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【不快だから言っているのではない】

 表現規制を感情論ではないと弁護するためによく言う台詞。フェミニズムの非論理性が暴かれ、そこかしこで「お気持ち」と揶揄されるようになった現在、特にフェミニスト達に需要がある。
 その後には「性的消費」だの「公共の場」だの「累積的抑圧経験」といった『不快感以外の排除理由』の言い訳が続くことになる。

 ちなみに、このようなニーズが生じる以前、1980年代から女性に対するいわゆる差別語を「不快用語」と普通に呼んでいた。これは障害者差別問題で当時いわゆる差別用語を「不快用語」と称していたのを踏襲したものである。
 1990年の書籍『ポルノウォッチング』(行動する女たちの会編)ではフェミニスト達自身が次のように「不快」という語を使ってしまっている。

 端的に言って、私たちは、このポスターはイヤだ、この広告は不快である、と声を上げているわけなのですが、確かに何らかの規制を求めるならば「ひどい順に告発しなければ説得力がない」でしょうが、私たちは警察ではありません。ポルノショップでもっとも悪質なものを摘発するのとはわけが違います。私たちが現在対象としているのは、あくまで日常生活の中のポルノであり、したがって何が一番ひどいかなど順序のつけようもありません。

行動する女たちの会編『ポルノウォッチングーメディアの中の女の性』学陽書房



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