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エンタメの深掘りとマッチングアプリ

僕は考察をあまりしない。というとあれだが、もっとわかりやすく言うと一つの作品をそこまで深掘って考えることがない。

本、漫画、映画、etc… どんなコンテンツにも、考察というのはついて回る言葉だと思う。好きなものがあればその好きなものに対して向き合って考える時間も自ずと増えるし、よりそれを理解したいと思うことは必然だと思う。ただ、僕は考察ということをあまりしない。考察をしないだけではなく、良い作品だなって思う作品と出会った時にその作品を作っている人の別の作品を探す、みたいなこともあまりしない。

なぜしないのかと問われると、特に理由はない。単にしたいと思わないからしていないだけである。したくないというわけではなく、したいと思わない。それだけだ。ただ、自分自身としてもなぜそれをしたいと思わないのかに関しては考えたいと思ったので、考えてみた。思ったのは、自分の第一印象を大事にすることと、エンタメの過多が理由に足りうるのではないか?ということだ。

僕は飽き性である。初めて行った店で食べた料理が美味しかったしまた食べたいと思っても、次来た時は別の料理を食べる。よく散歩をするが、毎日できる限り違う道で散歩するようにする。こういう飽き性だ。音楽に関しては同じ曲を何度も聴くことはあるが、何ヶ月か経つとブームが過ぎてあまり聴かなくなる。好きなアーティストの好きなMVでも、大抵1〜2回しか見ない。それは、最初に味わったインパクトに超えるものがあまりないからだ。もちろん、何度でも良いものはいいと思う。ただ、一度味わったという記憶が他のものを味わいたいという気持ちに連れて行ってしまう。

また、エンタメ自体のが過多で、気になるものが多すぎるものもある。昔の作品で見られていない映画やドラマ・アニメを見たいと思う気持ちもあれど、バンバン世に出る新作や毎週の録画の消化だけで日常が埋め尽くされしまう。そんな世の中で、1つの作品を深堀りする時間は尊いように思えるが、僕にとってはその時間で他のものを味わえたと思うともったいないと思ってしまう。なので一つ一つの作品に対しての理解度が高くなかったり、愛着が薄かったりするがそれは仕方ないと思う。たぶん、本当にしたいと思える作品があればすると思うし、それをしていないという時点でその程度なんだろうなとも思うし。

ここまでつらつら書いてきたことを考えた時に、マッチングアプリを思い出した。マッチングアプリは今のエンタメ過多時代のエンタメと似ている気がする。普通に生きていたら身の回りにいる異性なんて数が知れているが、マッチングアプリに登録するだけですごい量の異性と出会える可能性を秘めている。それまでの出会いでは、出会う人の量も少なかったので一人一人に向き合って、相手のことを好きな気持ちと向き合うことができたが、マッチングアプリはマッチングして意気投合するまでそんなことにはならない。マッチングするまではプロフィールと写真だけでその人を判断し、自分と合うと思ったらいいねして、相手からのいいねを待つ。もしくは、いいねされた相手を確認して、いいなと思えばありがとうを返してマッチングし、やり取りを開始する。昨今のエンタメも同じくらい溢れていて、一つ一つと向き合っていられないくらい、魅力的な作品が何本も出ている。全てを掬おうと思っていなくても、全然掬えないくらいの量だ。そうなると、自分なりに向き合うやり方を見つけるしかない。それが僕にとっての考察をしないにつながっているのかもしれない。

そんな僕は、好きだった作品を何年か後にまた味わう、ということをする。なんとなくしか覚えていないけどあの頃好きだと感じたものを、今改めて味わいたいと思い味わうが、あの頃の方がよく感じたというものもあれば、今の方がよりよく感じるというものもある。僕はその作品自体の素晴らしさや、作者が何を伝えたいかということよりも、自分がその時その作品を味わった時にどう感じたかを大事にしているんだと思う。こういう向き合い方が自分にとってやりたいエンタメとの向き合い方なんだと思う。いつかまた見たい、味わいたいと思える作品こそが、自分が大好きな作品なんだと思う。

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