私の日は遠い #7
昨日の深夜、渋谷で大規模なテロがあったらしい。
ニュースでも大々的に取り上げられていた。しかし、夏樹はそんなことには全く気づいていなかった。たまたまめんどくさくてテレビをつけずに音楽を聴きながらダラダラと過ごしていたし、SNSを覗くこともなかったからだ。
それよりも夏樹の心の多くを占めているものがあった。ロッカーでの隼人とのやりとりである。なんでか知らないがあれから一週間くらい経ってもまだ反芻していた。夏休みで友達に会うことも大してないからか、やたらと印象深く胸に刻まれてしまっていた。
「うーん…悪くねえな」
そんなことを思いながらベランダで晴れた昼前の風を浴びてバニラアイスを頬張っていると、iPhoneに着信が来てブルブルと振動する音が聞こえた。
それは隼人からのメッセージだった。
「異世界に繋がってる時空のひび割れが渋谷にあるらしい」そう書いてあった。
ひどい夏バテみてえだな、と夏樹は呟いた。あいつは野球部だけど、それでも所詮は人間だからな。
「蛇口をひねると冷たい水が出るの知ってるだろ?まずはそれで頭を冷やしな」夏樹はケータイに文字を打ち込み、さっさと送信した。
夏樹は隼人としばらくやりとりするうちに渋谷でなにが起きたのかをなんとなく理解した。最初は嘘だと思ったがテレビや新聞、SNSにバカみたいに映像や画像が溢れていた。
こんなことが起こるような国だったっけ?いつの間にMADになってしまったものだな、と夏樹はため息をついた。そして冷蔵庫を開けるとコーラのボトルを取り出してコップに注いだ。
「それで、あんたはそんな現場にわざわざ行こうっての?そんな暇あったらバットの素振りでもしてなさいよ」
夏樹はコーラを喉に流し込みながらケータイを操作した。コップを傾けると氷同士がぶつかる涼しい音がした。
「なかなかキツいとこ突いてくるじゃないか。でもよ、そういうお前こそ、なんか楽しい夏の予定はあるのかよ?」と隼人が返してきた。
「ふん、『夏の楽しい予定』なんて概念はただの幻だよ。ディズニーランドのミッキーだって、瞬きしないだろ?そもそも最初からデタラメなんだよ」
「いきなり虚無主義に走るのかお前は。まだ10代なんだから少しくらいは自らの情熱に薪をくべてやれよ」
「私は焚き火じゃないんだよ。こんなクソ暑い季節にはむしろイルカにでもなりたいね」
「イルカか。そしたら、水族館でも行くか?」夏樹の視線と指がここで止まる。うん、悪くねえな。
「それ、アリ」と夏樹は返信する。
しばらく待っても返事が来る様子がなかったので、夏樹はテレビをつけた。午後のワイドショーが放映されているのをぼーっと眺める。やはり昨夜の渋谷でのテロ事件が取り上げられていて、ああだこうだと話し合いが行われていた。規模が大きく同時多発的なものであったのでおそらく複数の人間によって引き起こされたものであると思われるものの、容疑者の目処が何故か全く経っていないことをコメンテーターの大学教授が不思議そうに話していた。現在の渋谷の様子を確認してみましょうと進行役の人間が言うと映像がパッと切り替わる。人や車はすでにいつもと変わらない様子で大量に行き交っていたが、QFRONTがボロボロになっているようだった。巨大なモニターだった部分には応急処置のように大きなシートが被せられていた。
スタジオの誰もが腑に落ちていないような表情で深刻なムードを醸し出していたので夏樹は気分が滅入りそうになり、別のチャンネルに切り替えた。知らない韓国ドラマが放映されていたが、画面脇にはニュースを表示するためのバーが常に出ていた。ドラマの女性たち、みんな顔面強すぎるなとぼんやり考えていると隼人から返信がきた。
「いや、でも異世界に行けるチャンスは今しかないかもしれん。ということはこれは一択なのでは?水族館はいつでも行けるぞ!」と謎に自信に満ち溢れた内容だった。
「お前なあ、ラッコはもう日本に一匹しかいねえんだぞ?持続可能性なんて言葉も今では儚いものなのさ」と夏樹は返した。
「俺の異世界への興味は止まらねえよ。持続するかどうかが問題じゃない。今俺の中で燃え上がってる炎があるんだよってハナシだ。俺は今を生きている」
「早くシケてくれることを祈るよ。私からしたらこの世界とっくにヘンテコなものだし」
「俺は今感じているエネルギーを新しい何かに昇華させたい。俺はおまえと点じゃなくて線を描きたいんだよ」
「急にすげえ方向にハンドル切れる腕力は大したものだな」と返信したところで夏樹も少しめんどくさくなってきた。隼人を渋谷に召喚させようとする謎の引力が存在しているみたいで、それは私の手には負えない獰猛な「何か」なのだろうなとテキトーに考えながらグラスの中に残っていた氷を噛み砕いた。
続く
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