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 アメリカの作家ジョン・リンゴーの言葉。英語圏のオタク界隈で人口に膾炙し、ネットミームとなっている。
 Get wokeとは、政治的な正しさに「覚醒」する、つまりはポリコレにハマるという意味。日本でフェミニズムなど左翼系の人々がよく言う言い方では「価値観をアップデートする」というやつである。Go brokeは「倒産する、一文無しになる」の意である。
 つまり控えめに訳せば「ポリコレはコケる」
 よりシリアスには、クリエイティブな企業が「ポリコレ」的価値観に組織的に傾倒してしまうのは作品の(真の意味での)多様性を失うだけではなく、経済的な意味でも破滅をもたらすということを説いている。
 ジャーナリストのPeter Pischkeは、この言葉を引用し「2020年はひどい年だったが、有益だったことがある。“Get woke,go broke”は単なるミームでないことが分かった」と述べている。

 実際に多くの「今度のヒーローはゲイです!バイセクシャルです!プラスサイズです!」と喧伝された「意識高い」系作品が不評のため製作中止になったり、作られても人気がふるわず終わっている。

 これはポリコレをありがたがる「意識高い系」の人々は、エンターテインメント作品に「ポリコレでない」と言い掛かりをつけることはあっても、彼らの言うことを聞いて「修正された」作品の消費者になることは無いからである。
 おそらくこれは本来人々がポリコレに走る動機が「自分こそが意識が高くて先進的である」と思い込みたい優越願望であることに起因していると思われる。こうした人々はそもそも漫画などの庶民的な娯楽を見下して喜ぶという傾向があるため、仮にポリコレに従ったとしても彼らは顧客とはならないのだ。

 作品本来の魅力を捨ててポリコレに走った駄作は、本来のファン達にそっぽを向かれ、なおかつ意識高い系の人々にも買ってもらえない。意識高い系の人々はそれらの作品を愛しているのではなく、ただ他人にお説教をして屈服させ、気持ちよくなりたいだけなのである。

 意識高い系の人々は「ポリコレによってより多くの人が楽しめるようになる」と主張するが、それは嘘である。
 黒人はヒーローが白人だからその作品を観ないのではない。女性はヒーローが男性だから観ないのではない。同性愛者やトランスジェンダーは、ヒーローとその恋人がシスジェンダーだから観ないのではない。 なぜそう言えるかといえば、われわれ日本人は映画のヒーローが日本人でなくとも、白人でも黒人でも問題なく楽しめるではないか。黒人にできないはずがないのである。
 もしそんな狭量な黒人(や女性や同性愛者etc.)がいるとすれば、それは彼が黒人だからそうなのではなく、そいつ個人が偏った価値観に毒されているだけなのだ。

 毒されていない一般の黒人・女性・性的少数者……たちは、ポリコレに阿らなくてもその作品のファンになれる。
 一方、毒された意識の高い人々は、彼らの言うとおりに作品を合わせたからといってその作品に金を出すことはしない。
 したがって、ポリコレに阿ることは創作にとって、端的にマイナスなのである。

 誤解してはならないのは、黒人や女性その他のマイノリティを活躍させてはいけないと言っているのではないということだ。
 ただ、そんな多様性はポリコレ如きの世話に一切なることなく自動的に達成されるというだけだ。
 なぜならクリエイターというものは、自作品に他にはない特徴をもたらしたい、他作品と違う新しいものを作り出したいという欲求を本来持っているからなのだ。
 多様性は、その努力の中からおのずと生まれる。
 しかもポリコレと違って、ストーリーやキャラクターの魅力を活かした形でそうなるのである。

 そうした多様性の方が、ポリコレなどより遥かに早く、圧倒的に豊かなのだ。

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