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※【オペラ・コミック座天井画「虚構に生気を与える真実」のための素描(1)】【裸体婦人像】からも転送されています。

 1901年、「第6回白馬会展」に出展された黒田清輝作『裸体婦人像』と、その師であったラファエル・クラン作『オペラ・コミック座天井画「虚構に生気を与える真実」のための素描(1)』に対し「風紀を乱す」として警察が介入したため、絵に布を掛けて裸婦の下半身を隠すことで対応したという事件。

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黒田清輝『裸体婦人像』
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ラファエル・クラン『オペラ・コミック座天井画「虚構に生気を与える真実」のための素描(1)』
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当時の展示光景

 本件直後の時期、黒田清輝は裸婦画を描く際には最初から腰巻を付けた形で描いていたという。
 この件につい当時から与謝野鉄幹・石井柏亭らをはじめ美術・文化界から強い批判を浴びた。大正5年11月17日『美術新報』は「笑ひ話の種となつた」と記している。

文展の裸体作品問題-裸体画問題に就て 

 裸体画の問題は随分古めかしい問題で彼の明治美術会時代にも専門家の間に色々論議せられた事もあるさうであるが表向きに問題と為つたのは明治二十八年の京都の博覧会の時であつた。其時の審査総長は九鬼男爵閣下であつたが断然諸種の非難を斥けて〓に始めて日本の美術界に公然裸体画が現はれることとなつたのである。其時の議論は裸体画其ものが第一の問題で今日のやうに裸体画の中でどれが不都合だとか又は如何なる種類の印刷物には裸体画を掲載してはならぬとか云ふ刻んだ話ではなかつたと記憶する。其後色々変遷して今日に至つたのであるが先づ明治二十八年から五六年の間は問題は起らず裸体画が無事に展覧会に陳列され新聞の新年附録などにも裸体画の出たことがあつた。尤もこれ等の附録で覚えて居るものは決して劣情を呼び起すなどと云ふやうな種類のものではなかつた。明治三十四年の秋に俄にまた裸体問題が起つた。此時の事は今の青年画家達の記憶にも存して居るであらうが彼の笑ひ話の種となつた腰巻事件はこの時であつて座して居る婦人の裸体画の下半分を海老茶の布で巻き一二寸大に描かれた男子の後ろ向きの腰部までも布で覆ふた。これは云ふ迄もなく其当時の警官の命令であつたが流石にそれ以来は斯様な極端な処置はなかつた。
 此風教上より美術品を見て制裁を加へると云ふ事は一に其筋の人の見込みに依る次第で一度び斯様に認めると言はるれば此一言に対しては最早誰も如何ともすることは出来ない事になつて居るそうであるから前の様な滑稽な事も非常な権威を以て実行される事になる。此度びの裸体問題に就ては初め極端に乱暴な命令が下つた様に伝へられたが段々委しく聞いて見ると実際はそんな事ではなく至つて穏当な話であつたらしい。印刷物に複製する事でさえも例へば文展の図録などへ裸体画を掲載するの如きは決して差し留められたのではないと云ふ事を聞いた。実にそうある可きことであると信ずる。
 吾々も如何なる裸体画でも美術品と云ふ仮面を被りさえすれば少しも風教に害はないと云ふやうな事は言はぬ。又原画は神聖なものであつてもこれが複製を悪用する段に於ては真に憎む可きである。だから円満なる智能を有する当局者が居られる時には何も云ふ事はないがそう云ふ時ばかりはない事は今までの歴史でわかつて居るから裸体画問題に就ては要するに其取扱ひ方即ち鑑別検閲等の制度が将来のために充分考究される事が今日の急務ではなからうか。

大正5年11月17日『美術新報』

 明治時代、西洋美術のヌード作品が日本に入ってきたことによって起きたこうした論争を「裸体画論争」と呼んでいるが、そのテーマとなった代表的な事件のひとつである。

 また2014年には「平成の腰巻事件」と呼ばれた事件が起こっている。
 これは愛知県美術館「これからの写真」展で、鷹野隆大による男性のヌード写真【おれと】シリーズに対し、県警が撤去を求め「このまま続ければ検挙」だと伝えられたため、腰巻事件と同様に下半身が写っている部分を紙で覆ったという事件である。

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