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子どもたちのための表現規制入門(無料)

はじめに

 こんにちは、みなさん。
 今日はみなさんに「表現規制ひょうげんきせい」というものについてお話したいとおもいます。
 この話は、未成年者みせいねんしゃ――大人じゃない人たちですね――それも、おおむね中学1年生くらいの子ならスラスラ読めるように書いていこうとおもっています。
 なぜなら、たぶんこの文章はツイッターを通して知ってくれる人が多くて、ツイッターは13歳からしか使えないからです。

 でも、他のところから来てくれる人もいるだろうし、ほんとは小学生にも読んでほしいので、できるだけ分かりやすく書きます。

 みなさんは、ゲームが好きですか?
(この文章でいう「ゲーム」は、カードゲームやボードゲームなどをのぞいた、パソコンやゲーム機といった電気で動くゲームのことだとおもってください)
 アニメは好きでしょうか?
 マンガは好きでしょうか?
 仮面ライダーやウルトラマンは好きですか?

 それぞれ「大好きだ」という人もいれば「そんなに...…」という人もいます。
 でも「大嫌いだ」という人は少ないのではないでしょうか。

 スポーツでいえば、ドッジボールが嫌いだ、痛いから、という人は多いと思います。ぼくも、もう大人ですが、子どもの頃ドッジボールが好きではありませんでした。

 でもボクシングは、たぶんドッジボールよりずっと痛いでしょうけど、あんまりそうは言われません。ぼくも、一回もやったことはないけど、かっこいいスポーツだとなんとなく思っていました。いや、今でもかっこいいと思いますよ。

 でも、なぜでしょう?

 それは、ドッジボールは学校などで、やりたくなくてもやらされるからです。
 ボクシングがあまり嫌われないのは、やりたい人だけがやって、やりたくない自分はやらなくてもいいからでしょう。

 ゲームやアニメ、マンガも同じです。
 好きじゃないなら、そういうものを遊んだり、見ようとはしなくなります。
 だから普通は、ゲームがそれほど好きじゃない子どもも、ただゲームをやらなくなって「自分とは関係かんけいないもの」になるだけです。ゲームを憎んだり、売るのをやめてほしいなんて思ったりすることは、そんなにありません。

 だって、ゲームを無理やりやらせる人なんて、あんまりいないでしょう。
 マンガを読ませたり、アニメを見せたりも、無理やりにする人はまずいません。

 ところが、大人たちのなかには、自分がやらなきゃいけないわけでもないのに、そんなものをなくしてしまえという人がいます。
 そういう人たちは、自分達が気に入らない作品を見つけると、それを作った人や会社に嫌がらせの電話やメールをしたり、インターネットに嘘や悪口を書いたりします。それで本当に会社のほうがこわがって、やめてしまった作品やポスターなどがいくつもあります。
 さらにもっとひどくなると、法律までつくって禁止してしまえ、と言う人たちも大勢いるのです。
 おかしいですね。でも本当におおぜいいます。

 そして、こういう人たちがやりたがっている、自分達のきらいな作品の禁止や制限のことを「表現規制」といいます。

 そして、ここが大事なことなのですが、そういう人たちは、表現規制をきみたち「子どものせい」にしているのです。
 君たちのために、表現規制しなければならないんだ、と言っているのです。

 その人たちは、ゲームやマンガをいきなり「なくせ」というと、「そりゃ、あまりにらんぼうな意見いけんだよ」と言われてしまい、通らないので「子どもに悪いマンガやゲームがある!」といって、少しでも売れなくしてやろうとするのです。
 そうすれば、ゲームやマンガをつくっている会社のひとは、貧乏びんぼうになって、そのうちゲームやマンガをたくさん作れなくなってしまいます。
 
 とてもひきょうなやりかたですね。

 今日は、その話をします。

1.いま世の中で起こっている「表現規制」

 表現規制というと、すこし知っている人は「それって、大人しか買えないような、すごくエッチな本とかのことじゃないの?」と思うかもしれません。

 たしかに、世の中には「エロ本」とか「アダルトビデオ」などと呼ばれる、エッチな作品があります。
 たとえばみなさんが読むようなマンガにも、ときどき女のひとがお風呂に入るとか、パンツが見えたりする程度のちょっとしたエッチな場面がでてくるマンガもありますが、そんなのはふつう、エロ本とは言いません。
 「エロ本」とか「アダルトビデオ」は、もっとすごくエッチな、エッチであることそのものを楽しむための本で、いまの世の中では「大人になるまで見てはいけません」ということに決められていたりします。そういう決まりはもちろん「表現規制」です。

 ですが表現規制は決して、そういうものだけの話ではありません。本当にすごくエッチな作品とか、すごくざんこくな作品だけが「禁止しろ」「制限しろ」と言われるのではないのです。

