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【ネットワーク所属議員 リレーコラム③ 高松市議会議員 太田あゆみ】


●なぜ、議員になったか
わたしが生まれ育ったのは香川県高松市。自営業を営む父は仕事一筋の人で、母は身体障害者です。中学生になるまで自宅に風呂はなく、小さな長屋に家族で身を寄せ合うように生活をしていました。
両親は細々と市民運動を続けていました。反戦、人権、障害者問題、環境活動。幼い頃から様々な集会に付いていき、「本気で怒るおとなたち」の姿を見て育ちました。怒りで行政を動かす障害当事者たちは、生きている、命がここにあるんだと心からの叫びをぶつけていました。
しかし、中学生・高校生と大きくなるにつれて、自分の家庭がどこか他の友達の家庭とは違うと感じ始めました。両親が続ける市民運動からは距離を置き、ミニスカートやルーズソックスを履き、友人とプリクラを撮ることがわたしの中の最優先事項になりました。

その後京都にある大学に進学し、卒業後すぐに結婚、出産をしますが、2年ほどで離婚。高松の実家へと戻りました。離婚後も両親の協力を得ながらすぐに仕事に就くことができ、平々凡々な暮らしを送っていました。

その矢先に起こった、東日本大震災。そして原発事故。画面を通して伝わってくる出来事は、高松に住むわたしにとってはまるで他国で起こっていることのようにさえ思えました。まわりの人も何も語らず、危機感もない。「ただちに影響はありません」と繰り返す説明に、ただちっていつまで?影響ってどんな?目に見えないのに?なんで?なんで?どうして?と頭の中が「?」でいっぱいになりました。
わたしはかつて自分が見てきた「本気で怒るおとなたち」に自分がなっていることに気づきました。子どもの命や未来を守りたい、ただその想いで。

政治に無関心でいることの恐ろしさや無責任さを痛感し、自分の住んでいるまちの議会を傍聴に行って唖然としました。私語、退室、居眠りは当たり前。こんなところでわたしたちの生活に関わる重要なことが決められてきたのかと思うと怒りで身体が熱くなりました。
わたしが、変えなければ。この瞬間、議員になることを決意しました。

●ネットワークに参加した思い
わたしは13年間、ひとり親として娘を育ててきました。
現在は新しいパートナーと、「ステップファミリー」として生活しています。高校生になった娘の繊細な感情の起伏を感じながらも、新しい家族のかたちを模索しています。

ひとり親として生活をするなかで、わたしは両親や姉の手助けがありましたが、例えば震災がきっかけで高松に移住してきたひとり親の方などは預け先に困ったり、病院がどこにあるかもわからない状態であることを目の当たりにしました。

そしてそれは今回のコロナ禍においても同様でした。
何年経っても、ひとり親のお父さん、お母さんの不安が払しょくされることはないのかとがっかりしました。両親がいても、ひとり親でも、どんな家庭環境にあっても、その子らしく成長し、何の不安もなく生活できる、そして子育てができる、そんな当たり前の社会づくりが必要です。

地方議会議員だからこそ、現場のリアルな声を届けられると思い、ネットワークに参加することを決めました。

●これから何を進めたいか、どんな社会にしたいか
この数カ月で、以前は想像もしなかったことが次々に「当たり前」へと変化しています。例えばオンラインでの会議。わたしたちネットワークも居住地が全国に分散しているためミーティングはオンラインです。

さまざまなアンケートではお子さんの学習を心配される保護者の方が多かったのが印象的でした。オンライン=便利、ですがネット環境がない家庭、PCがない家庭にどうやって支援をしていくのか、早急に解決が必要です。

学校が休業になる中で「こどもの食」も大きな課題のひとつです。

何より、情報を得ることができないご家庭をわたしは一番危惧しています。どうやって情報を届ければいいのか。行政の本気度が試されると思います。
「新しい当たり前」が始まっています。誰ひとり取り残さない、そんな社会を作るために、きめ細やかに地域の皆さんの声をすくいあげていきたいと思います。

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