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 実名・本名を伏せておくこと。
 表現規制にまつわる議論では、インターネット上で、社会活動家やその支持者などが表現物(萌えイラストなどを用いた広告や一般作品、ポルノグラフィなど)をバッシングした際には、反論を返した人々にむけて彼らが難癖をつけるために用いることが多い。

 というのは、フェミニストなど――特に社会活動家が表現物に言い掛かりをつける場合、彼らは売名のために本名や仕事で使っている名前をハンドルネームにしており、一方それに反論や指摘をする一般のファンは普通にハンドルネームを使っている場合が多い。
 その状況を悪用して活動家側が自分たちへの反論を「匿名への誹謗中傷!」とレッテル貼りに利用することが多いのである。

 当然ながら、Facebookのように特にプラットフォームが実名使用を義務付けている場合を除き、ツイッターなどの自由な名前を名乗って良いネット・SNSでそうしたハンドルネームを使用することは、何のルール違反でもマナー違反でもない。

 そもそも社会活動家が本名(又はネット外と共通するペンネーム)を名乗るのは、宣伝・売名のためである。人格的に立派なわけでも、公正を図るためでもない。なんらかの高潔な精神から来たものでは全くない。
 そしてバッシングを受けた表現物のファンも、殊更その社会活動家を叩くために匿名にしているわけでもなんでもない。もともと匿名でネット上の交流をしていただけの人々である。
 前者が後者の愛する表現物に対して、論拠にも正当性にも乏しい中傷をした結果、反論を返されてしまい、再反論できなくなると「匿名で誹謗中傷された~!あいつらは卑怯だ~!」と被害者ぶるという現象が、インターネット上では非常によく見られる。
 しかしその実態は、誰かが表現物を不当にバッシングするのに反論する際、わざわざ新たに本名のハンドルネームを作ったりするわけではないという当然のことに過ぎないのである。そもそも反論意見の妥当性に実名も匿名もないのだから。
 
 いわばハロウィンパーティに殴り込んできた暴漢が、普通に仮装したままの参加者に取り押さえられて「覆面の奴らに暴力を振るわれた!あいつらは卑怯だ!」と騒ぎ立てるのと同じようなものなのである。


 そもそも、「匿名」で叩きやがって! と罵ってくる人は、別に相手のハンドルが本名か確認して言っているほど慎重でも利口でもないだろう。「いかにも日本人名のようなアカウント」かどうかで判断しているわけである。
 こうした判断は「いかにも日本人の名前」だからといって本名とは限らないだけでなく、逆にそうでなさそうだから現実で使っていないと判断するのも危険である。
 漫画家などは人名とは思えないようなペンネームが、現実での仕事と強固に結びついて使われていたりすることも多いからだ。表現規制について「オタク」と論争する場合には顕著である。実際に攻撃された作品の作者を見ても例えば【宇崎ちゃんは遊びたい!】の原作者「丈」や【けいおん!(映画)】原作者「かきふらい」、『がいがぁかうんたぁ』の「クジラックス」などがそうである。

「匿名のインターネット情報はいい加減」という話は、ネット黎明期から繰り返し語られて来た。
 当時からのユーザーは今よりずっと「ネットは怖いから匿名で使わなければならない、個人情報出すなどもってのほか」と思って生きてたし、その反射効として「匿名のネット情報は信用できない」を教訓としていた。

 しかし、実名なら本当に信用できる情報のみ発信するのだろうか
 デマとはむしろ実名匿名の前に「デマと知らずに」又は「デマがバレると思わずに」発信されるものではないか。ならば実名匿名は、デマを流す時点でのためらいに実はほとんど影響しないはずである。
 実際、そもそもネット以前に存在した幾多のデマは、当然ながら普通に実名を知っている者同士の口コミで流れていたわけである。 また実名でのネット使用が普通になっても、デマやフェイクニュースが減っている気もまるでしない。

 確かに実名でのデマはバレた時リスクがある。しかしそれはデマ発信時には自覚されていないのだ。
 デマを発信していた人間が、いざそのリスクに直面するとどうするか。匿名アカウントと違って責任を取るのが「正々堂々たる実名アカユーザー」であるか。

 多くの場合、ノーである。

 彼らは誤魔化そうとして別の嘘をついてしまうのだ。実名で恥をかきたくない、プライドがかかっている、だから更なる嘘をつく。そしてこの現象が「実名での発進なら信用できる」という信仰とくっついた時に事態は最悪となるのだ。

藤子・F・不二雄『のび太の恐竜』

まとめると
1.実名には大して信用性担保の機能はない。なぜならデマがバレると思ってデマを発信する奴はそういない。

2.デマがバレたリスクに直面すると、誤魔化そうと更に嘘を吐く。「デマ発信者」の汚名は実名でこそ洒落にならないので必死。

3.「実名は信用できる」神話はデマ被害を悪化させる。

 そもそもの基本に立ち返れば、物事を議論するのに実名だの匿名だのは本来どうでもいい。「誰が言っているか」ではなく「何を言っているか」が大切なのが議論だからだ。
 

参考リンク・資料:

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