 それどころか、ふつうの人がみれば全然エッチでもざんこくでも、なんでもないような絵にまで言いがかりや嫌がらせをしてくる人たちがいるのです。

 たとえばつい去年のこと。
 ユーチューブの、交通安全をうったえるこんな動画が、そのような嫌がらせを受けて、警察のキャンペーンを取りやめさせられてしまいました。

「ええっ!?」と目を疑ったみなさん、その気持ちは正しいです。
 でも、ぼくが動画をりまちがえたのではありません。
 どう見ても、この動画には、エッチな場面も、ざんこくな場面もありません。女の子もかっこうも全然いやらしくなんかありません。幼稚園くらいの女の子が見るようなテレビアニメに出てきたとしても、おかしくはないでしょう。
 それでも「女の子のおへそが出ている」「スカートが短い」などといって嫌がらせを受け、この動画は警察のキャンペーンからなくなってしまったのです。

 次に紹介するのは、献血けんけつ景品けいひんに使われた絵です。
(みなさんは献血をしたことがあるでしょうか? 献血は種類にもよりますが、16歳からできるものもあります。まだの人は、16歳になったらできれば献血に協力してください)
 献血をすると、血を抜くわけですから水分と栄養えいよう補給ほきゅうのため、その場でお菓子やジュースをもらえます。あと、ちょっとした景品ももらえたりします。景品は、マンガやアニメのグッズだったりすることもあります。
 そういうときは、もちろん献血して欲しいわけですから、何がもらえるのか見本が献血ルームに置いてあったりします。
 そんな景品のひとつに、あるマンガのクリアファイルがありました。これも嫌がらせを受けました。

 

 この絵の女の子は『宇崎うざきちゃんは遊びたい!』というマンガの主人公なのですが、服装は普通ですね。
 でも、こんな絵を献血ルームに置くなんてけしからん!と、嫌がらせを受けました。
 どうしてかというと「女の子のおっぱいが大きすぎる」というのです。 そんなことを言われたって、もともとのマンガがあるわけですから、おっぱいの大きさも「この人はこれぐらい」と決まっています。小さく絵を描いたら別のキャラクターになってしまいます。

 次のものは絵ではなく広告につかわれた写真ですが、これも「おっぱいが大きい」というので嫌がらせを受けてしまいました。
 嫌がらせやひどい悪口は、この広告をつけた会社だけではなく、モデルさんにまで及びました。

 また、次の絵は東京メトロという、東京にある地下鉄のキャラクターの絵なのですが、この絵を使ったポスターも嫌がらせで取りやめになりました。
 どうでしょう?
 何がいけないと言われたのか分かりますか?

 少し内股で立ってますね。
 それが、なんと「おしっこをがまんしているように見える」と言われたのです。

「そんなむちゃくちゃな!」

 いや、そう思うのはむりもありませんが、笑わないでください。本当なんです。


 いろいろ紹介しましたが、これらの絵や写真は、もちろん、なんの法律もやぶってはいません。だからこそ、嫌がらせによって「表現規制」を押し通そうとするのです。
 いま世の中で起こっている「表現規制」は、ここまでひどくなっているのです。

 もしかすると、将来はアニメ風のかわいい女の子の絵そのものが、見られなくなってしまうかもしれません。

※1のまとめ※
なにも悪くない絵や写真に、表現規制を目的とした
「いやがらせ」がたくさんされています。

2.表現の自由と憲法

 みなさんがもし中学3年生以上なら、公民こうみんの授業を思い出してください。
 まだ3年生じゃないけど中学生なら、小6くらいかな?の社会科でやった「政治と私たちのくらし」の授業を思い出してください。

 そのときの授業で「人権じんけん」というものについて習ったと思います。
 そのなかに「表現ひょうげん自由じゆう」というものがあったことを覚えているでしょうか。

 社会科でならう「日本国憲法にほんこくけんぽう」、つまり日本で一番えらい法律の21番めには、こんなことが書かれています。

第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

日本国憲法

 ここに書いてあるのは、国は「表現規制」をしてはいけない、ということです。
 誰でもどんな意見を言ってもいいし、それを本に書いて売ってもいい。みんなで集まっておおぜいの前で話してもいいし、それを訴える会みたいなものを作ってもいい、ということです。 

 なぜでしょうか?

