[読書メモ]『藤子・F・不二雄の発想術』(ドラえもんルーム)

p16
勝手に列をはなれてトイレにかけこむには、私はあまりにもエチケットを心得た紳士でした。

p17
国語の時間。朗読を指名されればスラスラ読めました。質問さえされれば答えられました。それ以外が全然だめ。たとえば、お話のときです。一人ずつ教壇に立って、勝手なことをしゃべればいいのです。それがダメでした。立ち往生です。

p39
まんがは資本金のいらない、手軽にできる表現手段だったんです。紙と鉛筆、墨汁とペンで描けるんです、誰でも。

p44
のろい仕事ぶりを、少しでもハイピッチにしようと、小便をこらえたりしました。尿意を催すと、「あと何コマ描くまでは」席を立つまいと、目標を定めるわけです。

p64
「冗談じゃない。描けるわけがない。僕の絵を知ってるでしょ。デビュー以来子どもまんが一筋。骨の髄までお子さまランチなんだから」。

p66
猫イコール、ドラ猫。ドラに、えもんなんて古くさい名前をつけた主人公が、逆に未来から来たロボットだというのが、かえっておもしろい。

pp76-77
ほんのちょっとした思いつきを頼りに、ふくらませたり引きのばしたり引っくり返したり……。行き当たりばったりジタバタもがいてナントカカントカまとめあげるという作業を、まんが家になってずっと繰り返してきたわけです。

p77
独創力のための条件として、(1)数多くの断片を持つこと。(2)その断片を組み合わせる能力を持つこと。

p82
子どもの世界を描き、その中で「本当の子ども」を活躍させるためには、かつて自分が子どもだったころを振り返って、その姿を自分の主人公に投影しながら描いていきます。実は、意外とこれが難しいことなのです。/人間は成長していくにつれて、自分の視点が少しずつ高くなってきていることに、なかなか気づきません。小さいころといまとでは、いつのまにか視点が違ってしまっている。自分は、まぎれもない子どもを描いているつもりでも、ひどいときにはそれが子どもの姿をした大人であったり、大人が外から観察し概念的に捉えた子どもであったり。そういう危険性が、往々にしてあります。

p84
古い作品であっても、名作と呼ばれるものの中には、大人が読んでもおもしろい要素が無数にあります。そういうものを読み取っていくことが、自分のまんがに本当の子どもを投影させていくうえで、一つの有効な手段ではないか、と思います。/僕もいままで、そんなふうにしてまんがを描いてきました。子どものために本を読んでやったという体験は、実は自分のためにとてもプラスになった、と考えています。

p87
古い素材を組み立てなおして、まったく装いも新たな新作を創りだす。

p137
僕は、すべてにおいて「好き」であることを優先させてきました。

p138
自分の中にある子どものころの夢や希望、そして好奇心に素直に生きてきたことが、すべてにうまく働きかけたのだと思います。

p138
物を作るというのは、その人の個性を百パーセント発揮させないとうまくいかないんです。いろんな意見を出し合って、足して二で割る、三で割るというようなやり方ではダメなんです。

p139
自信と、自分に対する疑いと、その二つの間を揺れ動きながら仕事をしていくのは正しい姿勢じゃないかと思うんですね。

p142
小さいとき読んだおもしろさ、中学生くらいで読むおもしろさ、大人になってもまた別のおもしろさが見出せるような豊かな内容が盛り込めれば、まんがというのはとてもいいものだと思いますね。

p143
難しい物理学の入門書に「まんが物理学」のようなものを読むのはけっこうですが、それで物理がわかったつもりになってはいけないと思います。

p145
映画を見るときでも、本を読むときでも、ネタ探しの目的で見たり読んだりすることはまったくないです。要するに楽しみのために見ます。そして見終わったら忘れちゃって。けど、見ること自体が刺激になって、何かが触発されて、まるっきり関係のないアイディアがピョコっと出ることもありますしね。

pp145-146
僕らが子どものころは、「今日は映画館に行くぞ」というと、もう前日からワクワクしていました。劇場に入って、やがて場内がスウッと暗くなって、音楽が始まって、幕が開いていく、あのときのドキドキした感覚、ああいうものをやっぱりなくしちゃいけない、なくさないでほしいという気がするんです。いまは手軽に映像文化というものが手に入りすぎるんですよ。飽食すると食べ物のありがたみがわからなくなるのと同じ。

p147
「完全な創作はこの世に存在しない。すべて人間が文化を持って以来の作り直し、再生産されたものである」

pp154-155
本当に身近にそういう人がいる。もちろんそのままではないにしても、似たような感じの人物がいる。「共感」という言葉を使うとおかしいかもしれませんが、「思い当たる」「本当にああいう人はいる」「そうだ、こういうことはある」と身近に引き比べて感情移入ができる。そういう人物を創り上げていくことが、「人間を描く」ことになるのではないかと思いました。

pp158-159
わたしは出身が幼児まんがですから、徹底的に「セリフは簡潔でわかりやすく」と仕込まれたんです。大人向けに描いているときでも、ついわかりやすく底の底まで手の内をさらしちゃうのね。

p163
大人の感覚で子どもに媚びようとするとダメ。自分自身が子どもに戻ったつもりで、話を展開させないといけない。

p167
おもしろい本や映画を、読んだり、見たりしてください。おもしろさの本質を見きわめる目が育ちます。その目で、自分の作品をしっかり見据えながら、傑作を書き上げてください。

p169
まんが家を志す人なら、何か自分なりの理想を持っているはずです。いまはまだ漠然としていても、自分だけの「何か」が心の底にあるはずです。それを見失わないように、絶えず「自分の描きたいまんがは何か」を自分に問いかけながら、描きつづけてください。その「何か」が形を持ったとき、あなたはまんが界に新風を吹きこむことになるでしょう。

p173
楽しめなければ成長も止まります。自由にのびのびと、楽しんで描いてください。

p174
子どもを知るもっとも有効な方法は、自分の中の子どもを見つけることです。過去の自分を、あるがままに見ることです。やがてその子はきみのペンを通して作品の世界へ入り込み、大活躍してくれるでしょう。

p177
大傑作になりそうなアイディアを暖めている、まんが家志望のきみ。頭の中で、いつまでもこねまわしていないで、思い切ってペンを取ろう。

p179
トンネル工事のように、(1)(2)両面から掘り進むのが正解です。

p180
「描きたい!!」というエネルギーこそ、まんが家の存在理由です。


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