【わきまえる】
本来の意味は「物事の道理や違いを分かっている」ということ。
2021年2月3日、当時の東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長である森喜朗氏が、日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議会で次のように発言した。
これ以降、主にフェミニストを中心とする左派系のアカウントが「わきまえる」という言葉を「差別や悪しき権力に迎合して沈黙する」という意味で使い始めた。雨後の筍のように湧き出したハンドルネームの接頭語。
これが付いているアカウントは、いわゆる「左翼的」なバイアスが極度にかかっている――すなわちフェミニズムやBLMといったキャンセル・カルチャーに親和的な人物であると考えてよい。
彼ら的なニュアンスでの「わきまえる」とはという感じである。
ちなみに、森喜朗氏はそのような「迎合して沈黙する」などという意味で使ったのでは全くない。朝日新聞によると、実際に発言は以下の通り。
明らかに森氏の言わんとした「わきまえて」いる女性とは、要点を得た話ができるという意味である。お話そのものをしないことではない。
しかしこの発言を曲解した結果、フェミニスト・左派は「わきまえる」という言葉を否定的に使い始める。そして自分達を「わきまえない女」などと自称するとともに、「わきまえる」「わきまえた」を「我々に賛同しない奴」に対する罵倒語・侮辱語として使うようになった。
特に森氏発言の直後はハンドルネームに「わきまえない○○」と書く者が雨後の筍のように出現した。
残念ながら「わきまえない○○」を自称する多くのアカウントは、左翼的な「差別や権力悪に屈せずに発言する」という意味ではなく、まさに森喜朗氏が本来意図した「要点を得た発言ができる」という意味での「わきまえ」こそを、できていない現状がある。
ところで2021年1月以前、まさにこうした人々が「わきまえない」を付けて非難していたカテゴリの人々があるのを御存知だろうか?
それは「オタク」である。
このように彼ら自身が「自分が気に喰わない表現」を「わきまえない」とレッテルを貼ってきた。
そして、今現在彼らが使っている意味での「わきまえ」――すなわち「沈黙」「表現しないこと」を要求していたのである。
手のひら返しここに極まれり、である。
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