本来は、性的侵害を伴った暴力行為のこと。強姦が典型である。
ただしフェミニストはこの性暴力という言葉の語義を野放図に拡張して使用する傾向にある。
『岩波女性学事典』(2002)には次のようにある。
表現規制にまつわる議論においては、気に入らない表現に「性暴力」のレッテルを貼ることによって、クレームや規制要求を押し通そうとする、というのが現代のフェミニストの常套手段になっている。
典型が「性表現」「エロ」に対する狭量さを批判されたフェミニストが「エロが悪いと言っているのではない!性暴力を批判している!」と言い返すというものであるが、そもそも(上記事典によると狭義の)「性暴力」は「暴力を含んだエロ」である上に、暴力を含まない性表現に対してもフェミニストはバッシングを日常的に行っている以上、自己申告はどうあれ「性」「エロ」そのものへの敵視が否定できない。
すなわち実際には、フェミニストはその自己申告に反し、「性暴力」が嫌いなのではなく、エロが嫌いなのである。
しかし「性暴力」に極めて悪いイメージがあるため、フェミニストは不誠実にもこのレッテルに執着する。
悪質なケースが男性を装ったフェミニスト女性とみられる人物による【ぼくたちは/男子たちは 狼なんかじゃない。】というネット署名運動である。この運動における「性暴力」の定義はこうである。
「週刊少年ジャンプ」及び「ジャンプ+」に掲載される作品の中で描かれる「エロ」と「性暴力」について、編集部サイドはその二つを切り分けて、「性暴力」表現をしているページには性暴力に関する注意書きをコマ毎に注記するようにしてください。
これは本来の性暴力はおろか、上記の「広義の性暴力」にすら当てはまらない。
いかにフェミニストというものが「性暴力」の定義を勝手に、野放図に広げているかということである。他にも「萌え絵は性暴力と結びついている」というような暴論はネット上のフェミニストに愛用されている。
「性ではなく、『性暴力』がいけない!それは犯罪だ!」とフェミニストは叫ぶが、当然ながら犯罪や暴力がフィクションで描かれるのはごく普通のことである。
そのような指摘を受けたフェミニストが常用する言い逃れが「殺人や強盗は社会的に悪であることが認知されているが、性暴力は社会的に許容される雰囲気がある」というものだ。しかしこの主張は端的に嘘である。
性暴力には、通常の暴力や犯罪以上に「卑劣で変態的で邪悪なこと」というイメージがある。
だからこそフェミニスト自身、気に入らない表現へのクレームに「性暴力だ!」というレッテルを貼るのを好む。
もし本当に性暴力が「社会的に許されている」のであったら、フェミニストは嫌いなものへのレッテルとして性暴力を用いないはずである。フェミニストのこのようなレッテル貼り行動そのものが、性暴力がいかに社会的に悪いものとされているか、そしてフェミニストがそのことを知っていて嘘をついているか、ということの明らかな証拠なのである。
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