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活字という表現の心地よさ

数ヶ月前、近所の村立図書館を発見した。
今まで近くに図書館があるなんて知らなかったし
正直本も読む方じゃなかったから、図書館があっても
利用してきたことはほとんどなかった。

それが最近は、図書館を偶然発見してから数ヶ月
ずっと耐えることなく本を借りて読んでいる。
田舎の小さな図書館だから
どうせそんなにいい本も置いてないんだろうななんて
ほぼ期待せずにいってしまったのは今では申し訳なく思うくらい
数はそんなに多くないのだけど
ドンピシャな本がたくさんあるじゃないか。

そこから久しぶりに活字というものに触れる日々。
本を今までとは比べ物にならないスピードで読むことになり
自然となんだかインプットされてるのか
刺激を受けているのかなんなのか
自分のインスタグラムを開いては
自分自身も投稿文を自然と書くように。

そしたらやはり思ってた通り
わたしにはnoteがあったことを思い出す。
(そうして今書くに至っている)

たまに思い出す、この活字の心地よさ。
最近の私たちの周りに溢れる情報は
視覚的なものがとても多いように感じる。
私も普段の仕事で映像を作る側としてそれをむしろ意識しているのだけれど。

だからかもしれない。
あえて多くの情報を含まない表現方法である「活字」が、
情報まみれの自分の脳内を洗い流してくれるみたいで
活字という方法で情報を入れているはずなのに
なぜか読んだ後には頭も心もスカッと晴れている。

それと同時にSNSを開く時間が減り
情報の断捨離が自然とできているように思う。

この状態が今はとても心地いい。
情報に飲み込まれそうな時ほど
活字に触れてみる。
そんな習慣が、きっとこれからの私を幾度となく救ってくれるのかもしれない。

photo by 夫

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