 ひとつの理由は、自分の気持ちや考えたことを表現すること自体が、その人にとってかけがえのない楽しみである場合があるからです。
 絵を描いたり、歌をうたったり、詩を書いたり、お話を書いたり、マンガを描いたりしているときがいちばん楽しくて幸せだ、という人はたくさんいます。
 自分でつくらなくても、ひとが書いたお話を読んだり、絵を見たり、曲をきいたりすることは楽しいことです。

 もうひとつの理由は、言うべきではないと言われていたことが、本当は大事なことかもしれないからです。間違まちがっているとほとんどの人が思っていたたことが、正しいかもしれないからです。
 そして「あの人の言っていることは間違っている」とほとんどの人が思っていたとしても「だから言ってはいけない」となったら、その人が本当は正しかったときにも、取り返せないからです。
 だから、誰でも、いつまでもその「たぶん間違ってる意見」を言い続けてもよいようにしよう、ということに決めました。
 その「たぶん間違ってる」人の意見に、他のみんながしたがう必要はありません。ただ、いつでも「いや、こっちが正しいのかもしれない」と考え直すチャンスがずっとあるようにです。

 また、見せたり聞かせたりしてはいけないのなら、その絵や本が、本当に法律で禁止しなければならないほど悪いものなのか、確かめることそのものができなくなってしまいます。だって、見ても聞いてもいけないのですから。
 つまり、その法律が本当にただしく有効に使われているのかどうか、ひとびとが気をつけておこうとしても、それができないということです。
 これを少しむずかしい言葉で「権力を監視かんし」することができないと言います。

 そのためもあって「表現の自由」を法律でしばることには、特に 慎重しんちょうでなければならないとされているのですす。

※2のまとめ※
「表現の自由」は、日本国憲法という日本で一番えらい法律で、
とくべつ大切にされています。
 たとえ「まちがった意見だ」とみんなが思うような意見でも、
その意見を表現する自由があるのです。

3.見る・聞くことも「表現の自由」

 憲法けんぽうのつぎに、条約じょうやくというものの話をしましょう。条約とは、国と国との約束ごとのことです。
 たくさんあるのですが、その中でもすごく有名な条約に「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(長いので、ふつうはちぢめて「国際人権規約こくさいじんけんきやく」と呼ばれています)と「児童の権利に関する条約」というのがあります。

「市民的及び政治的権利に関する国際規約」にはこう書いてあります。

第19条(意見及び表現の自由)
1 すべての者は、干渉されることなく意見を持つ権利を有する。
2 すべての者は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。

市民的及び政治的権利に関する国際規約

 また、特にみなさんの年代にとって大切な権利をかかげる「児童の権利に関する条約」では、

第13条
1 児童は、表現の自由についての権利を有する。この権利には、口頭、手書き若しくは印刷、芸術の形態又は自ら選択する他の方法により、国境とのかかわりなく、あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む。

外務省:「児童の権利に関する条約」全文

 と書かれています。

 むずかしいことばで書いてありますが、どちらにも「あらゆる種類の情報及び考えを求め、受け及び伝える自由を含む」と書かれています。
 これは、表現の自由とは、本や絵を自分でかく人だけのものではないといういみです。
 自分でかく人だけでなく、それらを見ることも大事な「表現の自由」だということ。そしてそれは、子どもであっても変わらない、ということなのです。

 だから本来、どんな本や絵でも「こんなの子どもは見ちゃいけません!」というのはおかしいのです。

 しかしおかしなことに日本でも、実際にはそう決められてしまっている本や動画、ゲームなどがあります。
 どんな悪いことが書いてあるのかというと、その多くは、ただ「エッチだから」というだけの理由で、みなさんが見てはいけないことになっているのです。
 でもこれは変ですよね。
「エッチであるか、ないか」ということと「良いか、悪いか」は、ぜんぜん別の話であるはずです。

※3のまとめ※
表現の自由は、その表現をつくる人だけでなく、
見る人・聞く人の自由でもあります。
そのことは「世界人権宣言」や「子どもの権利条約」
にも書かれています。

4.昔は「子どもが見られない本」はなかった

 18禁、あるいはR-18という言葉を知っているでしょうか。
 これは18歳にならない子どもには売ったり見せたりしてはいけないという、本や絵、写真や動画やゲームなどのことです。
 さっき言ったように、そのほとんどが、ただエッチなだけです。
 別に誰かを殺してしまえとか、そんなひどいことが書いてあるのではありません。

 じつは日本では、ほんの(といっても皆さんからするとだいぶ昔でしょうけど)30年くらい前まで「大人しか見ちゃいけない本」というのはありませんでした。どの本も、大人も子どもも区別なく買うことができました。エッチな本でもです。
 もちろん、あんまり小さい子がエッチな本を欲しがったり、小学生がすごく難しい本を買ったりということはほとんどないわけですが、それは子どもたちが自分で本を選んだ結果、買わなかっただけで、買っちゃいけないわけではなかったのです。

