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※【非公開ツイート】からも転送されます。

 Twitterの「非公開ツイート」機能の俗称。この機能を使用することを「鍵を掛ける」とも言う。
 使用するとそのアカウントのツイートが閲覧できるのはフォロワーに限られ、また新たにフォロワーになろうとしても直ちにはできず、リクエストが送られ本人の許可を待つ形になる。

 フェミニストが2021年3月の中旬まで、あらゆる「不快な表現」にもとめてやまなかったものである――同月下旬、歴史学者の呉座勇一氏によってとあるフェミニストが鍵垢の中で批判されていたことが判明した時から「卑劣極まりない陰口」の方法ということになる、その時までは。

 つまりフェミニストが何を卑劣とし、何をあるべき配慮とするかは、彼女らの勝手な都合でいくらでも切り替えているということである。

 その実態を振り返ってみよう。

例1:エロ漫画を投稿する奴は鍵を掛けろ。

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 ちなみに、そんなツイッタールールはない。アイコンやヘッダーに過度に性的な画像を用いることは禁じられているが、投稿する画像にはたとえ18禁にあたるほどの性的な漫画であっても、せいぜい「センシティブ設定」をつけることを求められる程度である。
 また画像で言及されている作品は、実際はエロ漫画ではなく【ななかまい】氏の全年齢向け作品であり、フェミニストが間違えている。同項参照。

例2:【小児性愛】を告白する奴は鍵を掛けろ。

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 悪戯をするために児童を誘い出すような発言を指しているのではない。私は小児性愛者であるという言明そのものを鍵垢にしろと言っているのだ。
 ここで批判されている人も、【ラブドール】などで自身の欲求は満たしており、実在児童に危害を「加えない」旨の言明をしているにもかかわらず、それを一般人に伝えるなと言っているのである。

 小児性愛であれ何性愛であれ、そんなことが強制されればその人々に対する偏見を当事者たちは決して訂正できないことになり、差別的偏見とそれに基づく加害、さらにはその法制化に反対する政治的な言明さえもできないことになる。

 なぜ小児性愛を告白してはいけないのかというと「小児性愛者が存在することを知ることで親や保護者に恐怖を与える」からだという。この言い分がいかに嘘であるかは【トイレ暴行都市伝説】を参照。

例3:性被害冤罪の可能性を指摘する奴は鍵を掛けろ。

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 本当にそんなことをしたら、鍵垢の外の世界には冤罪に警鐘を鳴らす者が誰もいなくなり「女が、被害者が、遺族が、やられたと泣いて言ってるんだから本当だ」という空気が今以上に蔓延するだろう。

例4:エロ絵だけでなく差別発言にも鍵を掛けろ。

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なお何が「差別発言」かの判定者はフェミニストやポリコレ信者のもよう。

例5:萌え絵、馬の写真そのほか全ての不快な表現を発信する奴は鍵を掛けろ。

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 なお馬の写真については【基本的馬権】を参照。
 また「フォロワーのみの設定」というのはすなわち鍵垢のことなので、別物として書いているこの人物(残念なことに【社会学】者である)は、ツイッターのシステムへの理解が不十分なようだ。


 ようするに、フェミニスト達は自分達にとってのありとあらゆる「不快な表現」を発信する者に「鍵垢」を要求してきたのである。

 しかし、フェミニストであるsaebouこと北村紗衣氏が、鍵垢の内部の会話で批判されていたことによって、彼らの鍵垢への評価は逆転たちまちにして「本人に反論権を与えない卑劣な陰口」へと変更されたのであった。ちなみに呉座氏は北村氏を「ハブる」ために鍵垢にしていたわけでもなんでもなく、元々鍵垢であったに過ぎない。
 しかしフェミニスト達にとって困ったことに、そもそも呉座氏の発言は「それ根拠あんのか?」のような、ツイッターではごくありふれたツッコミや批判が多く、単体で問題にするのは困難であった。そこで「鍵垢は卑怯」という、今まで影も形もなかったどころか、今までのフェミニストの言動に相反する新ルールを創作して、「合わせ技」で有罪の空気をつくるしかなかったのである。

 では、なぜ鍵垢は卑怯なのか?
 そのために「批判の”被害者”に反論権が与えられていない」という理屈を彼女らはひねり出した。
 それならフェミニストは他人を批判するにあたって、反論権を保障しているのだろうか?

 残念ながら、まったくそうではない。当の北村氏でさえ、である。
 以下のツイートをご覧いただきたい。

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 これは槍玉に挙げられた呉座氏の発言の一つである。呉座氏は「さえぼうの権利主張こそ」と言っている。私はこのツイートの画像がタイムラインに流れて来た時、不審に思った。「こそ」というのは、まるで北村氏が誰かを批判したことに対して「お前こそどうなんだ」と言われているような口ぶりである。そして実際、その通りだったのだ。

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 このツイートは、北村氏が学習院大学の卒業生答辞を批判したときのものであった。
 もちろん、ここで北村氏がツイートに何を書いたところで、当の卒業生に通知がいくはずもなく、全く反論権など想定されていないのである。

 つまり北村紗衣氏は、自身が他人に反論権を保障することなくこの学生を罵倒しておいて、それに対する自身への批判は「コソコソやるなんて卑怯!」と言い張っているのだ。

 また、相手の反論権を奪って批判するのに使えるツイッターの機能は「鍵垢」ばかりではない。
「ブロック機能」もそうである。ブロックとは自分のツイートが特定の相手から見えなくする機能のことだ。
 これを見ていただきたい。

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 これは呉座氏が筆者(ヒトシンカ)と仲良くしている、と思った彼らが、私をブロックしたまま――つまり私にはなんらの「反論権」も与えられることなく――私との親交そのものを悪と触れ回っているツイートである(ちなみに実際には親交と呼べるほどのものはなく、【#TOKYO女子けんこう部】の件で呉座氏がいちど私のツイートに肯定の引用RTをしただけである。そのとき呉座氏は鍵垢だったので私の方はその事実さえ知らなかったのだが)。

 そう、つまりフェミニストには「反論権」などどうでもよかったのだ。
 すべては単に、呉座氏の鍵垢での批判を「卑劣な行為」に仕立て上げるための猿芝居に過ぎなかったのである。

 そして、もしこのような認定が「ルール」「マナー」として定着してしまったらどうなるか。
 ツイッターでフェミニストに「差別表現」と言い掛かりを受けた絵師が、鍵垢に避難するのはよくあることである。
 もし鍵垢での批判が「陰口」「卑劣」であれば、被害者である絵師が鍵垢でフェミニストへの不満を述べるだけで、逆に「イジメ加害者」に仕立て上げられてしまうことになりかねない。加害者と被害者の逆転現象だ。
 
 不幸なことに、日ごろ「表現規制反対派」として鳴らしているはずの人物(たとえばネット論客の青識亜論氏)のような人物までもが、この「鍵垢は相手に反論権を与えない卑劣な陰口」というレトリックに乗ってしまっている場合がある。

 それが全くの間違いである、ということを読者諸賢はぜひ頭に留めておかれるよう、お願いしておくものである。

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