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 青山学院大学総合文化政策学部客員教授。アグロスパシア株式会社取締役・編集長。
 何やら立派そうな肩書ではあるが、ツイッター上では常軌を逸した「オタク」差別発言とひっきりなしの虚言、悪い意味でぶっ飛んだ妄想を連発し、特に「オタク」関連の発言を叩かれたことで逆恨みを募らせたまま現在に至る。

 著書に『ヴァティカンの正体』があるが、アマゾンをはじめとするネットの書評では「内容が薄い」とすこぶる評判が悪い。
 ツイッターIDは@tawarayasotatsu。もちろん俵屋宗達のことであり、ツイッターアイコンも風神雷神図なのだが、どういう関連または愛着があるのかは不明。

 特にその酷さがオタク界隈に知られるようになったのは下記の発言。

 ちなみにジャポネジーナとは「日本人の女の子」、チャオ・ベッラとは「美しい女性」の意味である。突っ込まれる理由は一読してお判りであろう。
 何を考えていようが言われることは同じに決まっているのにわざわざ「国際情勢や政治について考えながら」と書いてしまうマウンティング欲。いくらイタリアでも(失礼)さすがに数歩ごとにはナンパされないであろうに露骨過ぎる話の誇張(あるいは全くの虚偽)。それより何より「イタリア男のナンパ」と「萌えキャラ」という余りにもあまりな関連性の無さ
 三重苦揃ったこのツイートに突っ込みが殺到したのである。

 しかしこの炎上によって岩渕氏は反省しなかったばかりか、完全にオタク憎悪をこじらせ、しかもその発露手段としてひっきりなしに嘘を吐き続けた。代表的なものをいくつか挙げよう。

 これは著書である『ヴァティカンの正体』についての発言。
 タイトル負けを指摘され「書籍のタイトルはどこの出版社でも営業が決める」などと放言して、出版社勤務の人や漫画家などから総突っ込みを受けている。よりにもよって「オタク」界隈と喧嘩しているときにこんなことで嘘を吐く危険性が分からなかったのだろうか。

 ……いやいやいや。

 「ピカチュウに性的な関心を抱く」人と児童誘拐犯をどうにか結び付けようとしているが、そもそもピカチュウをダシに子供を誘拐するのと、犯人がピカチュウそのものに性欲を抱くことは全く関係ない。結び付けそのものに失敗している。
 とにかくオタクを変態扱いしたい、侮辱したいという強烈な復讐心が見て取れるが、さすがに批判者からも揶揄や罵倒ではなく本気で頭の心配をする声が続出した。
 ちなみにこの後も岩渕氏は「オタク=児童レイプ犯」という宮崎勤事件レベルの埃をかぶった図式を引っ張り、さも児童を心から心配する善人の様な口ぶりでツイートを繰り返す。

 ところで、岩渕氏自身の著書『ヴァティカンの正体』にも、有名なカトリックの聖職者による児童虐待事件について触れた箇所がある。
 全く関係のないピカチュウを巻き込んでまで児童の心配をする岩渕氏のこと、さぞや心を痛めて書いた文章だろう……。

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 もう一つヴァティカンがらみのスキャンダルといえば、聖職者による児童への性的虐待に関する報道が後を絶つことが無く、これもまた、一般人にとっては「文学的な」興味を刺激される要因となっているかもしれない。(『ヴァティカンの正体』より)

 …………文学的、か(嘆息)。

 残念ながら彼女の「児童保護意識」は、オタク憎しのレッテルのためだけの道具でしかなかったようである。

 次のツイートは、岩渕氏がいかに「萌え絵」が若い世代に相手にされていないか、を強弁しようとしたツイートである。

 何その萌え絵師版ブラックジャックみたいな人たち!?
 ていうか美大ならともかく総合大学なのに絵描きさん多いなw

 「萌え絵が好きですよねとプレッシャーをかけられる」――一体どこの世界の話なのだろうか。現実の日本とはとても思えないが。

 また岩渕氏には「自分に文句を言うのはこんな奴ばかり!」というタイプの嘘をしょっちゅう吐くという特徴もある。

 ちなみに本当にその通りかどうか筆者が確かめてみた結果がこれである。

 お次は日本アニメの世界的な評価について腐そうとしているツイートをご紹介しよう。

 いや、日本アニメはまさにそういう、世界的に評価され経済効果ももたらしているコンテンツであるのは、よく知られた事実である。

 そもそもどうやら岩渕氏は「経済効果」という言葉を「外国に売れる」という意味だと勘違いしているらしい。本国内の需要に応え景気の巡りを活性化させることも立派な『経済効果』なのだが……。
 この人のプロフィールには「富裕層マーケティング」をしているという文言もあるのだが、経済効果の意味を知らなくてもマーケティングの仕事は務まるのだろうか?

 アニメ『この世界の片隅に』の配給に至るエピソードを聞き齧って。日本人アニメ関係者の先見の無さという方向での罵倒。
 配給にイギリス人男性が奏功したのは事実ではあるが、それに先立つ出資も制作も売込みも日本側によってなされている。それより何より件のイギリス人に作品の良さが分かったのは「作品ができてからの話」だったからである。

 えーと。英語で"be related to~"って「何々と関係がある」という意味だから、「定義」とは呼べないんじゃないかな?
 ちなみにネオテニー(幼形成熟)とは、動物の生体に幼体の特徴が残る現象のこと。有名なのがウーパールーパーとも呼ばれるメキシコサラマンダーの幼形成熟体である。wikipediaにあるというので英語版の「moe(slang)」の項を見てみたが、ネオテニーが登場するのは本当にこの「萌えはネオテニーと関係があり……」という一箇所だけで、執筆者がどんな関係があると思っているのか皆目分からなかった。