 ところが、1990年代――つまり30年くらい前に、各都道府県の条例じょうれい(その地方ごとの法律のようなものです)が次々にできて、「けしからん本、とくにエッチな場面がのっているマンガは、子どもに売ってはいけません」ということに決めてしまいました。
 これらの決まりを作らせる運動(有害ゆうがいコミック撲滅運動ぼくめつうんどうといいます)を始めたのは「念法眞教ねんぽうしんきょう」という宗教団体しゅうきょうだんたいだったことが分かっています。
 彼らは自分たちが宗教であることを隠しながら、ふつうの親が子どもを心配しているふりをして、政治家やえらい人たちに働きかけて、子どもたちが自由に本を見られないようにしてしまいました。

 宗教団体というのは、信者を増やしたりやお金儲けのために、ありもしないことを言って人をおどかすことがよくあります。
 たとえば「この壺を買わないと不幸になりますよ」「あなたの子どもの病気は悪魔に取りつかれているせいだ、お祓いを受けなさい」などといって、高いお金を取るようなやり方です。霊感商法れいかんしょうほうといって、いま「(きゅう統一教会とういつきょうかい」という宗教団体がとくに悪質だということでおおいにニュースになっている問題ですが、30年前には宗教が「マンガを禁止しないと子どもが悪いことになってしまいますよ」と人々をおどかしていたのです。
 ついでに、実はその統一教会も、念法眞教と同じようにエッチな本や漫画の禁止を叫んでいます。色々なところがよく似ていますね。

 このような、エッチな本・マンガを禁止させようとする人たちが真っ先に言うのが「性犯罪せいはんざいを助長する」という理由です。
 性犯罪というのは、エッチなことに関係がある犯罪のことです。
 どういう意味かというと、エッチな写真やマンガがのっている本をみたら、見た人はエッチなことがしたくなって、女のひとをおそったり、子どもをさらったりして、無理矢理そういうことをしてしまうかもしれない――というのです。

 だけど、これはとてもおかしな話です。

 たとえばマンガにおいしそうな食べ物が出てきたら、読んだ人は食い逃げがしたくなるのでしょうか。金銀財宝きんぎんざいほうの入った宝箱が描かれていたら、お金がほしくなって、泥棒どろぼうになってしまうのでしょうか。
 みなさんはどうでしょう?
 マンガの中に宝物が出てきたら「よし、ぼくも欲しいから、泥棒しにいこう」と思いますか?
 そんなことはないですよね。
 食い逃げをする人は世の中にもちろんいますが、その人はマンガのせいで食い逃げ犯になったわけではないし、泥棒だって、マンガにお金が出てくるのを読んだから泥棒になったのではないはずです。むしろお金や食べ物が出てくるだけではなく、泥棒そのものが出てきたって、泥棒はそれを読んで泥棒になるわけではありません。

 なぜ「本やマンガにそれが描かれている」ということと「読んだ人が無理やりに、犯罪をしてでも手に入れようとする」ということが、お金や食べ物ではつながってこないのに、エッチなことになると急につなげてしまうのでしょうか。 

 それに、それについての話が出てくるだけで犯罪をおこすというなら、マンガでよまなくても、新聞やテレビにだって「泥棒が出た」「性犯罪があった」といったニュースが、ちゃんと出てきますよね。
 マンガやゲームだけ悪ものにされるのは、ますますおかしな話ですね。

※4のまとめ※
表現規制をしたがる人は「子どもが見たら性犯罪を増やす」と言います。
でも昔は子どもが見てはいけない本はなかったのですが
だから性犯罪が起こったとかいうことはありませんでした。

5.研究では反証されています

 こう思った人はいませんか?
 誰かえらい博士か誰かが「お金や食べ物はマンガに載っていても犯罪をさせないが、エッチなことはマンガに載ると、見た子どもたちに性犯罪をさせてしまう」ということを研究して確かめたのかな?と。

 実は、もう100年くらい、何回も何回も、ずっとそういうことの研究がくりかえされています。
 なぜならエッチな本やマンガを禁止したい人にとって、そういう証拠が見つかれば「子どもたちを守るためなら、禁止するのもしかたないじゃないか!」と言いやすくなるからです。
 だけど、どんな頭のいい学者さんも、じっさいには誰も「エッチな本やマンガやゲームがあると、性犯罪が増える!」ということを確かめることができませんでした。確かめたと言った人も、よくよく調べてみると、やっぱり間違っていたと分かってたりします。
 
 それどころか、どうも事情は逆のようでした。
 なぜって、日本よりもきびしく、エッチな本やマンガや動画が禁止されている国はたくさんあるのです。
 でもそういう国々と日本の、性犯罪の数を比べてみると、おどろいたことに日本より性犯罪が多いのです。それも1割や2割ではありません。何倍とか何十倍というレベルで、ずっとずっと多いのです。

https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/65/nfm/n65_2_1_3_4_0.html

