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意識高い系のわたしが諦めたこと

最近、今までよりもなんだか肩の力を抜いて生きられるようになった気がしている。
何があったわけではないのだけれど、
今まであーでもないこーでもないって色んな物事を変えようとしてきていたのを
一旦やめてみたのだ。

「こうであるべきをやめる」とはよく言うけれど
わたしにとっては
「こうであってほしい」も同じ括りで、
自分以外の何かにこうであってほしいと願うことが
いずれこうであるべきに変わり
自分自身を思っていたより縛り付けていたように感じる。

わたしは昔からきっといわゆる“意識高い系“という部類に属す人間だったように思う。
それがいいとか悪いとかではないけれど
わたしは意識高い系に属すであろう自分の意識が
もっと世の中を生きやすく、問題の少ない世界に変えていくことに繋がると
ずっと思い込んできた、信じ込んできた節があったなと最近気づいた。

それが、最近、その意識を無くす試みをしてみることで
今までよりも自分の中に平穏が生まれていることに気づいて
そしてそれに伴って、わたしの周りにも平穏が訪れることさえも増えて
今までの意識が、全くわたしの望む世の中を作り出していなかったことに
改めて気付かされていたのだ。

『世界は、何も手を加えなくたってそのまんまで美しい。』
わたしはずっとそんな世界を見てきていたつもりだったのに
変わっていくことを望んでいる時点で
本当の意味でのそのまんまを見てきたことになっていなかったみたい。

もっとこうだったらいいな。
→こうでない今はまだまだだ。

そんな思考に陥りやすいわたしだからこそ
こうだったらいいなを手放して
いわゆる「いまここ」というものに改めて焦点を当ててみる。

それは、世界に対しても、自分に対しても同じこと。
世の中に対しても大きな変革を求めず、自分に対しても現状をしっかりじっくり堪能する。

そんな風に生きてみたら
今までよりも何倍も生きやすくて、
何倍も軽やかにこれから生きていけそうな予感がしている。

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