題として認識しているのか?」「認識しているならどのように対策することを考えているのか?」「優先度についてどう考えているのか?」とこちらから能動的に問いかけできます。

分厚い資料を「読む」ことは基本的に受動的で退屈で苦痛ですが、自分の知りたいことを問いかけ、回答を受けて、さらに対話を深めていくことは「興味」に駆られての能動的なワクワク体験であり、分厚い資料からくる圧迫感も苦痛もありません。

実は、Bingと言う検索エンジンで「石丸信二 マニフェスト」と入力しますとcopilotと言う名のAIが立ち上がり、マニフェストの要約を出力してくれ、またマニフェストの内容に質問すると回答を生成してくれます。私は実際に「AIあんの」を体験したわけではありませんが、恐らくこれに近いものをcopilot経由で体験したわけです。「分厚い資料」の圧迫感を全く感じることなく、マニフェストに触れることができました。

AIと言う強力なツールを前提に、今後は「候補の知名度勝負」などではなく「マニフェストの充実度と信頼性(実現可能性)」が選挙戦のカギになるのでは?。。そうなって欲しいと思っています。

人の尊重こそ、理想実現のカギ

「最新テクノロジーの活用」というと何か冷たい印象がしますし、彼の外見も手伝って、ヲタクな感じもします(笑)。

しかし、彼の奥様がまたチャーミングな方で、しかも演説スキルも高い方ですが、彼女曰く「安野たかひろは喧嘩ができない」「安野たかひろの口から人の悪口を聞いたことが無い」とのこと。とても穏やかな人柄と察します。

彼のマニフェストも彼が一方的に書いたものと言うより、彼のもとに集まった人々や一般市民の意見を盛り込んだもののようです。

つまり、自己主張の塊のような人物からほど遠い、「より良いものを周囲の協力の元、創り上げていく」ことに喜びを覚えるタイプの人物と思われます。

彼は工学部出身者ですが、実は、彼ほど著名な大学出身ではないものの、私も工学部出身です。会社員時代、いっしょに仕事をした同僚も技術系出身者が多かったのですが、ほとんど誰とも対立した記憶がありません。他の同士がもめてるのも見たことがありません。

もちろん、無駄な対立を避けるための努力や熟考は惜しみませんでした。決して「事なかれ主義」を背景にした平和ではありません。

自分がたたき台を作って議論し、議論を通してたたき台が磨き上げられ、より良いものを作り出すまでが典型的な私の仕事のやり方で、決して「完璧なたたき台」を提示することが私の役割では無かったです。むしろ議論のとっかかりを作る狙いでたたき台に「突っ込みどころ」を残しておくくらいでした(笑)。

おそらく、「衆知を集める」式のこんな仕事のやり方をする組織や人は少なくないと思いますし、恐らくそういう組織は優れた成果を生み続けていると思います。

一方で、議員が居眠りをしたことを罵倒したり、議会と対立したりする首長は、この民主主義の国で優れた成果を上げることは可能なのでしょうか?

ある学問分野においては〇〇派と△△派が意見対立している、と言ったことが起きるようですが、科学・技術の世界では聞いたことがありません。

むしろ、ソフトウエアの世界では、自分が造ったツールを無償公開したり、積極的に他者に利益提供しようとする文化もあります。

私は工学部出身とは言え、ソフトウエア系ではないので、彼らの動機はよく存じ上げませんが、自分の作品を他者が重宝していることを見ることで自分の能力の現在地を確認している?。。仮説ですが、そんなところでしょうか?

いずれにせよ、人は「活かされている」状況で活性化します。決して「罵倒されることで奮起」するのではありません。

安野氏式の民主主義が実現したら日本の未来は明るいかも!

ここで詳しく解説するなんてことはしませんが、安野氏が都知事としてやろうとしていたことが如何に素晴らしいか、その一端を知るにはNISHIO様の記事「ブロードリスニング:みんなが聖徳太子になる技術」が分かりやすいか、と思います。

おそらく、大量のテキスト情報を類似性の高いもののグループに分類し、そのグループの規模(グループの成員数=市民の声の件数)と要約を出力する技術のようです。

確かにこんな技術があれば、大量の市民の声をあっという間に要約し、どんな声が多いのか把握できてしまいます。まさに「みんなが聖徳太子になる技術」です。

しかし、現在の成功者(権力者)は自分を成功させてくれた環境・前提が変わることを恐れます。彼らは安野氏式の民主主義を恐れるでしょう。またこれは議員の役割を一変させますから、議員も恐れるでしょう。

しかし、現状の議員の仕事は頻繁に眠気を誘う退屈なもののようです。これがやりがいのある仕事に変わるとしたら、話は違ってくるかもしれません。

市民の要望を聖徳太子のように賢く把握できていても、その対応策は自動的には出来上がってはきません。そこでAIの手助けを受けるにしろ、知恵を絞り、対応策としての、条例なり法令なりを創り上げるのは人です。そんな仕事ならば睡魔に悩まされることも無いでしょう(笑)。

いずれにせよ、議員は最初は反対するはず。だからと言って、彼らを「悪者扱い」したら、その時点で、終わります。

人と人が尊重し合い、活かし、活かされる社会が実現されたら、その社会は幸福になるでしょうし、不可能を可能にする強く、競争力あるコミュニティになり得ます。

なんとかこの日本のどこかで「安野氏式の民主主義」が芽吹いてくれますように!

その実現手段まで頭が回ってませんが、安野氏やその仲間たちに期待し続けたいと思っています。


補足:
◇ 記事で使用されているイラストはDALL-E(chat-GPT)を利用し作成しています。



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