 もしエッチな本などを見ると、性犯罪をしてしまう人が多いのなら、日本はそういう国よりものすごく性犯罪が多くないとおかしいですが、そうではないのです。

 日本人と外国人は違うじゃないか!というなら、日本のなかで、エッチな本などがきびしく禁止されていた時代と、そうでもなかった時代を比べてみてはどうでしょう。
 それでも調べてみると、エッチな本がたくさんある時代に性犯罪が多いということはなく、きびしい禁止が定められると性犯罪が少なくなるということもなかったのです。

http://sightfree.blogspot.com/2013/06/blog-post_29.html

 それでも納得なっとくしない人のために、同じ日本のなかで、しかも同じ時代で、エッチな本を若者に禁止した場合とそうじゃない場合を比べてみるとどうでしょう。

 そんなことできるの? と思うかもしれませんが、それができるのです。
 さっき、30年ほど前に、つぎつぎに「子どもにエッチな本を売ってはいけない条例」ができたと言いましたよね。
 ということは、30年まえには、そういう本を売ってもいい県と、売ってはいけない県があったのです。日本のなかで、同じ時代に、です。
 そこでその頃、各都道府県の性犯罪の数を、禁止されている県といない県に分けて、じっさいに確かめてみた人(福島章ふくしまあきらというお医者さんなのですが)がいました。さらに念のため、禁止されている県の、禁止前と禁止した後の性犯罪の数も確かめました。
 そしてやっぱり、禁止されている県で性犯罪が少ないわけでも、禁止されていない県で多いわけでも、同じ県内でも禁止されると減ったわけでも、なかったのです。

 発生率が高いのは、強姦では和歌山、富山、福岡、香川の四県、わいせつでは長崎、大分、鹿児島の九州三県であった。強姦とわいせつと加えた全性非行発生率で、全国平均より一・五倍以上の所を拾ってみると、茨城、和歌山、岐阜、富山、香川、高知、福岡、長崎、大分の九県である。
 ところが、これらの県はすべて、表の右側に見るように、平成二年以前の時点で既に青少年条例に有害図書の有害指定や個別指定の規定を持っていて、性的な情報のコントロールが十分に行われていたはずなのである。特に、茨城、岐阜、和歌山、長崎の四県では、最も厳しい包括指定、緊急指定までもが既に定められていた。

福島章『マンガと日本人――”有害”コミック亡国論を斬る』日本文芸社

 ちなみに、日本にただひとつ、今でも子どもにエッチな本を売ることを禁止していない県があります。長野県です。
 長野県は、他の都道府県とくらべて30年間もエッチな本をほったらかしにしているのに、別に「性犯罪の多い県」になったりはしませんでした。どっちかというと、少ないほうです。

 エッチな本やゲームが性犯罪を増やすなんてウソだということは、何重にも確かめられているのです。
 しかも、ここで調べられている「エッチな」本などというのは、今では大人しか買えないような本当にエッチな、まさにエッチであることそのものを楽しむための作品のことです。
 そういう、とてもとてもエッチな作品であっても、きみたち子どもに性犯罪をさせたりはしてなかったのです。
 ましてや先に紹介したような、エッチとも言えないような「ただおへそが出ているだけ」とか「ただおっぱいが大きいだけ」の服を着た女の子の絵に、そんな恐ろしい効きめがあるわけがありません。

 ……すこしむずかしい話になってきましたね。
 でも、もしまだ「だいじょうぶだよ!」と思ってもらえるなら、ぜひここから先も読んでください。

※5のまとめ※
表現規制がすくない国も、時代も、
それで性犯罪が多いということはまったくありませんでした。

6.そのほかの「表現規制」理由

 それでもそれでも、エッチな本がきらい(「性嫌悪せいけんお」といいます)な人達は、まだまだ食い下がります。 

 日本の女のひとは、性犯罪をされても警察に言わない人が多いだけかもしれない!というひともいます。
 でも、いろんな国の女性にアンケートをとって「こっそり教えてください」と聞いてみた研究でも、べつに日本の女のひとが、外国の女のひとより特別に隠していたわけではないことが確かめられました。

 性犯罪を増やすという主張はあきらめて、べつの理由を探す人もいます。「性犯罪以外に悪いことが起きるかもしれない!」というのです。

 たとえば、痩せてきれいな女の人が、裸だったり水着のような体型がわかりやすい格好で本やゲームに出てくると、太った女の子は自信をなくしてしまうかもしれない、と言ったりします。これは「フェミニスト」(あとでちゃんと説明します)と呼ばれる人たちがよく言うことです。
 しかしそんなこともないことがちゃんと研究で確かめられています。
 考えてみればあたりまえのことで、なにもゲームや本で見なくとも、痩せたきれいな女の人はじっさいに世の中にいて、電車に乗ったり街を歩いているわけで、ゲームや本であろうとなかろうと、太った女の子がそういう人を見ることには何もかわりありません。

