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 1931年から雑誌『少年倶楽部』に連載され、国民的大人気を博した田河水泡の漫画作品。戦前における漫画ブームの起爆剤となった。
 擬人化された犬の軍隊における、のらくろこと「野良犬黒吉」の生活を描いた作品である。

 なお「のらくろ」は正式名称ではなく、『のらくろ二等卒』から始まり、主人公の階級や状況によって『のらくろ上等兵』『のらくろ伍長』『のらくろ軍曹』など様々なタイトルで発表された作品群の総称である。

 戦前~戦後を通じて作品は発表されているが、1941年にいったん「打ち切り」に遭っている。国民的大ヒット中であったにもかかわらず打ち切られたのは、政府の要求によるものであった。
 作者・田河は1941年、真珠湾攻撃の数か月ほど前に商工省の役人に呼び出され、『のらくろ』の連載終了を要求されたという。ただしその理由は、たとえば本作の作中で反戦平和を訴えたというような話ではなく(そもそも主人公たちは軍人である)、「紙の節約のため」であった。
 早期決着の目算であった日中戦争が長引き、日本では物質欠乏で印刷用紙も統制状態にあった。雑誌など「用紙割当て」と称する紙の配給を受けなければ出版できない状況であったのである。大ヒット作であった『のらくろ』が終了すれば『少年倶楽部』の売れ行きは落ち、紙の節約ができるという政府の都合である。商工省は田河に、連載を続けるなら『少年倶楽部』への用紙割当てを打ち切るという圧力をかけたという。
 繰り返しになるが真珠湾攻撃の前の話である。つまりまだ日中戦争だけで、太平洋戦争の方は始まってすらいない時代でさえこうなのだ。戦時中の物資欠乏がいかに深刻なものであったかが、この一時からも伺い知ることができる。

 ただし純粋に紙の問題だけだったのかというと、そうではないのではという指摘もある。
 田河は1938年、内務省警保局が行っていた児童読物浄化運動という漫画弾圧運動に対し、漫画擁護論を唱えていた。そのために睨まれた可能性があることを、編集者の赤田祐一氏は『定本消されたマンガ』の中で述べている。

 なお『のらくろ』は戦後再開している。

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