【仕事の話をすればいい】
(特に女性に対する)セクシャル・ハラスメントの認定基準が不明瞭で、男性側の安全が確保できないという指摘に対し、言い逃れとして使われる常套句。
特に「被害者側がセクハラと思えばセクハラ」等に対する批判に対して、仕事と関係の無い容姿等への言及をするからセクハラになるにすぎず、仕事の話だけしていればセクハラにならない、という反論である。
例として次のツイートを挙げる。
なぜそれをここで取り上げるかというと、まさに表現規制の要求によってこの「仕事の話をすればセクハラにならない」が破綻してしまっているからである。
たとえば【宇崎ちゃん献血ポスター事件】のようなポスターを、献血ルーム管理者が従業員に対して貼るように指示することは、当然ながら「仕事の話」以外の何物でもない。
しかし【太田啓子】はよりにもよってこの「仕事の話」を「環境型セクハラ」認定してしまったのである。
また書店やコンビニで「エロ本」を、女性店員に対して上司が陳列するように指示すること、客が「この本ください」と見せて買うことも、いずれも「仕事の話」に他ならない。これは商談の申し込みであるからだ。
しかしこの「仕事の話」も、フェミニストにかかるとこうなってしまう。
しかし、フェミニストがこれらを「セクハラ」として認定させようとする。
せっかく「なんでもセクハラにされてしまう」という危惧に対して考えられた対論を、表現規制の要求は台無しにしてしまっているのである。
参考リンク・資料:
資料収集等、編纂費用捻出のための投げ銭をお願いします!↓
ライター業、連絡はDMでどうぞ。匿名・別名義での依頼も相談に乗ります。 一般コラム・ブログ・映画等レビュー・特撮好き。