 また別のことを言う人もいます。
「エッチな絵や写真は、性犯罪を起こさせることはなくても、性犯罪にあったことがある女の人に、そのことを思い出させて嫌な気持ちにさせるかもしれない。だから、普通の人がいる場所からなくさなければならないのだ」と。
 これも、とてもおかしな話です。
「交通事故に遭ったことがある人が嫌な気持ちになるかもしれないから」とか「海でおぼれたことがある人が、そのことを思い出すかもしれないから」といって、マンガや映画のなかでのそういう事故の場面――いやそれどころか、ただの「車の写真」とか「海の絵」までいけない、というようなものです。
 交通事故にあった人や、おぼれた人自身だって、そんなむちゃくちゃなことは言いません。
 それなのにどうして「性犯罪を思い出すかもしれない」というだけで、別に性犯罪そのものが描かれているわけでもない、ただ女のひとが裸や水着でいるだけの絵や写真を、なくさなければならないのでしょう。

 こんなことを言い出す人までいます。
「子ども(といっても高校生くらいが多いのですが)にエッチなことをしたり、子どもがハダカや水着になったりするマンガなどがあると、子どもに対してエッチな気持ちになるような人がいることを知らせてしまう。そんなことを知るだけで、子どもの心は傷ついてしまうのだ!」というのです。
 だけど、そんなことを言い出したら、子どもに「チカンや変質者に気をつけよう」と注意をすることもできなくなってしまいます。
 でも、どうでしょう、みなさん?
 小さいころ、ご両親や学校の先生に「チカンに気をつけなさい」と言われて「私たちにチカンしたがるような人がいることを知って、私はとっても傷ついた! なんてひどい先生だ!」と思った人、いますか?

 まずいないと思いますし、仮にいたとしても「子どもが傷ついてしまうから、チカンに気を付けるように子どもたちに言うのをやめよう!」なんて話にはなりませんよね。
 そんな変なことを言い出す人がいたら、その人はもしかして、チカンをやりやすくしたいのかと思ってしまいます。


 さらにおかしなことには、こうした人達は、はだかの写真が男の人むけのエッチな本に出てくるときや、ゲームやマンガに出てくる、いわゆる「アニメっぽい」絵を見たときにばかり、急にこういうことを言い出すのです。
 同じきれいな女のひとのはだかでも、昔のえらい画家が描いた有名な絵などには、ほとんど文句をいいません。

文句をいわれない絵(ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』)

 きれいな女の人のはだかを描いた絵が、性犯罪を増やしたり、性犯罪に遭った人にそれを思い出させたり、太った女の子に自信をなくさせたりするなら、有名な画家の絵でもそうなるはずです。

 つまりこの人たちは、本当にそういうことが起こるからそう言っているのではなく、自分のきらいな絵や写真をなくさせるために、わざとそういうことを言っているだけなのです。

 このように、いろいろな人が、いろいろな理由をつけて「こんな本は、マンガは、アニメは、ゲームは、禁止するべきだ!」と言ってきましたが、本当にその理由が正しかったことはありません。

※6のまとめ※
エッチな表現で性犯罪が増えないとわかると、
表現規制したい人は、別のいいわけで表現規制しようとします。
でも、どれもおかしな理由です。

7.禁止したいのは「子どものため」?

 アニメやゲームをなくしたがる人達に、ぼくや、他の物知りな人たちは、なんども繰り返しこういう反論をしてきました。
「アニメやゲームが性犯罪を増やすなんてウソですよ」「他に言われてる悪いことも、ちゃんと調べたけど、みんなウソでしたよ」.
 ..…そう言ってきました。

 でも、そうすると、そういう人たちは決まって、不機嫌になったり、怒りだすのです。

 おかしなことですよね?
 アニメやゲームをなくそうとする人たちは「私たちは、子どもたちを心配して言っているんだ!」と言っているわけです。
 それなら、子どもたちに悪いこと、危険なことがなかった、と教えてもらったら「そうだったのか、ああ良かった。教えてくれてありがとう」と安心するはずですよね。
 でも、まったくそうはならないのです。
 安心だということをせっかく教えてくれたのに、それを喜ばずに、怒ってしまうのです。

 なぜでしょう?

