『否認の病』2024-05-30
前回のnoteで、京急蒲田駅とサントリーおよび地元商店街のコラボ、そしてASKという依存症者団体について取り上げた。
実はこのASK側をX上でプッシュしていたある人を、センサイクロペディアで取り上げたことがある。
菊池真理子氏――『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』の作者である。彼女の同作は、とりあげた宗教団体のひとつである幸福の科学の、集英社に対するクレームによっていったん封印されることとなった(のち文藝春秋社から刊行)。
その菊池氏が、蒲田のキャンペーンについては「あたしの弾圧はきれいな弾圧」といわんばかりの『表現規制派』になってしまったことで、かつて菊池氏を応援した表現の自由派のなかには、深い失望を覚えた人もいたようである。
ちなみに私は、フェミニズム関連でさんざん「いったん味方になった女性が、自分がキモい表現を目のあたりにすると掌を返す」というケースを見てきたので、女性とはそういうものなのだろうと諦観している。
それはともかくとして、菊池氏が京急蒲タコハイ駅をアウト認定したのはなぜか。
その理由は、彼女の父親がアルコール依存症であったことに起因するらしい。ちなみに以前の宗教2世問題についても、やはり母親が宗教にはまっていたことが原因のようだ。
酒の話に戻ると、菊池氏はあまりアルコール問題について客観的視点をお持ちでは無いようだ。
1つめ。
原因「日本は諸外国と比べて、アルコールや薬物の問題が少なくてすごい。
↓
結果「でもそのために、依存症になってしまった人の回復や、予防策の面はちょっと弱い。」
2つめ。
原因「「だったらテレビCMはどうなんだ」「看板は」という声もありましたが、もちろんずっと前から要望を出してくれていて、昔とは宣伝の仕方が変わっています。」
↓
結果「そういった働きのおかげで日本の依存症者数は、このくらい。」
1つめと2つめのポストで、「日本のアルコール依存症の現状」と「その予防策」の因果関係がまるで逆転していることに注目していただきたい。
なお、もしも菊池氏の2つ目の主張のように、「宣伝を変更したおかげでアルコール依存症患者が少ない」のであれば以前は多かったはずだが、実際は横ばいである。
そして3つめ。これもまた言っていることが変っている。
異常な寛容さ?
アルコール問題が「少なくてすごい」となるほどに宣伝に厳しくしたのでは無かったか?
そもそも、イベントとして「公共の場」に一時的に酒場を設けるということは国際的にも何もおかしくはない。日本でも時折「公園」という押しもおされぬほどに公共な場で開かれる、オクトーバーフェスト(ビール祭り)はドイツ発祥ではないか。
どうも菊池氏は、アルコール問題の被害者本人であるにもかかわらず、その信頼できる語り手とは呼べないようだ。
おそらく依存症問題を通して彼女に関わった人達は「酒に酔った父親に殴られて育った娘」としての、世にもカワイソウな存在である彼女の言葉に、あえてツッコミを入れるような野暮な真似はしなかったのであろう。
先ほど、私はアルコール依存症の患者数が横ばいであるというグラフを示した。
つまり広告にクレームを付けたASKその他の人々の成果はなにもなかったということだ。性犯罪とポルノ規制との関係と、まったく同じである。
前回も取り上げたこの言葉を思い出して欲しい。
宣伝を意図していようがいまいが、お酒の「写真」や「まつわる単語」だけで飲酒欲求のトリガーになるなら、酒の広告を減らしたところで、アルコール依存症団体やら政府やらがしている酒害の啓蒙活動が「写真」「単語」を提供していれば同じではないか。
てゆーか効果なくて当たり前じゃん。
広告がおとなしくなったぐらいで酒控えられる依存症なんて、それ依存症でも何でもねーわ。
ではなぜ、ASKや菊池真理子氏ら、一部の物は広告へのクレームに固執するのだろうか。
それは、アルコール依存症が
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