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 本来は、古代ローマの歴史家マクシムスが著した『著名言行録』にある説話。
 餓死刑に処せられた父キモンに、その娘ペローが自分の母乳を吸わせることで救おうとする孝行話であり、紀元前から様々な作家によって絵画などの芸術作品のテーマになっている。
 ここで扱うのはそのうちのルーベンスの手による作品のひとつ。

ローマの慈愛

 ちなみに、ルーベンスはこのテーマでの作品を幾つも描いており「ルーベンスの『ローマの慈愛』」としてもこれが唯一のものではないことに注意。

 2019年1月、とあるフェミニストが、ルーベンス展(おそらく国立西洋美術館で当時開催していた『ルーベンス展―バロックの誕生』のこと)で見かけた『ローマの慈愛』に次のように噛みついたことで炎上した。幸いにも『ローマの慈愛』やルーベンス展ではなく、フェミニスト側が炎上したのである。
 特に「ふつうにサンドウィッチとか差し入れればいいじゃん」という迷言は散々にからかわれた。

 冒頭で述べたようにキモンが処せられたのは餓死刑であり、外部から食べ物を持ちこめるわけがないからこそ、自分の母乳しか与えられるものがなかったのであって「サンドウィッチを差し入れればいい」という理屈は完全に破綻している。
 そもそも気持ち悪いことをその気持ち悪さを乗り越えて、父の命のためにやるからこそ孝行なのであり「気持ち悪いけしからん絵」で思考停止していては意味がないのである。

 この言い掛かりの擁護として「変態趣味の場面が描きたいがために『無理やり』餓死刑などの『トンデモ設定』をくっつけたのだ」言い張る者もいる。

 先述した通り、この話は古代ローマのマクシムス『著名言行録』から取られているものであり、さらにはマクシムスが作った話ですらない。題名通り、当時の人にとっての「過去の著名人の逸話をまとめたもの」である。つまり真偽はともかく、少なくとも実話の体で語られていたものである。
 2000年以上も前の、実話の可能性さえある話が「変態趣味の為に作られたに違いない」などと断定できるのは、無知なフェミニストくらいであろう。
 また、餓死刑は紀元前どころか相当最近(例えばナチスドイツ)まで実在した刑であり「無理やりなトンデモ設定」なんかではないし、食べ物が持ち込み禁止なのも餓死刑である以上、いやそうでなくても普通である。現代日本の刑務所や拘置所でさえ、外部から自分で持ち込んだ食品を差し入れることはできないのだ(未決拘禁者に食べ物を差し入れることは可能だが、指定されている業者に注文して施設を通して入れてもらう)。
 餓死刑も食べ物持ち込み禁止も、別にトンデモ設定でもなんでもないのである。

 幸いにして、フェミニストは本件を大規模なクレーム運動や作品撤去などに発展させることはできなかった。

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