[読書メモ]『サバイバル組織術』(佐藤優)

p8
「組織」は、時に私たち「個人」に理不尽な仕打ちを行ないます。なぜなら、組織の目的は、基本的には組織自体の維持・存続であって、そのためには組織の一部分に過ぎない個人を犠牲にすることは「合理的な判断」とされるからです。「組織にとって、いかなる個人も入れ替え可能である」、これが組織と個人を考えるうえでの大原則です。

p9
それは組織に関わる問題の多くは、マニュアル化できないものだからです。論理では説明しきれない様々な要素が入っている。こうした問題に対応するには、アナロジカル(類比的)に考えるしかありません。過去に似たようなケースはないか、そこから学べる教訓はないかを探すという方法です。私たちはよく「歴史に学ぶ」と言いますが、それはこのアナロジカルな思考法を使って、解決策を探索しているわけです。

pp9-10
ある意味で、極限体験のシミュレーション装置として、文学作品は非常に有効なのです。すなわち、読解力こそサバイバルの基礎能力といえるでしょう。

p53
実は政治家の「わかった」ほど恐ろしい言葉はありません。霞が関において政治家が「わかった」と言う場合は、「あなたが何を言っているかは理解した」という意味に過ぎず、「了承した」「賛同する」という意味では必ずしもないからです。

p73
クライシスにおいて被害の程度を分けるのは事後の対応であり、それは危機に直面した個人の行動にかかっているのです。そのときに重要なのは、クライシスの対応に正解はないと理解しておくことです。思い込みを排して、自分の能力の限界もわきまえたうえで、事態をしっかり観察する。そして、まず「やってはいけないこと」を見分けていく。これがクライシス・マネジメントの第一歩だと思います。

p90
私の経験からいえば、最も頼りになるのは大学などの同級生、学生時代の友人です。大学が同じといっても、社内の学閥には何の意味もありません。そもそも会社における学閥は、弱者連合に過ぎません。本当の勝ち組は実力主義によって選抜され、結束しているからです。学生時代の友人がなぜ頼りになるかといえば、まだ人間関係が利害と無縁だったころのつながりだからです。損得のない状態で、さまざまな経験を共有し、互いの人物のみきわめもついている。不条理な嫌疑がかけられたとき、こいつがそんなことをするはずがない、という確信を持って支えてくれるのは、組織の外で培われた関係性なのです。

pp122-123
人を動かすとき、最も力を発揮するのは、命令や強制でもなく、利益誘導でもありません、実はこの感化の力です。人の振る舞いをみて、影響を受け、自分も何かやらなくてはと思う。それは自発的な行為だけに強いのです。/人は、自己犠牲的な行動を取る人から感化され、動かされる。人を率いるためには、自己犠牲を厭わないこと。少なくとも自己犠牲を演ずること。これこそ人心掌握の要です。/このことを、裏返して考えてみましょう。もしもあなたの周りに、自己犠牲的に仕事に打ち込み、周りに気配りも欠かさない人間がいたら、その引力圏に引きずり込まれないように注意すべきです。[…]/この自己犠牲の構図は、実はブラック企業においても観察されます。ブラック企業は、従業員を脅しあげてブラック化するだけではありません。一生懸命に自分の仕事をこなし、睡眠時間も削り、チームや部下のために誠心誠意働いている上司がいると、「この人についていきたい」と感化を受け、自らブラックな働き方に突入していくのです。

p148
目的は手段を浄化することにはならない。汚い手段を取れば、目的まで汚くなってしまう。

pp154-155
数年前の東芝による粉飾決算事件のなかで、経営トップが部下に対し「工夫しろ」「チャレンジだ」といった指示を出していたことが大きな話題となりました。あれこそまさに「作戦要務令」の世界です。結果としてうまくやったら、指示をこなしたことになる。下手を打ったら「なぜ指示通りできないんだ。うまくやれと言ったじゃないか」と責められる。上司にとってのマジックワードです。/会社でも役所でも、組織が危なくなると曖昧な指示が増えます。「うまくやれ」とか「工夫しろ」と言われたら危ない。九割方、下が責任を被せられると考えたほうがいいでしょう。[…]/「うまくやれ」型組織原理が行き着く先は、「現場の暴走」です。そもそも上が「工夫しろ」「うまくやれ」と丸投げしているのですから、いざという場面で、統制がきくはずがありません。

