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 一般に江戸時代の身分制度を表したものとして知られている四字熟語。
 この語句を用いた言い方が差別用語として問題になることがあるが、理由は農工商に対する差別だからではない。というより「士農工商」だけでは特段の差別用語としては見なされない。

 タブー視されるのは「士農工商○○」というように何か(多くの場合、話者自身が属する職業やグループ)が付け加えられている用法においてである。
 この「○○」の部分は、本来「穢多(えた)・非人(ひにん)」という江戸時代の非差別身分(現代でいう「被差別部落」)の名称が入っており、「士農工商えた・ひにん」という言い方が存在した。
 そこを自分が属する職業などに入れ替えて「自分達の扱いがいかにひどいか」を自虐的に表現する用法があったのである。

 用例としては「代理店」「旅行業者」「そしてヘルパー」「の下にツアコン」「芸能人」「代理店・そのまた下のフリーランス」「ポリエチレン」「その下が印刷ですよ」「予備校生」「本屋の店員」「犬・編集」「AB型」「その下がうちよ」「印刷屋」「印刷工」「アナウンサー」「お笑い屋」「百貨店」「研究所」「編集者」「SF屋」などが士農工商の下についた表現が実際に問題となった。

 しかし1980年代から部落解放同盟からこの用法に抗議・糾弾を仕掛けるようになり、急速にタブー化していった。


 ところで「士農工商えたひにん」という言い方自体もまた、実は歴史的に検討すると、差別用語とは言い難いものであった。ここからいったん古代中国の「士農工商」と言い方の発祥まで遡り、順を追って現代まで戻ることにする。

1.古代中国
 士農工商の語句は中国古典に由来し、『菅子』などに「士農工商の四民は石民なり」などとある。
 これは「様々な職業の民衆」をあらわす総称に過ぎず、特に上下関係を表したものではなかった。順番も書物によって一定ではなく、『荀子』に「農農・士士・工工・商商一也」、『春秋穀梁伝』に「古者有四民。有士民、有商民、有農民、有工民」とあるように入れ替わっていることも多い。

2.江戸時代
 江戸時代になって、古典から取ったこの用語を借用し、当時の身分制度を表現する言葉になった。
 ただし当時、一応この順番の序列が存在していたようではあるが、あまり厳密なものではなく、正式に法規に定められた呼び方でもなかった。内容的にも「士」が四民の最上位である以外は曖昧であり、米本位制の建前として農が士に次ぐ身分とされたが、実生活上は町人(商・工)が優位であったともいう。
 そして近世史の斎藤洋一『身分差別社会の真実』によると、江戸時代には士農工商の下に「穢多・非人」とつける言い方は、そもそも存在していなかったという。

3.明治時代
 上記『身分差別社会の真実』には「『士農工商・えた・ひにん』の虚構」という章があるが、それによるとこの言葉が最初に使われたのは1874年(明治7年)との説があり、これは穢多・非人の人々への身分差別が(一応法的には)無くなった解放令(1871)より3年も後である。
 なぜ穢多・非人そのものが無くなった後になってからこんな言葉が出来たのかというと、当時の融和教育(因習的な差別観念を無くそうという教育。今でいう同和教育)の中で使われていたという。すなわちこの言葉は穢多・非人の人々を貶めるために生まれたのではなく、逆に列挙の中に含めることによって平等化を進めるための言葉だったのである。

4.現代
「士農工商○○」という表現を自虐として使うことはいつしか定着していき、1970年代までは特に差別用語という意識もなく使われていた。
 部落解放運動も1970年代までは特にこれを問題視することはなかったのだが、先述の通り80年代に入ってから急に抗議・糾弾会を仕掛けるようになり、急速にタブー化したのである。
 解放同盟が、現代でいうフェミニストのインフルエンサーのような役割を果たし、旗振り役としてこの表現を禁句とした形になる。

 部落解放同盟の関係者は【覚悟のススメ】事件では、

 こういうものまで描きなおしをされると、われわれも迷惑なんです。何かにつけて“部落解放同盟はすぐことば狩りをする”などと言われる原因になる

西野秀和『差別表現の検証 マスメディアの現場から』講談社

 などと主張しているが、実際にこういうことをしておいて濡れ衣のように被害者ぶらないで欲しいものである。

 ただし部落解放運動は複数の団体に分裂を起こしており、部落解放同盟の見解がイコール「被差別部落の人々」の総意というわけではない。対立する全国部落解放運動連合会(全解連と略す)は、解放同盟が糾弾活動を通して「同和特権」を拡大しているとして、この語句の差別用語化を批判している。
 実際に1997年、「国際空港のある佐賀広域都市圏シンポジウム」において当時の佐賀新聞社長が「福岡人が士農工商の商であれば、佐賀はえた非人であることによって」と発言して部落解放同盟側から抗議を受けた事件で、全解連側は佐賀県と佐賀新聞社に送った『要望書』内でこう主張している。

「これを差別発言として問題にすることは、こと同和問題に関係する歴史擁護は扱えないというマイナスイメージをつくりだし、問題解決のための開かれた環境づくりに逆行する結果をまねく」

 ちなみに現在、「士農工商」という言葉自体を使わなくなっている歴史教科書もあるが、差別用語としてではなく、先述のような江戸時代研究の進展により歴史用語としては不正確と考えられるようになったためである。

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