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教養と知性と、美意識と優しさと。

家に引きこもってひたすら基礎研究に取組んでいた日々から一転して、自分のアイデンティティがどこにも固定されない面白い感覚を味わっている。

最近はテラドローンでインターンしたり、一応内定をもらっているITベンチャーでインターンしたり、プロボノ的に地域開発に携わって東北に行ったり、スタートアップウィークエンドアート(以下SW)のオーガナイザをやらしてもらったり、Well-Beingについて対話するセッションに参加したり。

ちなみにアイコンの写真は、WIREDの日本版編集長松島さんと、onyourmarkを手掛けている松田正臣さんとの奇跡のスリーショット

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アカデミックなことを掘り下げていた頃から、180度違う生活に身を置くなかで、「こんなことをやっていきたい」みたいなことがぼんやりとではあるけど見えてきたのと、ちょっとインプット過多で頭の中パンクしているので備忘録的にまとめておきたい。

①一緒にいたい人

今後の人生で、仕事にせよ遊び仲間にせよ、タイトルにあるような人たちと一緒に過ごしていきたい。それは翻って、自分が常にそこに近づけるようにするという自戒の念もこめて。

自分なりの四つの言葉の理解を紹介すると、

・教養⇒体系立てられた知識を持つこと
・知性⇒自らの無知を知っているand知ろうとする態度に現れる
・美意識⇒一本筋が通っている
・優しさ⇒異質なものを受け止めること

a.教養と知性


最初の二つは相補完的で、頭の中で知識が体系化されていると、自分が何を知らないのかが見えてくる。もっと単純化して言うと、知れば知るほど、知らないことが芋づる式に次々と出てくる

そうやって引き出しの数を増やせると、ある事柄について異なる切り口で見られるようになるため、個人的に理想としている、分野横断的な人材に近づけるし、まさにそこがやりたいことだなと考えています。

b.美意識

美意識はまだ解像度が粗く、ものすごく抽象的ですが、SWのコーチで来てくださった板坂諭さんが非常にカッコよくて、その美意識の正体はなんぞやと悶々と考えています。。

要素分解してみて色々と言葉は出てきたけれど、詰まるところ「一本筋が通っているか」に集約されるのでは?と仮説が立った。

先日都内のある飲み屋で、元女優で探検家の和泉雅子さんに遭遇し一緒にお酒を飲む機会があった。この方も「絶対に塩を摂取しない」という選択をしていたり、蜂に刺されても病院が嫌いだから自分で毒抜いたりと、ハチャメチャだけど筋が通っていて、ある種の美意識なのかもしれないな。

c.優しさ

優しさは他者を受け止めることだと思っていて、あわない人を受け入れてしまうと、自分も一緒に苦しむことになるけど、受け止めてあげることは出来る。だから優しさや強さは、知性と想像力に裏打ちされるものであり、その根底には経験が必要になる。

経験を重ね、痛みや苦労を知り、他者の境遇を慮る想像力を養う。
自分が無知であると自覚していれば、他者を知ろうとする。
そこに優しさが発現する。

自分がつらい状況にあると、他人への想像力が働かず、
「辛いのは自分だけ!」「自分の辛さをわかってくれない!」と、
悲劇のヒーロー/ヒロイン化してしまう人は、他人の苦労に共感する想像力の欠如が露呈している状態。

何を隠そう僕もその時期があったから痛いほどわかる。
アフリカにいた頃、先のことが何も見えずもがいていたときは、「誰も自分の苦労に共感してくれる人なんていない!」、なんて思い込んでいた。

「じゃあお前の言う優しさを実行できてるのか」と言われると、まだまだ。
精進します。

②仕事にしたいこと

こちらもめちゃくちゃ解像度粗いですがご笑覧ください笑
夏頃までは「資本主義の相対化をするためには何が出来るのか?」という、地上から月を眺めるような抽象的なことをくそ真面目に考えていた。

でもクリエイティブや教育に従事している方の話を聞くなかで、
「100年後こうなっていたい!」という理想の未来を明文化することがスタート。そこから現在との差分を明確にし、一つ一つ潰していくことが仕事をつくることの基本なんだと思う。

インターン先のテラドローンは、産業の力で日本を再興するというナショナリティを強く感じるけれど、今はそこまで日本人であることに固執していない。かといって日本が衰退していけばいいとも思っていないけれど。

経済だけが成長しても国は豊かにならないというのが僕の考えで、そこに文化が伴って両輪で回っていく社会をつくっていきたい。

そのなかでも、閉ざしていく政治とは反対に、人々がますます移動していく時代のなかで、どうすれば共存できるのか、持続的で本当にいいものとは何か、古き善きものをいかにアップデートしていくのか、というところに最近は興味が向いてる。

これは言い換えると、ハード(場所)を持ちつつ文化としてのソフト(アート・食・エンタメ・学び)をどうやってインストールしていくのか?
というような、建築や都市設計に落としどころがあるのかもしれない。

まぁ抽象度をあげて一言で言うと「壮大な社会実験がしたい」

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