 突っ込まれて岩渕氏は論文を紹介するといって出してきたのだが、その2つの論文には両方とも、ただの1回たりともneotenyという単語が登場していなかった。

 そもそもネオテニーは純然たる生物学の用語である。萌えに見られる「可愛らしい女性が好き」という程度の明らかな文化的な話を結び付けるのは、仮に論文があったところでまず間違いなくトンデモ説の類であろう。


 そして、彼女の最も悪名高いツイートがこれである。

 胸の大きな女性を好むのは足の小さな女性を好むのと似ていて、だから中国の纏足に似ている……だから人権否定・人格否定であるというのだ。牽強付会にもほどがある。
 そもそも胸の大きいヒロインは(普通は)ただ胸が大きいのであって、無理やり矯正しているわけではないので、実際に近いのは纏足ではなく元々足が小さいキャラクターだろう。それがたとえば誰かといえば、シンデレラである。

 これは、ナチスに「頽廃芸術」と断じられた芸術作品の代表、ディクスの【傷痍軍人】も弾圧できる論理である。あまつさえそのレッテルを(単にオタクに批判された私怨から)規制のためのレッテルに用いようとは……纏足とアニメより、ナチスと岩渕氏のほうがはるかに近いことが分かる。

 次は「漫画文化なんて大したことないもん!」と主張するための【嘘松】である。

「普通の会社のデザイナー」になったのか「化学系の研究所に就職した」のかどっちだ?
 ちなみに「佳作受賞者を1ページ漫画だと思っていた人」というのは岩渕氏が言い張っているだけで、筆者の探した限りリプ欄にも引用RT欄にも一人もいなかった。
 そもそも「15ページぐらいのストーリーのある読み切り作品で、彼女はストーリーも作画も全部一人でや」るのは漫画賞に投稿するなら普通の話であり、それ自体を高く評価されることなどありえない。

 おつぎは「痴漢」についての本人の自称体験記だ。これはもう嘘松に次ぐ嘘松なので、心して読んで欲しい。

 「友人女子もみんな」「毎日」痴漢に遭っていたのなら、通学する女子生徒そのものと同数くらいの痴漢がいることになるのだが。いくらなんでもそんなには居ないのではなかろうか。
 しかも続くツイートでは、そのありえないほど膨大な数の痴漢たちを、なんと「鉄道会社が庇っている」というのだ。

 世の中には多くの「痴漢冤罪」被害者による体験手記があるが、鉄道会社に庇ってもらったとか、そうするように会社が圧力を掛けてくれたなんて話を載せている本は、筆者の知る限り一冊もない(あったら教えてほしい)。
 そもそも世の会社員たちは好きで電車に乗っているわけではなく、仕方なくその路線で通勤しているわけだ。「ウチの社員を捕まえたのが気に入らん」で電車を使わない――なんてことができるなら、誰も最初から辛い満員電車で通勤などしていない。
 というか「駅経由で」警察に突き出されて裁判にまでなってる時点で、岩渕氏の話の中でさえ全然かばわれていない。

 車内パトロールをしてほしいと保護者から要望が出て、鉄道会社の返事が「お客様なので……」という話も成立しない。通勤・通学時間帯の埼京線はその名の通り、ベッドタウンである埼玉から東京への出勤者ですし詰め詰め状態になる、日本で最も混雑する路線のひとつだ。客に遠慮なんて話が出るまでもなく、車内パトロールなんか歩き回れるわけがない。
 
「裁判の証人として出廷するため遅刻するコが多く」というのもやたら不自然である。裁判は別に朝にだけやるものでもないのに、なんで欠席や早退ではなく「遅刻」だけなのか。


 ……いままでの話は、彼女の専門であるらしい美術関連の話からはやや遠い話であった。しかしどうやら、専門分野においてさえ怪しい発言を連発していたりする。

 彼女の【宇崎ちゃん献血ポスター事件】評によると、なんと「ポスターは作品ではない」らしいのである。

 当然ながら(現代の萌え絵にも影響を与えている)ミュシャやロートレックをはじめ、ポスターをものした高名な芸術家などいくらでもいる。どう考えても負け筋の主張である。学者として芸術に関わる人物がしていい歪曲ではない。 

 なるほど。オンリーワンなら作品で、商業的にマルチプルに売られるものは作品ではない、というのが基準らしい。浮世絵の版画なども全部作品ではなくなってしまうが。
 しかし本人はこうも言っている。

 えーと。映画作品と絵コンテでは、絵コンテがオンリーワンで、映画の方こそ商業的に販売されるマルチプルなものなんじゃないですかね? クライアントから対価も支払われてると思いますが。いきなり基準が逆転してしまっている。

 一体彼女の混乱した「作品」認定は、どこで学んだものなのだろうか。都合のいいことに、本人が自爆……じゃなかった自慢してくれている。

 ちなみに調べてみると、そもそもHelena Rubinstein Fellowというのは大学院の9か月の1コース名に過ぎないようである。しかも実際はその中の1コースである Art History/Museum Studies Programが年10人なだけ。コースの定員としては普通の人数である。(だから大したことない学校だというつもりはない。問題はあくまで質である)
 さらに彼女が同大学院の唯一の日本人出身者だというのも嘘で、森万里子氏など他にも卒業生の日本人芸術家がいる。

 この他にも細かい嘘や矛盾を挙げていけばきりがないが、とにかく嘘を吐くことに異常なまでに抵抗がない人物であることは分かって頂けただろう。しかしとにかく嘘の内容がエキセントリックであり、遠巻きに見る限りでは面白い事は確かである。


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