p158
「7回読み」は、明確なゴールのある勉強法としては優れたものです。しかし、批判的な作業を伴う勉強には適していません。

pp169-170
地理的な条件というのは、人間には変えることができません。そして、時代が経っても変わらない。だから地政学的発想は、時代を超えて、応用が利くのです。

pp170-171
本来は別々であるはずのものごとに類似性を見出すことを類比的思考といいます。現代の中国と昭和の大日本帝国のように、一見、時代も状況もかけ離れたようにみえるものに共通点を見出し分析するには、この類比的な思考が必要です。おそらく日本のインテリが一番弱いのは、この類比的な思考ではないでしょうか。/実は、ユダヤ教にしてもキリスト教にしてもイスラム教にしても、その核心となる思考法は類比です。ものごとの原型や規範はすべて聖書やコーランなどのテキストに書かれているのですから、世界の様々な現象はそれにあてはめて理解することが出来る、というわけです。それに対して仏教は、仏典の数が多すぎるので、そういう思考法に向いていません。/重要なのは、ものごとを判断するときに、無意識のうちにこの類比的思考を使う人たちが、世界では主流であるということです。彼らの内在論理を理解するためには、類比的思考の理解は欠かせません。

p172
他人の身になって考えるという訓練が出来ていないのかもしれません。相手の内在論理を探ることは、インテリジェンスの基本です。つまり相手の立場に立って考え、その道筋を理解する。

p195
現在の日本では、飢餓に直面するような絶対的貧困は非常に少なくなりました。しかし準下層というべき相対的貧困は、リアルに存在します。

pp218-219
「若い頃の苦労は、肥やしになる」ということを言う上司がいますが、それを額面通りに受け止めてはなりません。若い頃の苦労は確かに肥やしになりますが、自分ではなく、上司を肥らせるための養分になるのです。

p219
プロテスタント神学者のカール・バルトは、人間の自由は「制約における自由」であると強調しました。真に自由な個人とは、自分の能力、適性、感情制御力がどの程度であるかという限界を見極め、そのうえで行動できる人間なのです。

pp220-221
合わないと感じている相手と、どうしても付き合わざるを得ない場面が出てくるのが仕事というものです。その場合に大事なことは、苦手なタイプであるほど、相手との会話を記憶しておくことです。特に重要なのは、自分の発言です。相手が何を話したかはあまり関係ありません。自分が相手にどんな情報を提供したかを正確に記憶しておくのです。/なぜなら、トラブルのほとんどは、言葉から生じるからです。経験則上、秘密というものは九九%、自分の口から漏れる。相手に対して持っている好もしからざる感情も、自分でしゃべっていることが多い。/何を喋ったかを意識的に覚えておくことは、不用意な発言を抑制することにつながります。記憶はリスク・マネジメントの基本です。

p222
服装は、その人間の表現のひとつであり、本人が意識している以上に、その内面があらわれてしまうものでもあります。初対面のときには、服装、持ち物、小物に対しては注意を払ったほうがいい。

p223
上司は選べませんが、師は選ぶことができます。

p224
師は生きている人間である必要はありません。死んだ人とも対話はできます。

p229
世間は狭いですから、簡単に人脈を切る人は、周りからその様子を見られている。すると、良質な人脈を構築するのは次第に難しくなっていきます。

p233
冗談も重要な情報ソースです。冗談の中には半分の真理が含まれているからです。上司や同僚が冗談で当てこすりをしてきたときには、その底には悪意があると思って間違いありません。これは酒席でもシラフのときでも変わりありません。

p233
酒席であっても、自分が話したことを覚えておくのは重要です。そして余計なことを話してしまっても、翌日、謝って回らないこと。謝って回ると、気にしていることを知られてしまうからです。

p254
私が再び小説を読むようになったのは、大学院を出て、外務省に入った後だ。イギリス人、ロシア人、チェコ人、ユダヤ人などを理解する上で、小説を通じて、これらの人たちの心理を追体験することができるからだ。このことは私がロシア専門家になる上で、とても有益だった。


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