[読書メモ]『喰らう読書』(荒俣宏)

p22
ところが、脳はちがうんです。脳ならば、牛肉そっくりのコンニャクでも、牛肉として扱えるのです。なぜなら、脳は実物とヴァーチャルとを識別しないからです。ここが、人間の脳の恐ろしいところです。他人の経験も自分の経験であるかのように扱える。/したがって、これをもっとも手軽で便利にした形が「本」なのです。 他人の身に起きた悲劇でも、私たちは聞いて泣くことができます。ですから、フィクションでもかまいません。こうして物語が生まれ、現代の小説に発展していったわけです。

p27
本はふつう、どんなに簡単に書けたとしても数か月を要します。 その労力から考えて、1000円とか1500円という価格で買える本は嘘のように安いといえます。できれば、買って読みましょう。

p42
「独自のテーマ」を持たないと、作家はご飯が食べられません。

p46
この本は、読書人を志す人たちへの、大きな教訓を含んでいます。 それは、読書が新刊本を相手とし、多くは小説を楽しむもの、と暗黙に定義されている現状への警告です。/どの新聞雑誌にも書評はありますが、新刊しか相手にせず、古書はまるで現代には無用の長物であるかのように扱われていますね。しかし、この本を読めば、「古書からでも現代が読める」ことを確認できます。

p61
最近は見合い結婚を「条件の良い相手」を選ぶ場と考える人も多いですが、現実は残り物という部分もあります。

p62
私はここで、すこしだけ意地悪いことをお話ししなければなりません。 それは、まわりの評価を最終的には優先させるな、ということです。/本がおもしろいかどうかは、最終的に自分がきめる。それが正道だと思います。たとえ、世間でバカにされていた本でも、あなたがそこに「宝物」をみつける可能性はのこされています。

p72
まず本の中に隠れている埋蔵金を嗅ぎ当てるコツは、偏見をもたないことです。

p81
私は講演をときどきやったり、大学でレクチャーをすることもありますが、たいていの場合、本で読んだ難しい話題など、だれもまともに聞いてくれません。かえって、旅行でひどい目に遭った話や、大失敗をやらかしたボケ話のほうに耳をかたむけてくれるものなのです。

p83
私は昔から変な本を好んで読んでおりましたので、毎日戦争のように忙しい母親にとってみれば、お気楽な暇人にしか見えないようです。

p86
私も子どものころに、この世では自分に幸せは来ない、と覚悟を決めました。でふしぎなもので、諦めると度胸がすわります。

p86
読書という「冥府魔道」に入り込んでも冷静になれる方法は、一つ。読書する代わりに、何かを諦めること、です。読んで悔いはない、と考えることです。

p117
「本は、情報の集積装置として、完全に出来上がったものである」という認識の再確認です。

p124
家族の多い家であれば、なおさら本の行き場はありません。我が家も古本屋敷ですが、じつにおそろしくて強力な敵がいらっしゃいます。奥様です。古本は家をゴミ屋敷にする元凶だと信じていらっしゃいます。机の下に隠しておいたサラリーマン時代の性風俗雑誌(あくまで研究用です)を、即座に発見し、翌日ゴミに出してしまわれました。 それでも奥様は王様ですから、私なぞには抵抗も許されません。

p125
江戸時代に林羅山という百科事典派の博学者がおりました。このお人は読書したり勉強したりすることに全神経を集中していました。

p127
映画にもなったエーコの小説『薔薇の名前』は、まさに「本がなくなる」という問題を扱ったミステリー仕立ての小説でした。

p135
じつは、むかしの人は本を持つだけで中身を読んだのと同じメリットがあると考えました。

p154
よい本には一種の切れ味があります。私がなぜ、そういう切れ味のある本に魅かれるのか、何時も不思議に思っていたのですが、最近ある本に出会って、その訳が分かったような気がしました。要は、理論を完全に当たり前な現象にしてしまえる方法は、「数字」で書きあらわすことだったのです。

p171
本を愛するとは、その著者を愛することだともいえます。読んでいくうちに、その人のことが好きになってくる。

p172
太宰治『斜陽』は、一文章だけを取り出してあれこれ言ったところで、その小説を読んだことにはならなかったんですね。問題は本全体にあるのです。 表紙や、帯の宣伝文句まで、作家の一部なのです。 いわんや、 現在のような「コピー&ペースト」 全盛時代にテキストの中の一文、一語が他人に「盗まれて使用される」ことは、ありえないことでした。書物には人格があったんですね。 その一部を無断転用することは、手足をもぐのと同じ乱暴な振る舞いでした。

p190
まず、この本の冒頭にすごいことが書いてあります。/「学校で教えることは、ほとんどアリガタ迷惑である」

p193
読書も基本的にはフィールドワークである。そのためには、常時いろいろなメモを、単元ごとになるだけ細かくとる。それをあとで整理し、並べ替え、他人とも共有できる形につなげる。これが世に名高い「京大カード」の根本発想です。

p194
その意味で記念碑的な本であることは間違いありません。いまから読めば古いに決まっています。「これ、パソコンでやればいいじゃん」で終わりですから。 しかし、読書の原理が「知的生産」という言葉で表現できることを示した、当時としては画期的な本だったというわけです。

p203
「いつかまた出会うはずだから、そのあいだは違うことをやっておきなさい。 無駄な時間を過ごすこともなくなります」

p205
ネット社会になればなるほど、一冊一冊の本に対するリスペクトが、どんどん失われていくように思えてなりません。

p212
もともと浮いていたので、子どものころはいじめられました。しかし本を読んでいたから、妄想の大家にはなれたのです。 いじめられている自分を相対化できたのです。この「相対化」が後にも役立ちました。/世の中すべて相対的なものです。この基準設定を自分なりに設ければ、上も下もなくなる。

p222
自己矛盾という要素もまた必要であるという現実を、60歳を過ぎた私にはやっと理解できるようになりました。

p233
私は大学を卒業するまで、漫画家か翻訳家になろうとして、両方勉強してるうえに、日曜は海や川に生物採集に行ってましたから、たいへんにいそがしい少年だったんです。

p242
本を好きになる、本を発展的かつ生産的に読めるようになる、あるいは何を読んでもおもしろく感じられるようになるには、まず世界を「概観」できるようになる必要があります。

p253
いまはまだ、専門家しか読まない分野ですが、私は一般の読者が読んでこそ最高の効果があると思える名著を、何冊も机の上に積み上げています。

p271
いま読んでいる本が、次に読む本を自然に決めてくれるような読み方をすればいいわけです。 本を読みながら、脳のセンサーをフル回転して、「次」をみつけるのです。そのやり方は、臨機応変です。私の場合、極端ですが、ある本に出てきた 「名前」に魅かれて、その人の著書やその人の伝記を読んだりします。

【誤植】
p90
誤:土地の名物が牛乳
正:土地の名物が牛肉


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