 それは、こういう人たちの本音が、皆さんたち子どもを「守りたい」という気持ちではないからです。

「そういう『悪い』ものに囲まれて育った子どもたちや、ふつうの人たちより、自分のほうが賢くてえらい」

 そう思い込みたいのです。
 人間は、自分がほかの人より賢い、えらい、と思うといい気分になれます。そういう気持ちのことを「優越感ゆうえつかん」と呼びます。
 アニメやゲームは本当は悪くないよ、害なんてないんだよ、と教えられると、その優越感をだいなしにされてしまいます。

 だから、怒りだすのです。
 みなさんを守りたいのではないのです。

 もしも、あなたのお父さんやお母さん、学校の先生なんかがそういう人たちだったら、それはとても残念なことです。
「ああ、この人は、ぼくたちを守ってくれようとしているのではなく、自分がえらいと思い込みたいから、世の中のものをおとしめたがっているだけの人なんだな」
 と気づいてください。

 自分の親がそういう人だとしたら悲しいことですが、それが事実なのです。

※7のまとめ※
表現規制したい人は、表現が子どもに安全だと説明されると
不機嫌になって怒りだします。
子どものためという理由がウソだからです。

8.フェミニストとは

 そういう人たちのなかに「フェミニスト」と呼ばれる人たちがいます。
 フェミニストとは、自分たちは「女性差別じょせいさべつ」に反対している、と言ってる人たちのことです。

 では「女性差別」とはなにか――ということをかんたんに言えば「男のひとはえらい、女のひとはえらくない」というまちがった思いこみや、そのまちがった思いこみのせいでできた、世の中のしくみのことです。

 それだけ聞けば「なんだ、女性差別っていうのはいけないことじゃないか。フェミニストという人たちは、いい人なんじゃないの?」と思うかもしれません。

 だけど、この文章の最初のほうで見てもらった、交通安全の動画も、おっぱいの大きな献血の景品やモデルさんの写真も、おしっこをがまんしてるなんてむちゃくちゃなことを言われた地下鉄の絵も、じつは嫌がらせをしたのはこの「フェミニスト」の人たちなんです。

「ええっ!?」

 ……って、みなさん、びっくりしたと思います。
 なぜって動画も絵にも写真にも「男が女よりえらい」なんてどこにも書いていません。そもそも、そんなこととはぜんぜん関係のない絵や写真です。

 だけど本当なんです。
 フェミニストの人たちは、とてもおかしな考え方をします。
 かわいい女の子、きれいな女のひとがアニメやゲーム、ポスターなんかに出てくるだけで「こんな絵をみたら、女性差別をするひとが増えてしまう!」とか、「女のひとを美しさでしか評価していない!」だとか、「こういう人だけが美しいと押しつけている!」だとか、変な言いがかりをつけて大勢で嫌がらせを始めるのです。
 そのアニメやゲームを作った人たちも、見ている人たちも、そんなこと全然思っていないのに...…。

 特にフェミニストたちは、「え絵」といわれる、アニメふうの女の子の絵が、とくべつに大嫌いです。
 なんでそうなのかについては、本当はお話したいのですが、少し長くむずかしい話になってしまうのでここでは省略します。
 大事なのは、フェミニストがきらいな作品に「子どものために」なくせ!子どもに見えないようにしろ!と言ったとしても、それはウソだということです。

 実際に、フェミニストの人自身がうっかり、そのことをばらしてしまった本があります。それには、こんなふうに書いてあります。

「思ったよりも早く、世の中が動いている、と実感している。だけども、ポルノ表現が女性差別である、という風に訴えていたら、きっと時間がかかったでしょうね。今回の規制をかける時に、私は意図的に子どもに見せることができない、という風にしたの。そうでなければ、なかなか変わらない」

北原みのり『フェミの嫌われ方』新水社

 文中の「ポルノ表現」という言葉は、エッチな表現のことです。
 この本にはその広告の写真がのっていなかったのですが、文章に書いてあったことからすると、エッチといっても大したものではなかったようです。電車の中の週刊誌の広告で、水着の女のひとの写真が入っていたという程度のものだったようでした。
 ですが、この人たちはそういうポスターの会社にまた嫌がらせをして、そのポスターをやめさせました。
 その理由として、そんなポスターは「子どもに見せられない」からだ!とウソをつきました。うまくやったでしょ...…とこの人は自慢しているのです。

 そもそも、女のひとが水着をきているところを子どもに見せられない、ということ自体も、すごくおかしな話です。
 本当にそうなら、子どもたちはプールにも海水浴にも行けなくなってしまいます。でもフェミニストの人たちが「子どもたちを泳ぎに行かせるな。水着の女のひとを見てしまうから」と言い出した話は、ぼくでも聞いたことがありません。

 また、次の絵をみてください。

 これは新聞にのった、あるマンガの宣伝のために使われた絵なのですが、これもフェミニストに嫌がらせを受けました。
 かなり話題になったので、この絵について、この絵をきらう人はどんな人か、を調べたひとがいます。その調べたことのなかには「子ども(特にこの絵と同じくらいの、中学生か高校生くらいの娘さん)がいるのかどうか」もはいっていました。

 もし、本当に「子どもが心配だから」こうした絵がきらわれるのなら、ほんとうに子どもがいる人ほど、こういう広告をきらっているはずです。
 ですが、この調べによると、子どもがいるかどうかはぜんぜん関係がなかったのです。

 けっきょく、気に入らない写真や絵をやめさせるために、心にもないことを言っているだけなのです。

※8のまとめ※
嫌がらせをして表現をやめさせようとする人には
「フェミニスト」が多いです。
よく「子どものため」というウソをつくのもこの人たちです。

9.子どもに悪いのに「拡散」するの?

