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誠実 自由 信念

男児世に処する、ただ誠意正心をもって現在に応ずるだけのことさ。要するに、処世の秘訣は誠の一字。

『氷川清話』勝海舟

信ずるということは、諸君が諸君流に信ずるということです。知るということは、万人の如く知ることです。人間にはこの二つの道があるのです。知るということは、いつでも学問的に知ることです。僕は知っても、諸君は知らない、そんな知り方をしてはいけない。しかし、信ずるのは僕が信ずるのであって、諸君の信ずるところとは違うのです……。
信ずるということは、責任を取ることです。僕は間違って信ずるかもしれませんよ。万人の如く考えないのだから。僕は僕流に考えるんですから、勿論間違うこともあります。しかし、責任は取ります。それが信ずることなのです。

『学生との対話』小林秀雄

「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬というんです。
よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいといったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解・分析してみろ。そこにはきっと、なぜそうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すればいいんだ。その行動を起こせないやつをおれの基準で馬鹿という。」

立川談志

重要なタイミングで出会い、影響を受けてきた、そしてときおり立ち返る言葉たち。盲信することはない、解釈は次第にうつろっていく。

誠実であることとは。自由であることとは。信念とは。
過去の成長・成熟はなにが引き金となったのか。これからの自分の成長・成熟をどう捉えるのか。少し未熟で、まだたしかな形を成していない思考の欠片を紡いでみる。ちょっと重たいけれど、お付き合いください。

誠実であること

サステナビリティが本質からそれてバズワード化し、グリーンウォッシュという言葉も出てきているように、環境や人権などに配慮しているとみせかけるだけの企業も一定数存在することが問題視されている。

そんななか、これからの時代に求められる概念として「Integrity(誠実さ)」をあげたファッションブランド経営者の記事を去年の夏ごろに読んだ。

では、誠実さとはなにかを考えてみると、言動が一致していること、過去に責任をとる=自分なりの意味を与えること、感情にフタをしないこと、つまるところ本質的に大切なのは、事実から目を背けないことなのだと思う。

いつの時代も社会はデコボコだし、その社会を構成している人間がそもそもデコボコなのだから完璧なんて存在しない。人も組織もいつだって発展途上にあるし、発展なんてしなくてもいいという考えだってある。でも事実を正しく認識し、間違っているものは間違っていると指摘する強さを持ち、改善に向けて努力をすることはできる。誠実さをいつも自分に問いつづけていきたい。

自由と孤独

リベラルアーツとは、自由に生きるための学問である

学生時代にこのテーゼを見たとき、すごく腑に落ちたのを覚えている。人は自らを個人的な解釈に閉じ込めて、勝手に生きづらくしてしまうことがある。でも知識を獲得し、メタ認知ができるようになると「なんだ、そんなことだったのか」とこれまでの事実が相対化され、解放される。

じゃあ自由とはなにか。だれかや社会が定めた評価軸、たとえば偏差値や給料、肩書などを手放し、自分が決めた価値軸に沿って生きること、つまり自由とは、自己決定を通じて得られるものなのだと思う。

すこし脱線して、いつか言われたお気に入りのことばを紹介したい。
「大人はあなたたちに、自分の頭で考えろと言うけれど、わかいうちは無理よ。出来るようになるまでは人の頭で考えなさい。」。
最初から自己決定なんてできないのだから、補助輪を使ってトレーニングする技を教わった。

そうして巨人の肩に乗りながら自分の価値軸を構築し、社会的な評価軸を手放すと、人は孤独になる。だれも決めてくれない苦しみ、恐怖、責任の重さと向き合うことになる。でもその積み重ねでしか、真に自由にはなれないのだと思う。

孤独を共有しあえる人と接したときに初めて、独りではないことが再確認され、また闘うための活力がもたらされる。

美意識と信念

2年前の自分のFacebook投稿を読み返して、生意気な大学生だなとおかしくなったけれど、改めて考えてみたいテーマでもあるから引用する。(ちなみに建築家で、当時の印象はいまも強烈に残っている)

「初めて鳥肌が立つほど佇まいが美しい人に出会い、人を圧倒する美意識とはなにかをひたすら考えている。言葉の選び方、話し方、着るもの、人に接する時の態度、オーラ、静かだが絶対の自信を持っている、ジタバタしない、寛容性、変化を恐れずむしろ好む、知性、本質のみで多くを語らない。一時間にも満たない会話で、これ程強烈なモヤモヤを残した人は初めて」。

23歳のつぶやき

解像度があらかった当時の感覚も、いまならもう少し丁寧にくみ取れる気がする。また会いたい、もっと話を聞きたいと思う人は、自分の信念を持っているように思う。

探求したいこと、体現したいこと、他者に伝えたいこと。話す言葉、立ち居振る舞いに垣間見られる思想や信念の影。なにがそこまで、この人を突き動かすのだろうと好奇心にせまってくる。周囲に理解されないことを受けいれた、孤高な印象を抱いた。

ワークライフバランスとよく言うけれど、(僕の目から見て)強烈な信念をもって生きる人たちは、その線引きが曖昧だ。それは、すべての意思決定が、日々の暮らしや体験のなかで育まれた美意識や信念に基づいているから、分かつことができないのだと思う。

THE HEROS展にて

「これは自分のやりたいことではないから」と、言い訳しようと思えばいくらでも出来るけれど、その惰性にあらがっていく必要があるのだろう。それを、わざわざ代表の平田はる香さんはこう表現する。

「生活は修行に近く大変なものであるけれども、それをきちんとやり遂げることができると、よき生活者となり、それが礎となり健康や仕事が成り立っていくのではないか」

「生活論」

うっすら抱いていた感覚を、適切に言語化してくれている。かと言って妥協を一切許さない態度は苦しくなってしまうから、自分なりのさぼる技術もまた、ちゃんともっておく必要があるのだとおもう。

まとめ

自己矛盾を抱えきれずにつらくなることが多々あって、そのたびに立ち返れる軸のようなものを去年から求めているけれど、まだグラグラと心もとない。

結局、できることとできないことの線引きをしながら、目の前の事実を受け止め淡々と処理していくことが、いつか実を結ぶのだろうなとおもう。
ここまでいろいろと書いてきたけど、揺らぎつづけている方が、ひょっとしたら人生面白いのかもしれない。であれば、揺らぐことに意志をのせよう。
迷子の道はまだまだつづく。

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