 フェミニストの人たちは、エッチな(と、その人たちは思った)作品をやめさせるために、インターネットで悪口を書いたり、嫌がらせを送ったりするわけですが、これは一人でやってもあまり効きめがありません。
 そこでおおぜいで嫌がらせをするわけですが、その仲間を集めるために、インターネットで「拡散」ということをします。

 つまり、「こんないやらしい、エッチなものがありますよー!子どもが見たらたいへーん!」と皆に知らせてまわるのです。

 ここでフェミニストたちは、ものすごくヘンなことをします。

 その「いやらしい、子どもがみたらたいへんな」はずの絵や写真を、わざわざ自分たちの投稿にはりつけて、できるだけおおぜいの人に見せるのです。そうやって、嫌がらせの仲間あつめをするのです。
 インターネットの、Twttier(ツイッター)というサービスでは、こういうことがとてもよく行われています。

 だけど、ツイッターは13歳になったら使えます。
 ということは、ツイッターでそういうものをわざわざ広めたら、「子ども」もおおぜい、そういうものを見てしまうはずです。

 本当に子どもに見せられないものだったら、そんなことをするわけありませんよね?

 ここでも「子どもに見せられない」ということばが、実はそのきらいな絵や写真をわるものにするための、ウソであることがわかります。

「子どものため」と言いはるフェミニストの書きこみ
いけないはずの絵を「拡散」してツイッターで広めるフェミニスト

※9のまとめ※
「子どもに見せられない」と言いながら、
嫌がらせの仲間あつめのため子どもが見られるSNSで
その表現を「拡散」する人たちは、ウソつきです。

10.「あなたのため」に気をつけて

 このように、大人たちは表現規制をするとき、かならずといっていいほど「子どものため」にそうしているんだ、と言います。
 あなたに直接いうときには「あなたのため」だと言うでしょう。

 でも、それはウソです。
 もし、あなたのお父さんやお母さんが、あるいはおじいさん・おばあさんが、学校の先生が、あなたにじかにそう言ったとしても、ウソです。
 まずまちがいなく、その人たちは自分がそういうマンガやアニメ、ゲームなんかを嫌っているから、そう言っているのでしかありません。
 そして、そういう「悪い」ものを嫌いな自分のほうがえらい、と思いたいからです。

 自分の両親や先生がウソつきだとわかるのは悲しいことですが、でも、そうなのです。

 だけど、「わたしがキライだから、こんな絵を本やポスターにのせるな!」といっても、ただのワガママだということがばれてしまいます。

 だから「子どものためだ」とウソをつきます。

 だけど本当は、エッチな絵を見たって、マンガで犯罪が描かれているのを読んだって、べつにマネして犯罪者になったりはしません。
 みなさん若い人たちは、絵のなかのことは絵のなかのこと、マンガのなかのことはマンガのなかのことと受け止めて、現実にはどうしたらいいのか、何をしてはいけないかを自分で考えることがちゃんとできます。
 見たくないものなら、それ以上見るか見ないかも自分で決めることができます。

「みなさんは、どんな本でも、映画でも、マンガでもゲームでも、じぶんで見るかどうか決められる。
 そして見たものについて、じぶんの頭で考えることができる。」

 そのことを忘れないでください。
 みなさんにちゃんとできることを、できないのだとウソをついて、ものごとを考える材料をうばっていこうとする大人たちに、絶対にだまされないでください。

 みなさんの中には将来、マンガ家や小説家や映画かんとくになろうとする人がいるかもしれません。
 そういう仕事につくのはむずかしいことかもしれませんが、なれたとしても、もし表現の自由がどんどんうばわれていけば、もうその時にはすきな作品をつくれなくなっているかもしれません。
 そういう職業をめざさない人にとっても、関係のない話ではありません。マンガや小説や映画を、自由に楽しめなくなるかもしれないからです。

 「子どもに見せられない」「子どものためだからしかたない」というウソを、みなさん自身の自由を守るために、けっして信じないでください。

 それが、ぼくがこの文章でいちばん伝えたいことです。

※10のまとめ※
ここだけは全部読んでください。

ありがとうございました。

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